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地球中心主義の終わり

べつに私はケン・ウィルバーという人を「仮想論敵」にしているわけではないのだが、それをダシにして語るには有用なので、つい触れてしまう。ウィルバーは最近では、「この肉体をもちながら悟ることが宇宙でいちばん進化したことだ」と信じているらしい。私は、自分が絶対に正しいという立場からものを言っているのではないので、それは間違っているとか、ばかなことを考えるなあ、などとは言わない。ただ、私にはとても理解しかねる発想だということである。つまりその「地球中心主義」はどこから来るのだろう? というフシギさを感じてしまうのである。地球が宇宙でいちばん進化した星であるなどと本気で信じることができるという想像力とはどういうものなのか、それこそ私の想像の外なのである。

キリスト教でも伝統的には、この地球上に神の国が実現することが世の終末である、と信じていた。言ってみればこれも地球中心主義である。私は教父たちの思想を深く尊敬するものだが、この終末論思想は、たしかにあるイデーの本質から発しているものの、表現としてはすでに別の形が要請されているのではないか、との感触を持っている。

地球の進化はどこへ向かっているのか? これはトンデモでもなくぶっ飛びでもなく、まじめに言うのだが、地球はやがて「銀河連盟」へ開かれていくのではなかろうか。いや、これではどう見てもぶっ飛びである。そこでさらに説明するならば、地球人的な意識の制約を脱して、意識の多次元性へ目覚めていくとき、地球人はついに、非物質的宇宙の知覚能力を次第に発達させ、宇宙の深奥にある、めくるめく「意識の共同体」の世界に気づき、その仲間となるだろう、という意味である。宇宙人とは非物質領域にいる意識体のことであるなどというあたりまえのことが人々にわかってくるのも、これから何百年もかかることではないと思う。いつかは地球も「開国」するのである。もっとも、その時期まで、私が地球生命圏につきあっているかどうかは定かではないのだが・・ 以上のことはどう見てもぶっ飛びと見る人も多かろうが、もうここまで書かないと、時代の先端を切り開いてはいけない時期に来たのではないだろうか。それは、銀河、そして宇宙というものの「ほんとうの美しさ」を知るということであろう。私はこの発想は、プラトン主義哲学に忠実なものだと信じている。宇宙の深奥にある巨大な輝きを見たことのない人が、プラトンを論じてもいいものなのだろうか。

宇宙の美しさを見よ――それが根本なのである。

これはべつに、グラウンディングを軽視しているわけではない。地球にいる以上は地球人の常識に従い、堅実に生きる必要があるのは当然のことだ。地球を去るまでは地球人なのだから。地球にあっては地球人として生き、プレアデスに行けばプレアデス星人として生きればよいのである。私も、この地球に生きながら多次元的意識を持つようになるにはどのようにすればよいのか、日々研究中である。

しかしながら、私は地球人であるが、同時に地球人ではないとも言えるわけである。それは事実なのであるから、否定するわけにもいかない。そのような意識で生きるということは、今後の地球人にあっては徐々に、あたりまえになっていくと思う。(なお、キリスト教新約聖書に、「私はこの世に生きているが、この世に属してはいない」という意味の言葉が出てくるが、これも同じことを言っていると思う)

話をウィルバーに戻せば、私はそうした「地球中心主義」の終わりがもう要請されていると思う。人類の思想は宇宙へ向かっていかねばならない。もちろん科学の描いている物質宇宙ではなく、多次元的なエネルギーの層をなす宇宙である。宇宙のコアへ思いをいたすのだ。地球人が、そうした多次元宇宙へ目覚めていくこと、それが「開国」なのである。その時、地球は真に銀河の正式メンバーとなるであろう。それが、アーサー・クラークではないが、「地球の幼年期の終わり」なのである。人間は、地球を超え、星々へと旅立つのだ。いつかはそういう日も来る。人間は地球を超え、星々をめぐり、ついに永遠の「源」まで旅をするのである。これってすでにダンテの神曲・天国編に書かれていなかったか?

私の耳には、銀河の荘厳なる響きが聞こえるようである。

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