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2007.11.30

エネルギー受け取りとヨーガ

宇宙から高次のエネルギーが流れてくるとき、肉体的反応として、身体が勝手に動き出すということがある。それがいつのまにかヨーガのポーズの形になったりすることもある。これはインドでは「クリヤ」として知られているもので、そういうことがあるということは千年以上も前からインドでは知られていたわけだ。最近では、ムクタナンダやゴーピ・クリシュナの自伝にもあったし、クンダリニー的SEを扱った英語の本にもそういう記載があった。これは、肉体のエネルギー的なゆがみが調整されるということを意味している。自動調整である。ヨーガのポーズのようになるのは、それがエネルギー調整に最も適した体勢だからである。つまりもしかするとポーズというのはそういうふうに発見されたものかもしれない。

こんなことを書くのは、何を隠そう、私自身も最近のエネルギー受け取りの過程で、このクリヤを何回か体験したからである。

そこで考えたのは、たしかにこうしたクリヤの運動によってエネルギーが調整されるのだが、それがヨーガと近いものであるならば、そもそも日常的にヨーガをやっていれば、こうしたクリヤは最小限ですむことになるだろう、ということである。ゆがみがあるからクリヤが激しくなるので、ゆがみがなければもっとスムーズに違いないのである。

クリヤが起こるということはある程度エネルギーが流れるようになっていることなので、もしあまりにもエネルギーが通らない身体になっていると、そもそもクリヤくらいではエネルギー調整を行うことができないので、最初からそういう次元のエネルギーは流れない。クリヤが起こるということはある程度まで来たということではある。しかしさらなる身体調整が不可欠になっているということだ。

このように考えて、ヨーガを少しやることにした。もちろん以前に習ったことはあるので、復習である。いままでは、気功をやっていて、それにもある程度ストレッチ的要素は含まれているが、やはりその部分はヨーガが専門だし、優れている。

いろいろヨーガのDVDなどはあるが、今回は、龍村修氏によるものを買った。龍村氏は沖ヨガ出身の人だが、それ独特の「修正法」などがあり、いきなりポーズに行くのではなく少しずつゆがみを直していくというアプローチである。パワーヨーガのようにエクササイズ的要素を追求するのではなく、かなり純粋なヨーガになっているという感じがする。モデルの女性もかわいいので(それも重要な要素だが)、かなりおすすめできると思う。10分、15分、30分、60分のプログラムがあり、もちろんポーズ等の単体での練習もできる。特に本当の初心者はこちらがよい。もっとも、ヨーガを始めるには、最初は教室でその要領を覚えた方がよいと思うが・・

片鼻呼吸法は前から知っていたが、左右で陰陽を意識するというのはなるほどと思った。気功でもそういう技法があるので、共通している。


482221646270分DVD付き 体の中からキレイになる 龍村修のヨガ教室
日経ヘルス 龍村 修
日経BP社 2005-11-30

2007.11.29

記憶を取り戻す

そういえばかなり前、「ぼくの地球を守って」というマンガがあった。江原サンもまだ登場していないころである。

それは、数名の高校生の男女が、前世では宇宙人で、宇宙船に一緒に乗っていたという記憶を徐々に思い出していく、という話である。

なかなか・・この、少しずつ思い出していくという過程が、かなりリアルに感じられる今日この頃であるのだが・・(笑) とはいっても、このマンガでは宇宙人とはいえ感情・心理は完全に地球人と同じなので、ほんとうの「宇宙人」を描いているわけではない。

ただその、記憶をひもといて、いろいろな人との関係があらわになっていくというプロセスが、時代を先取りしていたというか、妙なリアリティを持っているように思われるのだ。

今後は、「自分が地球人ではなかった時の記憶」を思い出す人も増えてくるんだろうか?(笑)

2007.11.26

私は宇宙人!?(笑)

前に、「私は行こうとしているのだから」などと書いたことがあるが、気がついてみれば、私はすでにそこにいるのだった。だから、行くということも必要がないのである。私はそこにあり、また同時にここにいるという、その同時的、多次元的な存在という現象をそのままに受け入れればよいことなのであった。

それはべつに私だけというわけではない。地球にいる人間はみな、ただ地球のみに生きている存在ではない。誰も皆、地球に来ているのはその一部にしかすぎず、その本体の部分は宇宙の別の領域にあるのである。ただ、その別の領域というのは、皆が同じというわけではない。けっこういろいろであるらしいのである。もちろん究極的な根源としては同じであろうが、現実としては(どういう意味で「現実」なのかは微妙だが)、究極ではないが、地球よりは高次元にある世界領域がいろいろあって、その一つに住んでいるというのが一般的な存在状態(として自覚されているもの)であろう。

つまり、私はたしかに地球人であるが、同時に宇宙人でもあるのだ。それが、根本的な現実である。私の故郷は、銀河の奥の方にある。これは私にとってはぶっ飛びではない。「私が生まれたところはさいたま市ですよ」というのと次元の差があるだけで、同一の現実の中にあることなのである。

だれしも本体的には宇宙人なのですよ。だって、魂が生産されているのは地球ではないのですからね・・すべての魂は「地球に来ている」のである。

「未知との遭遇」や「E.T.」のような作品が「宇宙的郷愁」を刺激するのも、そうした根本感情に触れるからである。

魂は「かしこ」から地球に来ている・・これはプラトン派の根本的な直観であった。たぶんこの時代の人は、自分がどこから来たのか漠然とした記憶を保っていたのだろう。

地球的現実と宇宙的現実とのあまりの落差に圧倒され、地球が恐くなり、こちらに来た目的を見失ってしまったのが「グノーシス派」の人々である。

キリストは、地球領域と高次領域とのラインをあらためて確保し、「ここにいるが、かしこに属している」という魂本来のあり方を思い出させようとしたのだ。そのために高次領域から派遣されたのである。

以上のことはプラトン-キリスト教のラインにおける古代思想ではかなり明確に理解されていたことがらである。
その後、キリスト教はその本質を見失いがちになったが。

エネルギーシフト

ここでは、あまり細々したことを書くわけにはいかない。だが・・

10月上旬に、一つゲートを開いたのはすでに書いたところだが、昨日のワークでは、「自分がかつてどこにいたか」をきわめて明確に思い出した。私は、地球上に生きているが同時存在的に「そちら」にも存在していることがはっきりとしてきた。おそらくこのことは、これ以降、私の意識上から消えることはないだろう。それはまた、地球上での存在が終わったあと、「どこへ行くのか」をも明確に思い出したということを意味している。

いまはまだ、これ以上は書くことができないが、更なるエネルギーシフトがやってきている。

何度も書いているように、私にとってはすべてが現実であり、連続したものであって、およそ世界とは多次元であるのがあたりまえであるので、何も「ぶっ飛び」というものはないのであるが・・ここまでのことは、さすがに現在の地球人類の認識している世界モデルとはかなりギャップがあることもわかるわけで、ブライアン・ワイス博士が初めて本を出したときの葛藤とはどのようなものであったか、想像できるのである。

しかしいずれは「言い表す」ことが必要となる時期も来るのだろう。

2007.11.21

多次元的セルフヒーリング

多次元的セルフヒーリングというのは・・最近感じることは、高次元エネルギーを浴びることは絶対に必要であるものの、それだけに偏っていてもまた駄目だ、ということである。

肉体・エーテル体のケアをしっかりするということである。つまり、自分とは多次元的存在である以上、セルフケアも必然的に、多次元的でなければいけないと感じるのである。

グラウンディングもまた、多次元的である。肉体次元のみにフォーカスすることだけがグラウンディングではない。多次元的グラウンディングも要請されるような時代になっている。

肉体・エーテル体のケアには、体操・運動や、ヨーガ・気功などが適しているだろう。

健康もまた、多次元的なものである。

これからは「多次元同時進行」ということができなければいけなくなってくるのではなかろうか。

永遠の生命

「スピリチュアル」なんていうことばはあまり好きではないが・・

世間でそういわれていることの中核的なところを言えば、それは「永遠の生命に気がついている」ということだと思う。あるいは、「自分は肉体ではなく魂という存在である」と実感しているということ、つまりそれは、「自分は死なないということを100%確信できている」ということであろう。

そういう自覚が生活している間にもどこか自分の中に存在している、というあり方のことだ。

それをエネルギー論的に表現すれば、宇宙のエネルギーとつながっている、という言い方になる。ただ、エネルギーといっても次元性というものがある。私は、アストラル次元にのみつながっていることを霊的(スピリチュアル)とはいわない。少なくともコーザル次元以上でなければならない。アストラルしかわからないのはむしろ「サイキック」というべきだ。サイキックであることは、魂の成長や自覚とはまた別問題である。

精神世界でいうところの「セントラル・サン」というのは、霊的な光源の世界である。
そのエネルギーとつながることが何より重要だと思う。

2007.11.19

前田真三を見る

とにかく写真集が好きだ。

三好の楽園シリーズにつづき、前田真三に行ってみた。

見ていると何故か、ブラームスが聞こえてくるような感じ。
前田真三がその北海道・美瑛の写真を撮ったのは50代以降なので、成熟した男性のロマンティシズムという点では共通しているだろう。

特に、秋・冬の写真がいいと思う。
今度の冬はひさびさに雪景色を見に行こうかしら。

4062131110大地の詩―前田真三PHOTO BOX
前田 真三
講談社 2005-10

ヒーリングエネルギーを流します

すべてが「光」のもと、最善の結果へと導かれますように。
世界人類が平和でありますように。

2007.11.15

ドリーン・バーチュー『チャクラ・クリアリング』

オラクルカードでおなじみのドリーン・バーチューによる『チャクラ・クリアリング』のCD・・って有名ですよね。どんなものかと思っていたが、安くなっていたので注文してみた。すると・・いいエネルギーじゃん!とびっくりした。聞いているだけですーっと透明になっていくような浄化のエネルギーが入っているようである。思わず何回もリピートして、部屋の浄化をしてしまった。

もちろん日本語版もあるが、そっちは当然バーチューさんの声ではないので、そちらの浄化効果については何ともわからないが・・

やはり、彼女自体のエネルギーがなかなかいいんですね。それが支持されている最大の理由だろう。エネルギーの質というのが一番大事な問題なのだ。

1401901387Chakra Clearing: A Morning and Evening Meditation to Awaken Your Spiritual Power
Doreen Virtue
Hay House Audio 2003-02

by G-Tools

アチューンメント

最近、もう少しパワーを・・という感じがして、「クジラペンダント」を始めた。きのうは、つけたまま寝てしまったが、はたして・・

このあいだセカンドのアチューンメントをした。この人はファーストを受けてから長くやっていたこともあって、エネルギーの入りは良好だった。

アチューンメントのあと、実際にそれを使ってエネルギーを流してもらうのだが、不思議なことに、はたから見ていても、そのエネルギーが来ているのがはっきりわかるのである。私が受けたばかりの時はこんなに強くなかったな、というほどはっきり流れている。やはり、臼井はエネルギーが弱いなどというのは、人によるばらつきの問題であって、これほどまで強くなりうるということもわかる。しかし、はたから見てわかるというのは、物体のように見えるわけではなく、むしろ、それと同質のエネルギーが私の方にも共鳴作用で感じられてくるのである。それが、私にとってはなじみの第一、第二・・のエネルギーであるということがわかるので、「ちゃんと来ているな」ということがわかるわけである。そのくらいのことがわからなければ、そもそも伝授を行う資格などないだろう。しかし、人のエネルギーを「見る」(エネルギー的な意味で)というのはあまりふだんはないので、おもしろい体験であった。

印象的だったのは「第三のエネルギーは強いな」ということ。私は自分では、第三をちょっと感じにくく、少し時間がかかったのだが、この場合は初めから第三が強力だった。第四ほどではないが、まばゆい黄金の円光という感じであり、たしかに太陽のような力強いエネルギーである。

ともあれ、第一・第二・第三のエネルギーの違いがひじょうにはっきりわかったのは面白かった。やはり伝授をすると自分の勉強にもなるものである。

いままで知人にしか伝授していないが、そろそろネットで募集してみるか??

2007.11.14

楽園DVD

またまた楽園シリーズです・・モルディブのDVDを買ってしまった。これ、前のモルディヴ写真集からのかと思ったらそうではなく、新たな撮り下ろしらしい。本はなくそのままDVDになったもの。動画ではなくスティール写真のスライドショー形式である。

しかし癒されます・・ライトな音楽がついているが、私はそれはオフにしてもっぱら Liquid Mind をかけてこの映像を流している。そこでエネルギーワークなどをすると気分はさらによい(ただモニターからは電磁波が出るので、モニターの正中線には立たないようにする)。

このモルディブ編は安かった。しかもアマゾンでは二割引・・もう一枚のハワイものは高かったけれど、あの恐るべき『ハワイアン・スピリッツ』と関係しているのなら、買いであろう・・(しかしアマゾンは分割発送が有料になってしまい、使いにくくなった。アマゾンばかりヨイショしているわけにはいかない)

B000F9UDMQ南国の楽園 ON THE BEACH モルディブ
三好和義 岡田徹
Sony Music Direct 2006-05-24


追記

おっと! よく見たら楽天ブックスの方が安かったじゃん・・でもこっちは取り寄せだから、納期とどちらをとるかですね~
アマゾンのサービス低下で、これからは楽天で買う機会が増えそうである。

2007.11.09

メッセージ

こういうメッセージが来た。


ぶっ飛びなんてどうでもいいのだ。今ここで生きていることの至福を感じることがいちばん大事なのだ。

宇宙からの愛は、「美しさ」という形で私たちのもとへ到来しているのである。

ひきつづき楽園写真にはまる

いや・・とにかく Liquid Mind の音楽をかけて、三好和義の楽園写真集を眺めているというのは、まさに「楽園波動」ひたりきりの時間である。『エソテリック・ティーチング』をはじめ、他の本は全然読む気なし。楽園写真集をとっかえひっかえ見ているとあっという間に時間がたつ。

しかしなぜ、この深いブルーの世界はこれほどまでに魂を刺激するのであろうか。

三好のイルカ写真『楽園の友だち』を見て、これだと思ったのは、海中の深いブルーから、水面を通してまばゆい太陽の光が輝き、その下にイルカが戯れているという写真。これは、私が最初に Liquid Mind の Balance に出会ったとき、強烈にイメージされた映像であった。まさにこれ。無限のブルーを遊泳するイルカである。

楽園というのは「魂の奥底にある、『至福の世界にいた記憶』を呼び覚ます」という意味である。そういう至福感が、Liquid Mind と相まって、全身に浸透していく快感はたとえようもない。

「スピリチュアルとは何か」という問いへの答えなど、もちろん私は知らない。しかし、この、魂の奥に「至福」が常に存在することを尋ねあてたという喜びは誰にも決して奪い去ることのできないものである。それは光明でもある。その、「光明・至福」のポジションにできるだけとどまること。日常生活の中でも、意識のある一部では、常にそのポジションにいることをどこかで思い出していること、それが私にとっては重要な課題なのだ。

あいつは駄目だ、おれのやってることは偉い・・などというネガティブな思いというのは、結局、「至福」を感じていないから起こってくるものである。至福にとどまっている人には、決してそのような想念は浮かばない。つまり、そういう思いが出た時点で、「落ちている」わけである。もちろん落ちるのは避けられないが、できるだけ早く「落ちてるな」と気づいて、また至福のポジションに戻ること、その繰り返ししかないのだ・・といまは思う。

至福と平安とは同じことなのだ。なるほど、と思う。

これ↓もいいようもなく素晴らしかった・・
「三好ショック」はまだ続いております(笑)

やっぱり、Liquid Mind との組み合わせがおすすめですが・・

409680620Xニライカナイ 神の住む楽園・沖縄
三好 和義
小学館 2002-06

by G-Tools


追記

「至福は魂の奥に見出される」とか書いたが、しかし、至福は宇宙の深部から放射されているものでもある・・
これが実感だ。いや、宇宙の深部からは光が放射されているので、それを魂が受け取るとき至福と感じるのかな・・? しかしどうも、そういうリクツはどうでもいいようにも思えてくる(笑)

2007.11.07

またまた Liquid Mind

またも Liquid Mindを買った。

B00005MNFLLiquid Mind V: Serenity
2000-06-06

by G-Tools

これで3,4,5,6と4枚そろった。はっきり言って最近のヒーリングミュージックは Liquid Mind ばかりである。
この「セレニティ」は、また一段と、深い至福感の世界に入ってしまう音楽で、何とも気持ちよい。
三好和義の「楽園シリーズ」にも通じる、ここのところの「至福」への感性というものが、出ているらしい。
何というか、自分がイルカになってブルーの至福宇宙を遊泳しているというか、そういう気分があるのだ。

ところがクラシックといえば、シューマン、チャイコフスキー、ラフマニノフと、ロマン派全開。

なんなんだこの趣味は、って自分で思いますね(笑)

2007.11.06

ヒーリング方法の話

Divinerさんのページにこういう記事が出ていたが、私もおおむね賛成である。
本格的な霊的ヒーリングと一般的なレイキとは、たぶん、処方箋が必要な薬と、薬局で買える薬との違いのようなものだ。薬局で売っているものは、簡便で手に入りやすい反面、わざと効果は弱くしてある。

伝統的な「直傳靈気」なんかは、一般的に言えば西洋系レイキよりエネルギーが強いと言われている。逆に言えば西洋系のものは爆発的に普及させる反面、少し弱くするという設定がなされたのかもしれない。誰がその設定を? と言われると、ここでは「上の方」としか答えられないが。

ただ西洋系レイキであったとしても「やりよう」であって、上の方とつながりつつトレーニングを積めば、十分にそれで専業ヒーリングができるようになる、という可能性もあるとは思う。しかし、カルナレイキなど発展系のものを併用したり、セラピューティック・タッチやクォンタム・ヒーリングを学んだり、という人が数として多いようである。

一方、外気功というのがあるが、これはいまでも、自分の内気を高めてそれを出していく、というやり方をする人が多い。

正直言うと、このやり方はもう古いというか・・気功によって内気を高めたり、宇宙の気と交流したりする気功の効果は疑いないところで、私も実践しているが、外気功に関しては、もうレイキその他のメソードに席を譲ったのではないかと思っている。ものすごい修練を積んで気を出せるようになっても、それが「宇宙からの気の無限供給」ではなく、少し気を出すと疲れてしまうようなものでは、トレーニングの甲斐がないというか・・そう書いてしまうとぶっちゃけという感じだが、やはりもうこれからは「無限供給」のメソードでなければいけないと思うのだ。しかも、そんなに厳しいトレーニングなしで「あたりまえのもの」として受け取ればよいと思う。「無限供給があたりまえなんだ」というのは、つまり「意識設定」の問題である。気功の世界ではそういう意識設定がないからそれができないだけである。意識設定というのはなかなか深い問題であり、もしかすると「すべては意識設定」なのかもしれない、と思うことがある。

とはいっても気功の価値がそれで減るわけではない。むしろヒーリングを学ぶ人は気功の基礎をあわせて学ぶとたいへん役に立つだろう。しかしエネルギーやメソードの基本的な違いというのは意識していないといけない。レイキは「おまかせ」なのであって、「自分がやる」わけではない。癒そうという心さえ邪魔であって、ただ「最善のことが起こりますように」という意識設定で行うものだと思う。

しかし最近Divinerさんは、一種の「静けさ」が出てきて、よいエネルギーになっているような気がする。

イルカくんからのメッセージです

なんか、イルカくんが、どうしてもこれを書けと言ってくるので、書くことにする。
こんなあたりまえのことをわざわざ書く必要あるの? と思ったが・・



いまそこで、人を批判しようとしているあなた・・
それを言っている瞬間、あなたの心が愛に満たされていると、自信を持って言える?
あなたは、人をばかにしたいのじゃないの?
自分がやっていることがいちばんえらい、正統的なものであるとか。他のものはおかしい、だめであるとか。
それは本当の「霊的弁別」ではないよ。
「偉いこと」をやっているから、属しているから、あなたが偉くなるのかい?
すごい瞑想法をやっているから偉いのかい?
あなたの魂が、いまその瞬間にどれだけ輝いているのか、愛に満ちているのか、それしか、判断する基準はないんだよ。
あなたのその、批判したいという心はどこから来ているのだろう?
愛から来ているかな?
そういう批判したいという心の動きが、あなたの成長を遅らせてしまう可能性には、気づいているのかな?
いろいろな魂がそれなりのプロセスで成長していくことを、愛をもって見ることはできないのかな?
あなたはいまの瞬間、愛に満たされているのかな?
すぐに批判をしてしまうあなた、あなたはあの光を本当に知っているのかな? 知っているなら、その光にふさわしい心を、ずっと維持しなきゃいけないよ。



私が言っているんじゃないよ(笑) でも反論はできないですね・・ むしろ「言われてる」って感じもある。
イルカくんは「楽園の友だち」ですから。
イルカくんの言うとおりにすれば、楽園へ行けるかもね(^^)
なかなかむずかしいことだが・・

2007.11.05

ムーン・ダイアリー

4774131814ムーン・ダイアリー’08
松村 潔
技術評論社 2007-09-26

そして・・そろそろ来年の手帳やカレンダーを買う時期である。去年からこのムーン・ダイアリーを使い始めている。

このムーン・ダイアリーは、今回で4年目の発行らしいが、要するに毎日の月の位相がわかるという手帳である。スケジュール帳としての機能は最低限で、アドレス帳もついていない。本格的なビジネス使用に向くものではないが、最近ふえてきた「旧暦カレンダー」と同様、毎日「月」を意識しながら暮らそうというコンセプトのものである。

ついでに、月のある星座のサインや、ボイドタイム(月がノーアスペクトの時期)や、毎日の一言アドバイスなどあるが、そういうところまでは、私は見ていない。もっぱら、その日の月はどうなっているのかだけわかればいい。ボイドなんて、ちょっとマニアックすぎかも(^^; どうせなら、夏至や冬至、立冬や節季などを入れた方が、月意識で生きるというコンセプトには合う。ちょっと、占星術により過ぎなので、私の必要とは微妙にずれるが。

この手帳を使っていれば、満月、新月の日に気がつかないということは絶対ない。月見に外に出ることも多くなった。

監修・松村潔とあるが、一回作ればあとはデータを入れ替えるだけなのだから、毎年関わってはいないだろうと思う。

このムーン・ダイアリーが好評らしくて、ついに今度から「サン・ダイアリー」も出てしまった。これは太陽のサインなどが出ているらしいが、サン・ダイアリーはどのくらい売れるものだろうか。

三好和義のイルカ写真集


4093590710楽園の友だち―DOLPHINS,FRIENDS OF THE EARTH
三好 和義
小学館 1995-06

三好和義だが、マケプレで安かったので買ってしまった。これは、イルカの写真集であり、それ以外の何ものでもない。
「なんだイルカの写真か~」と思った人は、それ以上に感じることはないかもしれないが、
胸にイルカのペンダントがある場合は、また、感性が異なるものである(笑)

「イルカ」と聞いて何かを感じる人向け。

三好和義と楽園写真の波動――『ハワイアン・スピリッツ 楽園の秘密』ほか

一時、星野道夫にこっていたが、最近は対極ともいえる「三好和義」にはまっております。
アラスカから南の島? そんな両極端な・・と思うかもしれないが、陰極まりて陽となり、陽極まって陰となる、のがこの世界ではありませぬか。

いやとにかく、写真集のページをめくるたびに、至福感が高まっていくというこの感覚は何であろうか? たぶんこの写真は、現実の世界とはどういうものであるか、を撮ろうとしているのではない。この物質世界に時々かいま見えるところの、永遠の至福のみが支配している世界への予感を描いているのである(と勝手に断定)。

ここで特に紹介するのは二冊である。
一つは最新刊、『ハワイアン・スピリッツ 楽園の秘密』。
いやこれはほんとにすごい。もうビビビと波動感じまくりの一冊。実はこれは最高の「スピリチュアル写真集」と私は言いたい。スピリチュアルと言ってもオーブが写っていたりするのではありませんよ(笑) そういうふうにスピリチュアルを理解している人は、このブログではお呼びではないんだが・・ともあれ、まず表紙から、最初の方にある、ダブル・レインボー(二重の虹)の下で人々が聖なるダンスをしているという写真から、その波動には完全にKOされる。さらに古代人が遺したペトログリフ(岩絵)のある聖地の写真ですよ。ここで私は、そのエネルギーのあまりの強烈さに圧倒され、思わずちょっと休憩を入れましたね(笑)
それから後半ではハワイの自然のエネルギーが爆発という感じで・・これはどうしたの? なんだかすごいことが起こっている・・明らかにこれは三好和義のこれまでの作品を超える最高傑作じゃん!! なんでこんなものすごい写真が撮れるんでしょうね?? そこに封入されているパワーの莫大なることには腰を抜かしそうになる。とにかくあまりにもすごいのだ。すごすぎる。正直、ぶっ飛びました。

・・って、しかし、出会う時期というのもあるからね・・ 私も一年前は星野道夫のアラスカ波動にひたりきり、アラスカの環境エッセンスまでのんでいたのだから(いまものんでるけど)。いや、アラスカと南の島、これは明らかに通じる。地球のエネルギーという共通項で。この対極の波動をいずれも優れた写真で受け取ることのできる日本人は恵まれているではないですか。

自然のエネルギーに感じる人、聖地が好きな人、ハワイのエネルギーに気づいている人・・には特にお勧めである。

4096806226ハワイアン・スピリッツ 楽園の秘密
三好 和義
小学館 2007-06-19

そしてもう一冊は『巡る楽園 四国八十八ヶ所から高野山へ』である。
こちらは南の島から一転してお遍路ですよ。しかしこれも「楽園めぐり」には違いない。私が行ったことのあるお寺も多いので、懐かしさも混じったが・・
しかしこの写真にあるのはマギレもなく「聖地波動」。たとえば八十八ヶ所の中でも指折りの聖地である焼山寺、鶴林寺、太龍寺、室戸の洞窟など・・私がその地で感じた聖地波動が極めて正確に表現されているではないか。ううむ。それから大日如来ほか「ご本尊」たちもすごいエネルギーを放射している。

まさに楽園写真そのもの。楽園とは、聖地の波動ということである。それは、永遠なる至福の世界から放射されるエネルギーが、物質界の「視覚」というモードにおいて表現された瞬間である。

ともかく極めて濃厚な一冊。ぶっ飛ぶというのとは違うが、そのエネルギーの質の高さは比類がない。お遍路写真集はいまたくさんあるが、そういうのとは違う。こちらの写真集も、私にとっては大衝撃であった。

4096806234巡る楽園 四国八十八ヶ所から高野山へ―三好和義写真集
三好 和義
小学館 2003-12


三好和義はどんどんグレードアップしているようだ。『ハワイアン・スピリッツ 楽園の秘密』は完全に来ているとしか言いようがないが、それは、この地球の波動そのものが上昇していることと無関係ではないのかもしれない。

もう一度言っておくが、スピリチュアル写真とはオーブやUFOの写真ではありません(笑) 

2007.11.02

ダスカロス『エソテリック・ティーチング』

このところ座右に置いてめくっている本は、ご存じ?ダスカロスの『エソテリック・ティーチング』である。

これはかなり本格的に書かれた「霊的哲学」の本である。現代のスピリチュアル本は数々あるけれど、どれか一冊だけを選んで徹底的に読み込むとしたら、といわれるとこの本をあげることになるかもしれない。はっきり言って、決定版といっていい。

この本を思想史の中で対比するとしたら、たぶん、ヤコブ・ベーメの神秘主義哲学の本と比較できるだろうと思う。ベーメの本もたぶん、その当時としては、このダスカロスの本のような感じで、人々に受け止められていたのではなかろうか。ただしベーメは、錬金術用語を使っているのでその素養がない現代人にはさっぱりわからないが、ダスカロスはやはり現代人のために書いてある。

古典ばかりではなく、現代人は現代に生まれた霊的哲学も読むべきだ、というのはそういうことである。

とはいっても、この私でさえ、なかなか簡単ではない(笑) しかし、ほかの思想にはなかなか出てこない、「人間とは、人間というイデアを通過して生まれてきた」というように、イデアの存在をはっきりと言い表しているのもたいへん共感が持てる。それはほんの一例である。理論ばかりではなく実践面への示唆もかなりあるし、これまでは開示されていなかったような情報も含まれているようだ。

ただやっぱりキリスト教、それもギリシア正教がベースとなっているから、ロゴスやキリストのとらえ方など、このブログでも何度かとりあげている教父思想や、ロースキーの『キリスト教東方の神秘思想』みたいな思想に接していると、より理解しやすい面もあるのだが・・

しかし存在の多次元性も明確に述べられているし、私の知る限り、最も厳密かつ明晰に述べられた現代の神秘哲学であろう。

私はこの本を、伝統的な霊的哲学と比較考究するという論文を書いてやろうという構想も持っている。

とにかく、凡百のトランスパーソナル関係本など読むのは、時間のムダ。この本には、現在の地球人が知性によって理解できる範囲のことは、だいたい全部書いてあるのだから。

というわけで読むべし・・だが、マルキデスの三部作を読んでない人は、そちらが先かもしれない。実践編として『エソテリック・プラクティス』があることはいうまでもない。

4931449956エソテリック・ティーチング―キリストの内なる智恵 秘儀的な教え
ダスカロス Daskalos
ナチュラルスピリット 2006-12

ちなみに伝統ものでは、依然として、ニュッサのグレゴリウス、マクシモス、それと谷隆一郎先生の『東方教父における超越と自己』ですよ。もっとも、教父の原著の方は、多分に波動グッズとなっている面もあるが・・(笑)

イルカペンダント

イルカペンダントとはどういうものか見たい人がいるようなので、お見せする。

B000FQM0ZCイルカ(デルフ)エッセンス入りペンダント
ネイチャーワールド 2004-05-31

写真を見せるのに便利なだけで、アマゾンで買いなさいという意味ではないですよ。

ともかく「心が安定する」というのが第一に感じられる効果である。何かゆったりと波に漂うような気分だ。

こういう感覚に慣れてきたら、今度は、イルカペンダントをつけないときも、それを思い出して同じような状態に入れるように訓練したい。こういうのはあくまでそのための補助用具だと思うのだ。

こういうので意識がある意味拡大するとしても、私にとってはそれはべつに「ぶっ飛び」ではない。日常の一部である。天界から清い光を浴びるということだって、それが習慣となれば日常である。本当は何もぶっ飛びはない。すべては連続しており、すべてが生活である。

ノミネートブロガーだって?

更新するひまがなかったが、ネタがいくつか・・

まず、気がつくとこんなものを発見。ここのリンクから来る人がかなりあったので気づいたのだが、いつの間に・・ これは何??

ABA2007ノミネートブロガー [shさん] 「美しさの中を歩め」


ぽちっと投票してみますか?(笑)

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