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また平井センセネタですが・・

また平井センセネタであるが、リプシウスというページには、次のような論題構成が出ている。

L’âme du monde chez Juste Lipse リプシウスにおける世界霊魂

1. Introduction イントロ

2. Dieu et l’âme du monde 神と世界霊魂

 2-1. La nature de Dieu 神の本性

 2-2. Dieu, le spiritus et l’âme du monde 神、精気、世界霊魂

3. L’âme du monde et le macrocosme 世界霊魂とマクロコスモス

 3-1. La création du monde et sa semence 世界の創造と種子

 3-2. Le monde comme un animal rationnel 理性的な動物としての世界

 3-3. L’éther, les astres et l’âme du monde エーテル、星辰、世界霊魂

4. L’âme du monde et le microcosme 世界霊魂とミクロコスモス

 4-1. La semence céleste et la génération humaine 天界の種子と人間発生

 4-2. L’âme humaine, l’éther et l’âme du monde 人間霊魂、エーテル、世界霊魂

5. Conclusions 結論

            (http://www.geocities.jp/bhermes001/lipsius.html)

ほほ~お・・すばらしい。というのは、私がこのような古代思想の研究に興味があるということではなくて、私はもしかして生まれる時代を間違えたのでは?? という思いに駆られるということでもあった。リプシウスとか誰かがこれについてどう考えたかを知りたいというわけではなく(知ってもいいが)、それについて自分はどう考えるのかをこうした古代哲学者と「対話」したいという気持ちなのだ・・

ええ、そうですとも! 「天界の種子と人間発生」、「エーテルと世界霊魂」・・私はいろいろ言うべきことがありますよ! ハイ。

まあそのうち、このリプシウス論文もアップされるかもしれませんね。

実は最近・・以前このブログで「これはものすごいぶっ飛びですね~~」と驚嘆を表明した本を、ついに読んでしまったのだった。思ったほど荒唐無稽ではなかった・・というより、初めからこれは神話なんだな、それが文字通りの真実かどうかということより、そのようなストーリーに耳を傾けることによって、魂の中に生じてくるある感情が問題なのだ・・ということが直観されたのである。それはまるで、ヘシオドスの「神統譜」のような、古代の吟遊詩人による「世界起源の物語」ではないか、と思えたのだ。

思想から、「世界起源の物語」としての機能が失われて久しい。そのようなものを求めてやまない熱情は、なおも魂の中にくすぶるのである。

一太郎の中で泳ぐイルカくん


Ichtaro


画像のアップって意外と簡単なのね・・

イルカくんより年末のご挨拶でした。

年末のつぶやき2

で・・この年末年始の休みでは、シェリングの自然哲学関係の文献を中心にやってみようかと思う。

哲学というのは用語はむずかしげだが、それをいわば宗教的・霊的なイデーに還元してとらえてみれば、案外シンプルなことを言おうとしている、ということも多い。

思想家として優れている人は、宇宙からイデーを受信することができた。それをその当時に一般的である思想言語で表現したということだ。

もちろん、「お勉強」だけでものを言っている人は多いが、そういう二流を相手にする必要はない。

まあ、その見分けができるようになることが、「わかってくる」ということでもあるが。

しかし、あんまり学術書についてのコメントなどを書くのも・・ふつうの人には何だかよくわからないだろうし、また、その道の専門家に見られたら、「なんだ、そんな基本的なことを今はじめてわかったのか」とか、「おいおい、そんな基本的な文献を今まで読んでなかったのかよ」などと思われるのは確実なのだ。私の専門知識には限界がある。私のアドバンテージはただ、「両方の世界」をある程度知っていることにある・・ 「両方」って何と何かって? さあ・・(^^;

年末のつぶやき

イアンブリコス(新プラトン主義の思想家)の研究書に、「イアンブリコスは、当時の(ローマ時代)の民衆宗教をプラトン主義化した」という位置づけがなされていたが・・

私が現在やっているというか、やろうとしていることも、現在の民衆レベル(つまりアカデミックではなく、メジャーな宗教ともかかわりがない)の宗教的イデーを、思想的に表現するというようなことかもしれない。べつにそれが「役割」とか思っているわけでもなく、ただまあ、何もしないのもひまだし、そういうことでもやるか・・というか(笑)

もっとも、人生の主要なエネルギーは、地球圏を最終的に離脱し、より宇宙の中心部へ移行することへ向かうのを基本としているので、思想関係の仕事は、私にとって中心的な意味はもっていない。

思想のための思想ではなく、生きるための思想である。思想は生きることに従属する。

宇宙論的な知性(引用)

ひさびさに平井センセHPから・・覚書的に引用。

  僕は哲学者のような大雑把な話をするのが好きではないのですが、それを承知であえてすると、原型が実体世界で具現化するプロセスを司るものを考えた時、ルネサンス期の物質理論や生命の科学では、物質の中で職人的に作用する(ある意味で擬人化された)力の概念を発達させていったのだと思います。それがパラケルスス主義者にとってのアルケウスであり、発生学で展開された形成力といった概念です。そもそもアリストテレス主義の伝統では、アダム君の研究が示唆するところから考えると、その役割は宇宙論的な次元を持つ知性が担っており、ストアの文脈では既に神自体が形成的な火であり、プネウマである訳です。それに対して、プラトン主義の文脈では、デミウルゴスという神とその子供たちが、それに対応することになるかと思います。で、ルネサンスは、プラトン主義的なフォーマットに従ったように見えるかも知れませんが、それをアリストテレス的な自然哲学に結合させて、ストアの要素もしっかりキープしているところがミソです。つまり、そういうことを古代の段階でしようとしたのが新プラトン主義であり、ルネサンスはまさに、新プラトン主義のフィチーノ的解釈のもとに展開されていったと思えるのです。で、こういう粗雑な結論を出したところで満足するのが哲学者、それを時間軸のあるテクスト伝統の展開の中でストイックに追うのが歴史家なのでしょう。 http://www.geocities.jp/bhermes001/ochema.html

私は基本的にストイックじゃないから・・(^^;

ただ私は、その「宇宙論的な知性」を措定する思想伝統がつい最近までつづいていたことだけを確認すればよい。そして、そのようなコンセプト(イデー)を現在に復活させるには? と考えるのみである。

ちなみに上述のページは、アストラル体やエーテルなどについての西洋精神史に関係する学術情報への案内として貴重なものである。

・・しかもっ!! しばらく見なかった間に、「ローマ期の宇宙神学・宇宙宗教」というページが追加されているではないか・・なんという知的饗宴であろうか。

「宇宙神学」・・このことばだけでも反応してしまうが(^^;

春休みには、ジョセフ・モローの『プラトンからストア派までにおける世界霊魂』その他、「基本書」とされているものの読破に挑むつもり。

しかし・・ドイツ語とイタリア語にはもう少し読解力向上が課題。英語とフランス語だけでは足りないんですよねー・・

画面をイルカくんが・・

私のパソコンの画面には、イルカくんが泳いでいる。デスクトップではなく、大半の時間を使っているワープロの画面が青くなっており、そこにイルカくんがいるのだ。これは、実は一太郎というソフトの機能の一つで、「リラックスビュー」と呼ばれるもの。もちろんイルカ以外にもたくさんのものが選べるが・・

実際、ワードなんか面白くもなんともなく、とても長時間は作業できない。文章のほとんどは一太郎で書いている。これに慣れると、なかなかワードには戻れない。だいたい、まっ白な画面をずっと見ていると目が疲れてしようがない。画面の色をブルーにできるというだけでもありがたいのに、イルカくんまで登場とは・・ということである。

カリスマへの警戒

もう一つ思うのは、現在ではもはや「カリスマ型指導者」という形式は古くなっているのではないか、ということ。

つまり「私に従え」として人々を引っぱるという形は、これからの霊的進化にはそぐわないであろうということだ。今は、もっと「内からの進化」を促すような導き方が主流になっている。

強力な霊的指導者に従っていく、というパターンも過去にはあり得た。そのやり方はたぶん「あるところまで」はすごく速く行ける。ところが、ある段階でトラップされてしまう可能性が強いと思う。つまり、その指導者とそれに従う人の間で、ある種の磁場ができてしまい、それがアストラル次元において強力に形成されるので、そういう意識エネルギー場から離脱することがむずかしくなってしまう危険性があると思う。

過去の宗教の多くは、そういうものだった。しかし現在からそれを見てみれば、多少とも、「カルト」という雰囲気を感じてしまう。キリスト教だって、信仰をしないと地獄に堕ちるみたいな言い方で人を脅かしているようなものはカルトである。モンローの言うフォーカス23~25の世界になってしまうわけだ。つまり、「磁場から抜けられない」という状況は、死後も継続するのである。

どうしてもカリスマ性を持った人にひかれてしまう心性は誰しも多少あるだろうが、そういう強烈な個性に教えを受けると、あるところまでは速いが、あまりにもその色に染まってしまって、そういうアストラル次元の共同現実の世界から離脱しにくくなる、というリスクも考えておいた方がいいだろう。

神智学とか、シュタイナーとか、ああいうのも時代的な背景で、多少ともそういうカリスマ性が漂っている。そういうエネルギーの影響を受けないように気をつける必要はある。そこにはすでに、かなり強烈なアストラル的磁場が成立しているからだ。それ以上の次元に抜けられないというわけではないので、その意味ではカルトとは違うが、磁場はたしかにある。

最近に出てきている霊的書物などは、そのようなエネルギーは持っていないものである。内なる導きに従うことが強調されていることが多い。カリスマ性というのも、ある意味では、地球の重力を離脱するための方便であり、地球のエネルギー変化と共に、不必要になっていくのではなかろうか。

こんなことを書くのも、私は最近特に、こうしたカルト的、オカルト的なエネルギーに敏感になっているからかもしれない。どうしてもそういうエネルギーが駄目なのだ。アストラル的に、ひじょうに凝集性が強いというか、その磁場に引きつけてしまうような、そういうエネルギー的な性質を持ったものがあるのだ。そういうものには警戒してしまう。ただ、「駄目」といっても、批判をしてしまうと、また自分のエネルギーが落ちてしまうので、どうしようもなく、とりあえずは「逃げる」しかないという状況だが(笑)

霊感商法に思う

警察の偉い人が霊感商法に関与したということが問題となっているが・・「霊感商法」というのはなかなか詐欺としての立件がむずかしいと聞く。「だますつもりがあった」ということを証明しなければならないからだ。

実際、当人たちは本当に霊的な効果があると思っていたという場合は、刑事事件にはできない。霊的な行為をしたりグッズを売ったりでお金をもらうために、効果があることを科学的に証明しなければならない、というわけではないからだ。「病気が治る」と言えば医師法にひっかかるが、霊的な効果をうたうばあいには何もひっかからない。それを規制すれば、神社でお守りを売ることもいけないことになってしまう。霊的な商売が、本物かどうかという判断を警察や行政が行う、ということになってはまずいだろう。だからその方法自体が効果があるかという問題ではなく、あくまで「だますつもりだった」ということが立証されねばならないわけである。だから原則的には、こういう摘発は明らかな詐欺以外の何ものでもないケースに限定すべきだろう。

しかし、こういう被害に遭うというのは、だまされた人にも責任があることはもちろんである。そもそも、偽物を本物と思ってしまったのは自分の霊的判断力(サニワ力)が低かったということになる。サニワ力を高めるにはどうしたらいいかというと、それは端的には「よい波動のもの」にたくさん触れるしかない。そうすれば変なものは自然と「違う」ということがわかるはずである。べつにむずかしいことはない。骨董品の鑑定と同様である。だから定評のある聖地へ行くとか、霊的書物を読むとか、そういう体験を重ねれば自然とわかるようになる。

また、もっと簡単なのは「相場を調べる」ことである。今回のように、何百万、何千万という金額はありえないので、それが本物と信じるのはよほどこの「業界」に無知なのである。ネットでいろいろ調べてみれば、だいたいここらからこのへんまで、という「相場」はわかるのだ。相場の百倍以上も値段がするものなんて、おかしいに決まっているのである。本物は「適正価格」の範囲内で商売をしているはずである。こんな簡単な見分け方があるのだから、もっと調べたらいい。(ただ、適正価格だからといって本物とは限らない。それはあくまで必要条件で、十分条件ではない)

神社のお守りは数百円で売られている。もしそれが「特別なものだから五百万ですよ」と言われれば、ちょっとおかしいと思うのがふつうである。そういう単純なことである。

ちょっと計画

というわけで・・心のままに、ということで、ちょっと考えているのは、これまでのブログの中から思想関係のものを整理して、本の形にまとめることだ。ごく少部数を安くできる方法もあり、店頭には並ばないがアマゾンでいつでも買えるようになっていればいいだろう。出したいものを好きなときに出せるというのもこの時代ならではことだろう。

もちろん電子媒体ではいつでも読めるが・・物の形で手にしてみたいというのは、地球を去る前にじっくり物質界での行為の結果を確かめようということだろうか??

かくて「移行計画」は着々と進む・・??(冗談ですよ。念のため・・)

単なるつぶやき

ある小説家がこんなことを言っていたが・・ 自分が小説を書くというのはある程度、生活のためという要素もある。もし一錠飲めば一年間何も食べなくてもいいというような錠剤があれば、大勢に読んでもらうため小説を書くのはやめて、自分をわかってくれる10人か20人の人を集めて、物語を語るという、吟遊詩人みたいな生活がしたい・・

なるほどな~ そうそう、という感じで・・考えてみたら私はべつに本をいっぱい売らなければならないという状況ではないわけで、何でも好きなことをしてかまわないわけである。

なんか、いろいろなしがらみみたいなのが、急につまらくなったというか、どうでもいいというか、そのような「吹っ切れ」の気分が、最近ちょっとするという感じである。

もし明日、円盤が来て、今から別の星に連れて行きますよと言われても、ためらいなくそれに乗れる・・というか、あくまでこの世界にいるのは「観光客」ということかもしれない。ホームは別にある。

純粋に自分の創造性のみを追求して生きるようになれれば、もう地球という環境は必要ないのではないか。そういう境地に少しでも近づくことだ。いや、自分はそこに至っていないという思いこそが、障害なのかもしれず・・

すべては意識設定である。

これが、最近、自分の中に反響しているメッセージである。

久々のヘミシンク

きょうは久しぶりにヘミシンクのゲートウェイを取り出して、フォーカス21のフリーフローをやってみる。

最初はあまりイメージが見えず、体勢を変えたりして二回目で、いろいろと見ることができた。フォーカス21というが、そことは別のある宇宙領域から来ている存在があり、そちらの人々?の「宇宙船」を見に行くというヴィジョンである。宇宙船の中をいろいろ見学させていただいた。

※これはイマジネーションの産物である。イマジネーションの世界を「実在」と見るか「仮想」と見るかは、「現実という概念に関する形而上学的立場」により異なるものであることを、お断りしておく。

どうもヘミシンクというものは、あまりにも深く入ろうとがんばると、かえってうまくいかない。ヘミシンクで何を見るといっても、トランスとしてはかなりライトだと思う。つまり、実際には「これって自分で作っちゃってるんじゃないですかね?」って思うくらい、イメージスクリーンに展開する映像を見ていくみたいな感じが、「見える」ということだ。集団でやるセッションだと違うのかもしれないが、CDでやる場合は、あまり深いものを期待しすぎるとかえって力が入りすぎてしまう気がする。イメージに浮かぶストーリーを「ほんとかね?」って感じで楽しむくらいの感じにするといろいろ見える。私はかなりエンターテインメントのつもりでやっている。

つまり、黙って聞いていれば自動的にすごい経験がどばっと押し寄せる、なんてことを期待するのではなく、ある程度能動的に、「想像してみる」という姿勢で臨んだ方がよろしいということだ。

なお、時空を超えるということで、ヘミシンクをやりながら「臼井第三シンボル」を流して、そのエネルギーに全身を入れてしまうとやりやすくなるように思う。

臼井セカンドまで持っててゲートウェイも持ってる人ってけっこういるだろうな・・お試しになっては? 

エッセンスの話

いま、アラスカエッセンスがセールなので、大量に個人輸入しようと、いろいろ選定に悩んでいる。

このところ定期的にとっているのは、アラスカのリャードホットスプリングスだ。これはカナダのブリティッシュコロンビアにある温泉のエッセンスである。大自然の中の温泉のエネルギー。実際の温泉は近くにたくさんあるがさすがに「大自然の中」とまではいかない・・北海道ではないからね。これは温泉エネルギーによって「本来の自分を取り戻す」という効果が期待できる。

もう一つはFESのイリューミンというコンビネーションボトルだが、これは光が欠乏する状態に対処するもので、冬場の日本海側人にはありがたいものだ。アラスカにもライトン・アップというのがあって、似たようなものだ。

哲学講義もラスト近く

いろいろ日程がおしてきちゃって、ついに近代ヨーロッパ哲学は2回でしゃべることになってしまった。すごいことに・・ スピノザとライプニッツは位置づけが面倒なのですべてスルーすることになってしまう(笑) そういえばベルクソンも無視を決めこんでいる。枠にはまらないということは面白いということですがね・・

今回は、「近代ヨーロッパ哲学は、人類の哲学史においてはアノマリー(例外)だ」という立場を鮮明にしている。ま、聞く方はそんなことはわからないだろうが。

簡単に言えば

伝統哲学期A:8~11世紀 新プラトン主義的キリスト教哲学の時代 エリウゲナなど

伝統哲学期B:12~14世紀 スコラ哲学とキリスト教神秘主義の時代 ~~アリストテレスの影響によるトマス哲学、エックハルトの神秘主義など

伝統哲学期C:15~17世紀 ヘルメス主義哲学の時代 ~~ルネサンス期より、新プラトン主義的世界観が優勢となる。

17~18世紀: 知における「聖俗革命」の成立、宇宙ヴィジョンから「聖」の次元が喪失する。機械論モデルの成立。哲学においては、「疑いの哲学」が起こる。それまでは「宇宙(存在・自己)の根源とは何か」との問いが哲学の中心だったものが、 これ以降、「確実でないものはすべて疑い、これだけは絶対に確実といいうるものは何か」という問いが、哲学の中心となる。

18~19世紀: カントにおいて疑いの哲学が進められ、「世界が実在する」ことさえも確実ではないことが証明されてしまう。ここにおいて、「根源」について哲学からは何も知り得ないというニヒリズムが胚胎するのだが、それがニーチェによってあからさまにされる。一方、ヘルメス主義哲学の地下水脈がドイツロマン主義で表面化し、シェリング、ヘーゲルのような宇宙ヴィジョン的な哲学が生まれた。19世紀は疑いの哲学とロマン主義との対抗である。

20世紀: 疑いの哲学はフッサールによって進められるが、「世界経験がそこに現象している」という事象を生み出すものは何かという問いにつきあたり、この問いはハイデッガーによって再び存在論へと導かれる。そこで結局、「自己を明け渡すことにより根源へ接近する」という、東洋哲学的アプローチへ接近した。一方、ポストモダン派によって、「絶対確実なものはない」ことが確認され、18世紀以来の「絶対確実なものの探究」という意味での近代哲学は終息した。

こんな感じ。

なお、スピ系は、「伝統哲学で語られている範囲内でのみ語る」ことにしており、それ以外は封印しておりますから(笑)

それから、聖俗革命とはむろん村上陽一郎の科学史でのことばを哲学史に応用したものである。「疑いの哲学」とは私が考えたことばで、「疑えるものは徹底して疑い、これだけは絶対に確実と言えるものを探究する」という精神による哲学を指す。これが近代哲学の最も基本的な精神だったという理解である。そしてこれは20世紀に終わったと解釈している。

以上は、細かいところをつつくと暴論のようにも見えようが、ユニバーサルな伝統哲学から離脱したヨーロッパ近代哲学の基本線を、自分なりに描いてみたものである。

それにしても・・哲学の入門書のたぐいを見ると、相も変わらず、「徹底的に疑え」と書いてあって、近代哲学の呪縛から逃れられない人がまだ大半なのだと感じる。常識を疑うというのは哲学というより学問の基本だからそれはいいとして、哲学に求められるセンスはそれ以上に「世界の根源にあるものへの直観」であり、それは言うなれば霊的な性質のものなのである。あるいは「高次なるものへの畏敬の念」とでもいうか。それがハイデッガーもいう「根本感情」だ。それが最も重要な資質なのであって、「疑え」としか書いてないような本は凡庸というほかないのである。根本感情については語るべきものを持っていないということである。

近代精神とは人類史における実験ではあっただろうが、それはもう限定された意味しかもっていない。

サイキック・ヒーリングとスピリチュアル・ヒーリング

ヒーリングには、類型的にいえば、自分の中に貯えたエネルギーを出していく方法と、宇宙からのエネルギーをそのまま媒介する方法とがある。『黎明』という、一部では有名な本では、前者をサイキック・ヒーリング、後者をスピリチュアル・ヒーリングと呼んでいる。

代表的には、前者は気功、後者はレイキ等である。ただ気功の中にも、後者のやり方をしている人は一部ある、という感じだろうか。

気功について、人には『気功革命』をすすめているくせに、自分ではそれはやらず、自分でやるのは禅密気功である。これは中心軸の浄化ができ、霊的なワークとの相性がいいというのが理由だ。ただ、禅密気功の先生も外気功によるヒーリングをするが、それはやはり気功では標準的なサイキック・ヒーリング型、つまりいったん自分の中に蓄えたエネルギーを出していくやり方だ。

それはちょっと、私のめざすところではない。私はあくまでも、宇宙からの「無限供給」の世界を追求しているので、気功をディープにやって、外気功をできるようになろう、とは思っていない。禅密気功は、功法体系としては宇宙からの気を受けるような方法があるのに、なぜ無限供給型のヒーリングにつなげていかないのか、その点が私にはちょっとひっかかるところではある。

この区別は、いわばエネルギーを出す際の「回路」の設計の違いというようなことである。

それでは気功とスピリチュアル・ヒーリングとのエネルギーの違いはあるのか? といえば、それはたしかにある。
ただし、気功といってもその中にもいろいろあるということだ。それは功法によっても、またやる人によっても、どのレベルのエネルギーにアクセスするものであるのか、それはいろいろと違いが出てくる。

一般的には、気功で動かすエネルギーは、比較的体表に近いところにある、つまり肉体次元に隣接しているレベルのエネルギーが多いのである。ただそれは、「意念」の持ち方によっていかようにもなり、かなり次元の高いエネルギーを摂取するということもまた不可能ではない。禅密気功でもかなり「光」に近い次元の気にアクセスできる。八段錦のようなシンプルな功法でも、意念を宇宙の高い次元の気においてやれば、その次元の気を入れることは可能だと思う。ただ功法によって、そういうことがやりやすいものとそうでもないものとの違いはあるようだ。

スピリチュアル・ヒーリングのエネルギーは基本的にコーザル次元以上のものがその源となっていると思う。そうでなければスピリチュアルなどとは呼べない。またこうした次元のヒーリングでは基本的に「そちらの側」からのサポートがあり、ある程度自動調整がなされる。一方サイキックヒーリングでは自分で判断しなければならない。また当然自分や相手のアストラル次元のエネルギーにも影響を受けやすい。従ってサイキック・ヒーリングではかなり熟達した人しか、他者のヒーリングをすることはできない。ふつうは、自己ヒーリングにとどめておくのが無難であろう。他者ヒーリングをしたければ、素直に、スピリチュアルヒーリングを学び、そのメソードによって「契約」されている高次存在の力に頼ることである。従って私は、外気功などの方法はもう「時代遅れ」だと思っている。簡便に宇宙エネルギーを流す方法が出現しているからである。気功はあくまで、自己鍛錬として、スピリチュアルなワークをエーテルレベルにおいてサポートするものとして、学ぶ意味があるものだと思う。

ただ、スピリチュアル・ヒーリングにはどうしても、サポートする高次元存在というコンセプトが一体のものとしてあるので、現在の社会ではまだ抵抗感が強い部分があるだろう。現在の知的な世界で、受け入れられるものと駄目なものとの分離境界線となっているのは、「宇宙には人間よりも高次な存在があり、人間をサポートしている」というコンセプトを受け入れられるか、というラインなのである。そこを踏み越えるとどうしても「宗教」の世界と見なされてしまい、知的な世界から排除されてしまう。したがってそこをはっきり言ってしまうのは、私のように、「覚悟を決めて」、その世界での栄達などを完全にあきらめた人間にしか可能ではないのである。今のところ、気功あたりがその限界線なのである。私が「普遍神学」と言い、あえて「神学」を名乗っているのは、私は意識的に、承知の上でそこを踏み越えますよ、という宣言という意味がある。

「普遍神学」ではない「キリスト教神学」も、人類を救済する霊的存在(つまりキリスト)のことをはっきり言うわけだが、他の学問からはまったく相手にされていない。歴史的には、大学とは神学部を中心に発生したもので、総合大学で神学部を持たない大学というのは、明治の日本にできた東京帝国大学が世界初であったと言われている。また工学部を正規の学部としたのも東大が世界初であったそうだが、この辺からも、日本の大学というものが最初から、宇宙の根源について思索することが学問の基盤だ、という発想を無視したところから出発していることは明らかである。・・・と、話がそれてきた(笑)

他者へのサイキック・ヒーリングを興味半分にやるのは危ないということは肝に銘じる必要がある。それをやって、相手の邪気がどばっと来てしまってひっくり返り、大変なことになったという事例も、身近に見聞きしている。他者ヒーリングは「自分でやろう」と決して思わず、宇宙の高次の意思に委ねるというのが基本だろう。

ヒーリングの時は、「治そう」という思いさえも捨て、「高次元の宇宙の名において、最善のことが起こりますように」という祈りで始めること――と、アチューンメントなどでは指導しようと考えている。その病気などが、重要な学びの意味を持っている場合もあることを忘れてはいけない。

再び、アトランティス等に関する思考実験

いま、ふと気がついた。以前、アトランティス伝承に関して、「地球の時空がリセットされた可能性」について考えたことがある。

しかし、これを別の見方からすると、「地球領域にはかつて、現存の地球人とは異なる時空認識構造を持った知的生命体が住んでいた」と考えてもいい、だいたい同じことになるのだった。

ここで、すべての前提として、知っておくべきことは二つ。一つは、歴史とは決して「客観的」なものではなく、すべては構築された記憶であり、それはその存在の認識構造に依存しているものだということ。そして二つ目は、そもそも客観的な事実とは、同一の認識構造を持つ存在が互いに共有している時空領域においてのみ成り立つということだ。
以上の二点をふまえ、「地球とは、現存の地球人が認識している以上のものである」と理解することが必要である。地球とは多次元的な領域であり、現存の地球人はそのうちごくわずかの部分しか見ていない。

つまり何が言いたいのか・・? 要するに、アトランティス人とかレムリア人などといわれているものは、現存の地球人ではない。それとは異なった世界認識構造を持つ生命体であった、と理解することも可能であろう、ということである。

従って、それは地球的現実についての「我々のバージョン」における「歴史」の中に見出されることはない。つまり、もしアトランティスなどが「存在した」と言いうるとすれば、それは、現存の地球人という構造を超えた、もう少し高次の視点から多次元的な地球を見たとき、地球領域において生きていた「種族」がいくつかあり、現存の地球人はその一つにすぎず、他にも異なった「種族」がいたということを意味している。その別の種族は、我々とは異なる認識構造をもつので、彼らが見ていたのは我々が見ている地球とは同じではなく、あくまでも彼らなりのバージョンの地球なのである。

つまり、「地球の時空がリセットされた」というと、何か、地球の時空なるものが客観的にあって、それが操作されたかのような印象を与えるが、そういうことではなく、時空構造が変わったということは、あくまで地球に住まう生命体の認識構造が異なっていたということではないだろうか。

この仮説から出てくるもう一つのことは、現存の地球人の「魂」は、決してこのバージョンの地球人という種族の内部だけで転生しているとは限らず、「他の種族」としても転生したことがある、と理解することが可能である、ということであろう。簡単に言えば、地球に住んでいた知的生命体は現在の人間だけではない。もっと異なる種族もあった。しかし、人間はあくまで人間の認識能力の範囲内でしかものごとを見ることはできないので、その「現行地球人的な、地球の過去のバージョン」内には、いくら探してもアトランティスやレムリアの痕跡を見つけることができるはずはないのである。そうした「歴史」を見るためには、現在の人間よりも高次の視点から、多次元的な地球を見なければならないのである。

いちいち繰り返す必要もないと思うが、以上のことはいつものように「思考実験」として、「そう考えることもできる」ものとして提示されているものであり、私が実際に霊的能力によって「見た」ものではないので、その点はくれぐれも誤解しないように・・(誰もしないか(^^; )

アース・エンジェル論への疑問について

バーチューさんのアース・エンジェル論の反響が多いらしいが・・すでに書いたように、はっきり言って私はあんまり本気にしているわけではない(笑)

私は、そのタイプ分けができるというサイトをまだ見たことがないのでなんともいえない。ただ、バーチューさんの本自体が訳されてなくて、読んでいないで話をしている人が多いのだろうが、基本的な前提を勘違いしている人が多いようである。自分はどのタイプだとか、それはまず自分がアース・エンジェルであることを前提としているようだが、バーチューさんの書いているところだと、まず、アース・エンジェルだという人の割合は、ごくごく少ない。みんな自分はアース・エンジェルだと思っていて、自分はどのタイプかなどと話しているのは、基本的におかしい話なのである。自分はどのタイプでもないようだ・・ということなら、あなたは地球上で輪廻転生を繰り返してきた「ふつうの人間」であってアース・エンジェルではないのである。ただ、二つ以上のタイプを合わせ持っているということがあるとは、彼女は言っているが。これがバーチューさんの書いていることである。もう一度言うがアース・エンジェルである確率はかなり低い。そういう前提で言われているタイプ論である。(断っておくが、私は彼女のこういう論が正しいとして紹介しているわけでもない)

本当に、今の人生以外に一度も地球での転生がなかったという人もまれにはいるであろう。厳密に言えばそういうケースのみをアース・エンジェルと呼ぶべきであろう。

だからたぶん、地球での転生経験がないか、少ないというケースで、アース・エンジェルということばを厳密に使用するべきではないか。だから厳密にはワイズワンは排除すべきではなかろうか。ともあれ、自分はどのタイプかということの前に、基本的に、「自分は転生経験がきわめて少ないのかどうか」という問いが来るべきということだ。

ぶっちゃけ言えば、自分は何タイプかと騒いでいる人に、「あんたのどこがアース・エンジェルなのよ」とツッコミを入れたくなるようなケースも、あるということだ(笑)

ワイズ・ワンという、地球上でいろいろヒーラーや魔女や秘密結社をやっていた人々というのは、そもそもアース・エンジェル論にはなかったことで、最後に付け加わったものだと書いてある。よく考えると、このカテゴリーの人々は、ずっと地球にいて転生してきたことになっているから、本来の意味でアース・エンジェルではない。もともと「地球でないところから転生してきた」という意味でアース・エンジェル論がスタートしているので、厳密に言えば違うカテゴリーのものがまざっていることになる、と私には思える。

以上は、まずバーチューさんの論自体が誤解されている点、そしてバーチューさんの論の不整合な点についての疑問である。

しかし根本的な疑問としては、「直前の転生は何であったか」という問題は、あまり意味のないことではないかということだ。そもそもそれは、転生とは何か直線的なものだというイメージを前提としているが、その前提そのものがかなり疑わしい。

魂の個別性というのも難しい問題なので、より次元が上のレベル(つまり坂本氏の言うITクラスターというか)では、多数の転生経験が集合しているので、どこまでを個人の転生と見なすかもなかなか困難なのである。

たとえばITスーパークラスターみたいなレベルに行けばみなが「天使」であろう。また「私」が属している魂のグループの中には、地球でない世界領域にいる部分もあり、そういう「宇宙人」的なエネルギーと共鳴するということもありうるわけだ。

私が言うのは、アース・エンジェル論の前提となっている転生観というものが、魂とか「私」が成立していることの複雑性を全部落としてしまっていて、わかりやすくはなっているが、反面、魂とか「私」がまるで一つ二つと数えることができる「もの」であるかのような見方をしてしまっていることだ。もちろんはすべては「方便」ではあろうが、もう少し相対的に真理に近い見方をしたいものではないか、と思えるのである。

「私」は多次元に同時に、いろいろな場所にいるものである。ある世界領域を去って、地球に来た、という言い方は単純すぎる。私はいまもそちらにいるし、同時にこちらにもいるのである。だからスターパーソンというのは、そういうエネルギーがいま活性化している人だ、というふうに見たらよいのではないだろうか。誰だって、魂のある部分では宇宙にいない、という人はいないのである。100%地球にいる人間などひとりもいない。言ってみればある部分ではすべて宇宙人である。ただそういうエネルギーが活性化していないだけである。地球上で転生を繰り返しているのが大多数の人間であるとしても、もともと魂とは地球で誕生したものではなく、もとをただせばすべて宇宙より到来しているわけである。

メッセージ

さまざまな「霊的な道」は(過去には宗教と呼ばれたが)、本物はみな、宇宙から到来した情報に基づいている。人間の知では、高次元とつながるようなものを作ることはできない。

そうした「到来」は、それぞれの時代や状況に従って、下ろされるものである。
だから、過去に下ろされてできた「かたち」を、絶対視してはいけない。
現在もそれは下ろされ続けている。その、現在において成立している形の方が、現代人にははるかにやりやすいはずなのだ。ただし偽物も多い。いま多くあるものの中から、本物をより分ける力が必要だ。そのためには、自分を浄化された状態に保つことである。

・・以上は、誰かのメッセージなのか? こんなことばがいつのまにか出てきたが・・(^^;

このごろは

このところいろいろと起こっているが・・ここであまり詳細に語るという時期は来ていない。はっきり言って、坂本政道さんの本に出ているようなことは、多少あった。とはいってもヘミシンクを実践したわけではないが。

冬休みから少しものを書こうと思っている。これはまったく自由に書きたいことを書いてみようということである。
昨今は出版事情が厳しいので、出版社に採用されようと思うと、いろいろと書きように気を使って、売れ線を意識しなければならない。しかしそういうことは今回あまりしたくないので、ごく少部数のオンデマンド出版という形で、ともかくもいちばん書きたいことをまとめておこうという考えである。それでも、アマゾンや出版社のHPでいつでも注文できるので、入手の問題はなかろう。

もちろん「うちで出してもいいよ」というオファーは拒否するものではないが(笑) まあ、べつに期待はしないということである。

霊的ブースターロケットの必要性

その、イルカくん情報で思い出したが、前にも書いたことがあったっけ?・・「地球の重力を突破する」というものとしてあったのがクンダリニーヨーガという技法だったと思う。宇宙船を飛ばすのに、ものすごい巨大なブースターロケットをつけて、地球の重力を振り切り、ブースターを捨てて宇宙へ行く・・というのがあったが、クンダリニーを目覚めさせて一気に行ってしまおうという技法は、それを連想させる。しかし同時に、この技法が大いなる危険を伴うことは周知のところだ。

このような方法も、宇宙からのエネルギーが強くなるにつれ、だんだんと必要性が減ってくるのかもしれない。

イルカくんによれば

あまりシリアスな感じの秘密結社的エネルギーは、「いかにして地球の重力を突破するか」ということがテーマだった時のエネルギーで、現在は地球のエネルギーがかなりシフトしてきているので、状況が変わってきている、ということだった。今はもう少し女性的なエネルギーが必要とされているということらしい。DSTなんかがほとんど女性だというのもそういうことなのかも? 宇宙からのエネルギーが増大しているので、重力突破というテーマはある程度、過去のものになりつつあるとか・・ どうしても重い感じにひかれてしまう人はぜひイルカペンダントを使いなさい、とか言っていましたけどね・・(笑) なお、この項は理性によって書いていないので、そのつもりで。

魔術系はダメよ(笑)

バーチューさんのアース・エンジェルは・・なんか、占い的に楽しんでいる人も多いようだが、要するにこれは「タイプ論」であるということだ。それが霊的真実をどの程度の割合で反映しているかは、「?」もあるということはすでに述べた。参考文献に載っていた本を検索してみると、正直、「???」な本もある。

しかしタイプ論としてはよくできているので、その限りでは有用でもある。

Wise Ones というのは「賢き者たち」ということで、具体的には「転生した巫女、魔術師、魔女、シャーマンなど」を指している。私はというと、どうもこのカテゴリーのものが、最近はエネルギー的に受け付けないのである。

本にも書かれているがこういうエネルギーのものは何となく「まじめさ、重さ」がある。その人の性格として、あまりジョークを言わないとか、そういうことではなく、エネルギー的に、何か秘教的な世界に、深く深くコミットしてのめりこんでいくみたいな感覚が漂っているということだ。つまり、秘密結社的エネルギーとでもいうか。そのように閉ざされたサークルで、「私はすごいディープなことをしているぞ!」という感覚を持つのがとても気持ちがいいというタイプだ。

どうもシュタイナーなどにひかれる人は、そういうエネルギータイプが多いような気がする。

シュタイナーそのものは、いろいろと学ぶところが多いものと思うが、私はどうもこのところ、こうした「ワイズワン的エネルギー」を感じてしまって、その点がどうも駄目。シュタイナーの本でも、中には思い切りそういう「深いのめりこみ系」の秘教的書物があるが、私にはどうも正直言うと「こわい」という感覚がしてくる。

また、たとえばオイリュトミーとか、有名なK.A.氏の公演のチラシをもらったのだが、そこで白い衣のようなものを着て飛び上がっている彼の写真があり、まさにエーテル体の可視化という感じだったが、これもとびっきりこわかった。認めないとか批判しているということではなく、ただ私の世界にはあまり入ってきてほしくないエネルギーだった(つまり、自分はトンカツが嫌いだといっても、それはトンカツが好きな人を批判するわけではなく、またトンカツ屋などというものがこの世からなくなってほしいと思っているわけではないのと、同様である)。どうにもこわくてしかたがなかった。これを見に行くというだけではなく、合宿で氏に習うなどという人がいるというのは、私には、レバーを生で1キロ食べるということほど考えられない世界である(私は、レバーが激しく嫌いである)。

もう一つこわかったのは、クローリーのトート・タロットだ。実物を見せられたが、これも3m以内には近づけないエネルギーであった。これを手元に置き、毎日引いているという人のエネルギー構成はどのようになっているのか理解を絶している。

K.A氏、クローリー、いずれも魔術師系であることはいうまでもない。そういう人を中核とした閉鎖的なオカルト集団(オカルトとはネガティブではなく、ニュートラルな意味で用いる)のエネルギーということでは共通している。そこに集まる人々は、かなり昔から「その道」を実践していたであろうことも想像に難くないのである。

こうした秘教集団は限りなく「カルト」に近いが・・結局カルトというのは「あるところで行きどまってしまう閉鎖的神秘主義集団」で、閉鎖的でありながら最終的にはそれを突き抜ける道があるものを、カルトではないオカルト系神秘主義集団、というふうに私は考えている。つまりモンロー的に言えばフォーカス22~24でトラップされてしまうものがカルトで、27以上に抜けられるものはカルトではない。社会的に評価されている大きな宗教だって、トラップされていたらカルトだということでもある。

まあ、こうしたことも、スターパーソン系と、ワイズワン系との根本的なエネルギーの違いであると理解すれば、どちらが正しいということもなく、円満におさまるというわけである(笑)

しかし、最近出てきているミステリーサークルみたいなもの、DSTとか、そういうものには不思議とあまりそういうこわさは感じないのである。もちろん自分でやろうという気はあまりないが・・つまり伝統的な魔術系・秘密結社系とは違った「軽さ」や「明るさ」も感じられる。あまりにも冗談ぽくって笑ってしまうという感じがむしろ健康でもある。しかし伝統的なるシリアスな秘密結社型の人はこういうものをケイベツするかもしれない。そういう「遊び」のエネルギーが許せないかもしれない。しかし、それもまたエネルギーの違いとして明るく受け入れることをおすすめしたいところである。

「人はそれぞれの道を進む」・・ノヴァーリス「ザイスの弟子たち」


※追記
最近は、ヴェレダ製品のパッケージなどに書いてある「シュタイナー系のフォント」さえもちょっと抵抗感を感じてしまって・・かなり重症のようです(^^;

多次元的拡大とは

多次元的拡大とは・・こちらにいると同時に「あちら」にもいるということ。あちらとはつまり根源の世界ということである。意識の一部があちらに行っている。それは全体の5%か10%くらいかもしれないが、あちらにいる自分を意識している。と同時にこちらの日常世界の中で生きてもいる。それが両方自分だということ。それをつなぐ「ライン」が維持されているということである。「拡大」とは「自覚」ということである。誰しももともと多次元であるが、それを自覚していないだけのことである。

禅密気功と中心軸

禅密気功。本は二冊出ている。

4860290704気功生活のすすめ―禅密気功でストレスよ、さようなら
朱 剛
清流出版 2004-10

こちらの本があるが、もう一冊。

4861101271背骨ゆらゆら健康法―自分でできるお手軽気功術
朱 剛
春風社 2007-10

こっちの方が築基功のやり方が詳しい。

ただ、少なくとも築基功は実際に習った方がよいということはいえる。その次の、陰陽合気法天地部、吐納気法は、わりあいと他の気功と似ているから、気功経験者にはDVDだけでもできると思うが、築基功は独自で、ちょっとコツがいる感じである。集中コースもあるので。

「禅密気功」で検索すれば禅密気功研究所というHPがあって、そこで本もDVDも買える。

もう少しいうと、ふつうの気功は督脈・任脈を通すのだが、禅密気功は中脈、つまりヨーガでいう「スシュムナ」という中心軸を通すのである。この、中脈をエネルギー的に通すということが、霊的なワークとしては重要な意味を持つのだ。築基功はその基礎という意味がある。それは、禅密気功が「密教系」、つまりヨーガの影響を受けた仏教の修行法をルーツとしているという理由に基づく。ただ、功法でも陰陽合気法天地部や吐納気法はふつうの督脈・任脈型、つまり道教系の気功であって、これは道教系からも取り入れたということである。こちらは気の身体、つまりエーテル体の活性化に強みを持っている。

中心軸を通すことがいかに重要かは、やればやるほどわかっているものである。禅密気功でも上級功法になると、完全に「光」の世界に行って、そのエネルギーを浴びるという世界になってくるのだ。

つまり肉体・エーテルレベルのバランスをとりながら、霊的なワークまでの射程を持っている体系だということである。

これに行こうという人は、このブログで見たと言ってもらうとありがたい。かなり宣伝してしまった(笑)

なお、スシュムナを通すトレーニングは、ヨーガにもある。内藤景代さんのにもあったと思う。また、『ハトホルの書』にもエクササイズがでている。それから、高岡英夫の言っている「センター」とか、いろいろと中心軸についての情報はある。

大事なことは、次元間を結ぶ「宇宙軸」は、自分の体内に存在している、と気がつくことである。

そうすると、高次元とを結ぶ「光のライン」が通ってくるのである。

※ただ・・私はどうもエネルギーワーク的に理解してしまっているかもしれない。禅密気功のめざすところとエネルギーワークの世界は、微妙な違いがあるようにも感じてきた。どういうことかはまた書くのも微妙なので、きょうはやめておこう。

浄化反応サポート

しかし・・このところ、ちょっと書きようがむずかしい。このブログは匿名とはいっても、実名を知っている人が多数あるという事情は頭に入れておかねばならず・・最近、体験のプロセスがあまりにも急速に進むので、適切な表現を見出すに至らないまま、次に行ってしまっている。したがって、現段階では、ここに書けることはとても限られたものになる。つまり、アウトプットモードではないということだ。一言だけ言っておけば、それは、「魂の根源への旅」である。

差し支えない範囲でいうと、このところ禅密気功をやっている。その中でも築基功という背骨と全身を揺らす功法は、効果をあげている。その前までは、エネルギーの影響もあって、猛然たる首や肩のこりに悩まされていて、「せんねん灸」をいつも手元に置いて灸を毎日しているような状態だった。しかし、築基功を始めて以来、エネルギー酔いに伴う頭痛はやはりあるものの、こりに悩むことはまったくなくなった。

高次のエネルギーを受け取るにはそれなりに肉体やエーテル体のケアも高いレベルに維持していなくてはならない、との実感がある。ヨーガと気功はその両者のバランスをとれるので、少なくともそのどちらかはやるべきであろう。また、エーテル体~アストラル体レベルでのサポートとしては、アロマ、フラワーエッセンス、オーラソーマ(ポマンダー、クイントエッセンスを含む)である。

フラワーエッセンスは、霊的問題に対処するには、特にFESが向いている。『フラワーエッセンスレパートリー』という本で「精神の急激な目覚め」という項を見ればよいのだ。また、大規模な変容のサポートには、アラスカンエッセンスがよい。私が使っているのはバッチ含めその三種だが、その他エッセンスのブランドによっていろいろ得意分野があるので、研究されたい。よくわからなければ、とりあえずバッチのレスキューだけでも手元に置いてはいかがであろうか。

また、好転反応・浄化反応に関しては、ホメオパシーという手もあるが、最近の経験だと、漢方もばかにしたものではない。ホメオパシーなど地方では処方してくれる人など見つけにくいが、漢方はだいたいどこでもある。浄化反応による頭痛には「葛根湯」が効くということを発見した。ホメオパシーは、素人にはレメディを選ぶのが難しいので、なかなか効かないという経験も多かった。

アロマだが、あるヒーラーさんのところで、「セラピーグレード」なる高純度のアロマがあることを知る。それはふつうのアロマと違って、直接に塗ったり、飲んだりすることもできるらしい。それは確かにエネルギー的にふつうのものとは違っているように感じられた。「ヤングリビング」というブランドだったと思うが、これを自分も買ってみるか、という気分にかなり傾いている状態である。

ヒーリング技法いろいろ

エネルギーヒーリング技法が次々と出てきている。
名前を知っているものだけでも、セラピューティック・タッチ、クォンタム・ヒーリング、ヒーリング・タッチ、プラニックヒーリング・・・

レイキは「上」との契約がされており、それによってヒーリングが起こるものだが、上記の技法はそこまで密教的なものではないらしい。たぶん、リコネクティブ・ヒーリングは、レイキ型だと思うが・・(アチューンメントによって伝授される方式)。

こうしたヒーリング技法にはどういう違いがあるのか、もう少し調べてみる必要がある。

またもチャクラ・クリアリング

この前書いた、ドリーン・バーチューの「チャクラ・クリアリング」・・最近はこれをよくかけている。イメージワークをしなくても、流してるだけで気分がよい。かなりのものだ。

しかし、Liquid Mind の波動もすごいので、これはなんといってもイルカやクジラのエネルギーととても合うのだ。
こっちの方も多くの人に聞いてほしいものである。

アース・エンジェル論を吟味する

気になっていたが、ドリーン・バーチューによる「アース・エンジェル」の本を読む機会があった。

この本はつまり、もともと地球ではなかったところから地球に転生した人々、つまり、天使(高次領域)、エレメンタル(自然霊)、スターピープル(地球以外の星)に、ウォークイン(魂が入れ替わる)、ワイズワン(もと魔女・魔術師、シャーマンなど)の説明がなされている。

なかなか読み物としてはおもしろい。これは「霊的タイプ論」ではないかと思った。つまり心理的なタイプ論のスピリチュアル・バージョンで、自分はどのタイプにあてはまるか、と考えると面白いし、また、自分とタイプの違うものがあることを受け入れるということにもつながる。

しかしもちろんバーチューさんのアース・エンジェル論が100%正しい情報だということはないようにも思った。もちろん完全なでたらめではなく、それなりに彼女の超感覚に見えたところから来ているので、何らかの真実性はそこに含まれてはいるだろうと思う。

これを考える前提として、私の霊的哲学では次のようなヴィジョンがある。


  • 宇宙にはさまざまな世界領域があり、地球的現実はその中のほんの一つにすぎない。また地球は決して宇宙の中心でもなく、最も先進的な領域でもない。むしろ辺境かもしれない。しかし、ユニークな領域である。

  • 魂(生命)は究極的には宇宙の根源から発しているが、個別性を有する魂としては、さまざまな世界領域に居住している。

  • 魂は、それぞれの世界領域にふさわしい感覚機能を発達させることにより、それぞれの領域において主観・客観の認識構造を有する。

  • 魂は、前項の感覚機能形成を、時間的・空間的なひろがりにおいて、多様に展開させうる。この結果、魂はいわばその「分魂」を生じることになり、それを時間という軸から見るならば「転生」として理解されうる。その展開は、それぞれの世界領域における経験を蓄積し、魂が根源に帰還するためのトレーニングとしての意味がある。(この考えはほぼ唯識と同じ)

  • 前項の「転生」は、単一の世界領域において生起するとは限らず、多様な世界領域にまたがり展開することは、当然ありうる。

以上のことはいま初めて言ったことではなく、すでに著書で書いてしまっていることである。それに気がつかないのは、読んでいないのか、理解していないのかのいずれかである。このことははっきり書いてあるのだ。ブログは読むがなかなか本は読まない「懲りない面々」も多いですからね(笑)

べつに、これが真理ですよというわけではない。これもあくまで相対的な真実である。しかし地球人の現在という点から見て、これが「よりよい相対的な真実」ではなかろうかと私は考えている、ということだ。そう考えない人は駄目だと言っているわけではない。宇宙人から見ればこの考え方もたぶん虚妄とも見えよう。しかし、なぜ「よりよい」のかというと、いままでの世界ヴィジョンは、「宇宙は多数の世界領域によって構成されている」ということをはっきりと言い表してはいないからだ。伝統哲学にはあったそのヴィジョンは近代に全く失われてしまったが、そのような多重多次元の無数の諸世界が交織されているものとして宇宙を理解することが、いまいちばん必要なヴィジョンだと考えるからである。

それはともあれ、上記の宇宙ヴィジョンからして、地球外の領域から地球領域に転生することがあり得ない話ではない、つまり論理的に排除する必要がないことは容易に見て取れるであろう。あるいは、あまり地球領域に転生することがなく、他の世界領域での転生が多かったというケースも十分考えられることになる。

したがってバーチューさんのヴィジョンがある真実をついているところがないわけではない。ただ彼女の論は、わかりやすくするためなのか知らないが、どうも、魂が単一のものとしてあっちへ入ったりこっちへ行ったりしているかのように書いてあるような印象を受ける。しかし、これは分魂ということを視野に入れていない書き方だ。実際は、魂の本体部分はある世界領域にいるのに(つまり天使かスターピープルだ)、その一部が地球に転生してシャーマンやヒーリングアートに関わる(つまりワイズワン)というようなことだってあっておかしくない。星から地球に来ているとしても、全部来ているわけではなく、ある部分はその星にまだいる、つまり同時存在しているというのがそういう場合の存在形態ではないのだろうか。

だからたぶん、自分の魂といってもそれは想像以上の広がりを持っているもので、その根源をたどれば何らかの地球外世界領域と何もつながりを持っていない地球人などいないだろうと思う。生命は地球で生まれたわけではなく、地球外から到来しているものだ(これはプラトン的思想の根幹である)。ただ現時点での意識の活性化、フォーカスにおいて、ある特定の部分が活性化しているということかもしれないのである。

つまりバーチューさんの書き方は、わかりやすい反面、単純化しすぎている部分もあるだろうということである。あまり全面的に正しいものとは受け止めず、自分のうちにある記憶を活性化するためのきっかけとして考えればよいのではなかろうか。彼女が、複数のタイプにあてはまる場合の解釈として提示しているのも、私はそうかな? と思う。魂とは複数領域に同時に展開するものであるので、そういう複数タイプも当然ありえるだろうと思うが? また、天使と宇宙人というのは、私にはその区別はかなり相対的であるように思われる。そもそも地球よりも高次元の世界領域に居住するということなら、それは同じことでは?

それからウォークインについては私はよくわからないが、五井昌久師は、もとの五井昌久はいなくなってかわりに神霊が入っていると自分で語っていて、それが真実だとすればそれはウォークインの一例ということになるだろう。これも全くあり得ない話ではないと思う。

ちなみにこの本によれば私はもろにスターピープルである(笑) ワイズワンかと思ったら意外にもそういう要素は少なかった。

やっぱりそうか・・(何の話だ?? 笑)

なんか、ここまで話していいんかい! という気もしないでもないが・・


1401900488Earth Angels: A Pocket Guide for Incarnated Angels, Elementals, Starpeople, Walk-Ins, and Wizards
Doreen Virtue
Hay House Inc 2002-08

なぜ翻訳がないのだろう? 売れると思うが・・

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