ひきつづき楽園写真にはまる
いや・・とにかく Liquid Mind の音楽をかけて、三好和義の楽園写真集を眺めているというのは、まさに「楽園波動」ひたりきりの時間である。『エソテリック・ティーチング』をはじめ、他の本は全然読む気なし。楽園写真集をとっかえひっかえ見ているとあっという間に時間がたつ。
しかしなぜ、この深いブルーの世界はこれほどまでに魂を刺激するのであろうか。
三好のイルカ写真『楽園の友だち』を見て、これだと思ったのは、海中の深いブルーから、水面を通してまばゆい太陽の光が輝き、その下にイルカが戯れているという写真。これは、私が最初に Liquid Mind の Balance に出会ったとき、強烈にイメージされた映像であった。まさにこれ。無限のブルーを遊泳するイルカである。
楽園というのは「魂の奥底にある、『至福の世界にいた記憶』を呼び覚ます」という意味である。そういう至福感が、Liquid Mind と相まって、全身に浸透していく快感はたとえようもない。
「スピリチュアルとは何か」という問いへの答えなど、もちろん私は知らない。しかし、この、魂の奥に「至福」が常に存在することを尋ねあてたという喜びは誰にも決して奪い去ることのできないものである。それは光明でもある。その、「光明・至福」のポジションにできるだけとどまること。日常生活の中でも、意識のある一部では、常にそのポジションにいることをどこかで思い出していること、それが私にとっては重要な課題なのだ。
あいつは駄目だ、おれのやってることは偉い・・などというネガティブな思いというのは、結局、「至福」を感じていないから起こってくるものである。至福にとどまっている人には、決してそのような想念は浮かばない。つまり、そういう思いが出た時点で、「落ちている」わけである。もちろん落ちるのは避けられないが、できるだけ早く「落ちてるな」と気づいて、また至福のポジションに戻ること、その繰り返ししかないのだ・・といまは思う。
至福と平安とは同じことなのだ。なるほど、と思う。
これ↓もいいようもなく素晴らしかった・・
「三好ショック」はまだ続いております(笑)
やっぱり、Liquid Mind との組み合わせがおすすめですが・・
ニライカナイ 神の住む楽園・沖縄 三好 和義 小学館 2002-06 by G-Tools |
追記
「至福は魂の奥に見出される」とか書いたが、しかし、至福は宇宙の深部から放射されているものでもある・・
これが実感だ。いや、宇宙の深部からは光が放射されているので、それを魂が受け取るとき至福と感じるのかな・・? しかしどうも、そういうリクツはどうでもいいようにも思えてくる(笑)