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サイキック・ヒーリングとスピリチュアル・ヒーリング

ヒーリングには、類型的にいえば、自分の中に貯えたエネルギーを出していく方法と、宇宙からのエネルギーをそのまま媒介する方法とがある。『黎明』という、一部では有名な本では、前者をサイキック・ヒーリング、後者をスピリチュアル・ヒーリングと呼んでいる。

代表的には、前者は気功、後者はレイキ等である。ただ気功の中にも、後者のやり方をしている人は一部ある、という感じだろうか。

気功について、人には『気功革命』をすすめているくせに、自分ではそれはやらず、自分でやるのは禅密気功である。これは中心軸の浄化ができ、霊的なワークとの相性がいいというのが理由だ。ただ、禅密気功の先生も外気功によるヒーリングをするが、それはやはり気功では標準的なサイキック・ヒーリング型、つまりいったん自分の中に蓄えたエネルギーを出していくやり方だ。

それはちょっと、私のめざすところではない。私はあくまでも、宇宙からの「無限供給」の世界を追求しているので、気功をディープにやって、外気功をできるようになろう、とは思っていない。禅密気功は、功法体系としては宇宙からの気を受けるような方法があるのに、なぜ無限供給型のヒーリングにつなげていかないのか、その点が私にはちょっとひっかかるところではある。

この区別は、いわばエネルギーを出す際の「回路」の設計の違いというようなことである。

それでは気功とスピリチュアル・ヒーリングとのエネルギーの違いはあるのか? といえば、それはたしかにある。
ただし、気功といってもその中にもいろいろあるということだ。それは功法によっても、またやる人によっても、どのレベルのエネルギーにアクセスするものであるのか、それはいろいろと違いが出てくる。

一般的には、気功で動かすエネルギーは、比較的体表に近いところにある、つまり肉体次元に隣接しているレベルのエネルギーが多いのである。ただそれは、「意念」の持ち方によっていかようにもなり、かなり次元の高いエネルギーを摂取するということもまた不可能ではない。禅密気功でもかなり「光」に近い次元の気にアクセスできる。八段錦のようなシンプルな功法でも、意念を宇宙の高い次元の気においてやれば、その次元の気を入れることは可能だと思う。ただ功法によって、そういうことがやりやすいものとそうでもないものとの違いはあるようだ。

スピリチュアル・ヒーリングのエネルギーは基本的にコーザル次元以上のものがその源となっていると思う。そうでなければスピリチュアルなどとは呼べない。またこうした次元のヒーリングでは基本的に「そちらの側」からのサポートがあり、ある程度自動調整がなされる。一方サイキックヒーリングでは自分で判断しなければならない。また当然自分や相手のアストラル次元のエネルギーにも影響を受けやすい。従ってサイキック・ヒーリングではかなり熟達した人しか、他者のヒーリングをすることはできない。ふつうは、自己ヒーリングにとどめておくのが無難であろう。他者ヒーリングをしたければ、素直に、スピリチュアルヒーリングを学び、そのメソードによって「契約」されている高次存在の力に頼ることである。従って私は、外気功などの方法はもう「時代遅れ」だと思っている。簡便に宇宙エネルギーを流す方法が出現しているからである。気功はあくまで、自己鍛錬として、スピリチュアルなワークをエーテルレベルにおいてサポートするものとして、学ぶ意味があるものだと思う。

ただ、スピリチュアル・ヒーリングにはどうしても、サポートする高次元存在というコンセプトが一体のものとしてあるので、現在の社会ではまだ抵抗感が強い部分があるだろう。現在の知的な世界で、受け入れられるものと駄目なものとの分離境界線となっているのは、「宇宙には人間よりも高次な存在があり、人間をサポートしている」というコンセプトを受け入れられるか、というラインなのである。そこを踏み越えるとどうしても「宗教」の世界と見なされてしまい、知的な世界から排除されてしまう。したがってそこをはっきり言ってしまうのは、私のように、「覚悟を決めて」、その世界での栄達などを完全にあきらめた人間にしか可能ではないのである。今のところ、気功あたりがその限界線なのである。私が「普遍神学」と言い、あえて「神学」を名乗っているのは、私は意識的に、承知の上でそこを踏み越えますよ、という宣言という意味がある。

「普遍神学」ではない「キリスト教神学」も、人類を救済する霊的存在(つまりキリスト)のことをはっきり言うわけだが、他の学問からはまったく相手にされていない。歴史的には、大学とは神学部を中心に発生したもので、総合大学で神学部を持たない大学というのは、明治の日本にできた東京帝国大学が世界初であったと言われている。また工学部を正規の学部としたのも東大が世界初であったそうだが、この辺からも、日本の大学というものが最初から、宇宙の根源について思索することが学問の基盤だ、という発想を無視したところから出発していることは明らかである。・・・と、話がそれてきた(笑)

他者へのサイキック・ヒーリングを興味半分にやるのは危ないということは肝に銘じる必要がある。それをやって、相手の邪気がどばっと来てしまってひっくり返り、大変なことになったという事例も、身近に見聞きしている。他者ヒーリングは「自分でやろう」と決して思わず、宇宙の高次の意思に委ねるというのが基本だろう。

ヒーリングの時は、「治そう」という思いさえも捨て、「高次元の宇宙の名において、最善のことが起こりますように」という祈りで始めること――と、アチューンメントなどでは指導しようと考えている。その病気などが、重要な学びの意味を持っている場合もあることを忘れてはいけない。

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