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ヨーロッパ的霊性について

一般に考えているように、キリスト教会と神秘主義は決して対立しているわけではない。

「魂は神性に似せて作られており、魂の根底において神性との交わりが生じうる」ということは、西方のキリスト教では一般に受け入れられていた。
ただそれは、魂において神性との一致を体験するということだが、それから更に進んで、エックハルトのように「私は神そのものである」とまで言ってしまうと、異端の疑いをかけられる。

この21世紀から見れば、エックハルトの言うことも本当ではある。ただ、実際に私が神であると言いうるまでのレベルに、人類が達するということはまずふつうはない。たとえ地球を卒業したとしてもなかなかそこまで行くものではない。現実的に、今の人間に手が届くのは「魂の根底で神を感じる」というところまでだ。そこまでならなんとか行けるのである。アウグスティヌスが書いていたのはそういうレベルの神秘主義であるが、それはたしかに究極ではない。しかしふつうに、私たちが目標とするには十分すぎるほど高いレベルではある。

一方で、禅などは、私が絶対だということを自明の前提として出発するが、ここにはまた、自分の到達レベルを過大評価する危険も生じる。つまり、魂の根底において「無条件の愛」が注がれているということさえ体験できていないのに、「空になった」などというとんでもない妄想に陥ることにもなりかねない。まずは、「魂の根底において絶対的なものへの開けが生じる」というステップを踏んで、その先へ行かねばならないだろう。

つまり、エックハルト的な言い方は、真実ではあるのだろうが、ふつうの人にはあまりにレベルが高すぎる話なので、誤解を生じやすいし、またなかなか現実的な目標とはできない、というところがあろうかと思うのだ。エックハルト的なところを究極だと知りつつも、現実的には、魂の根底において神の愛を受け取るというようなところからやっていくのが常人の道というものだ。その意味で禅は、あまりにもむずかしいことを要求しているもので、とても一般向きでないとも言えよう。

ともあれ、西洋的霊性として、「魂の根底において神性との交わりが生じる」というテーゼが第一点。

そしてもう一点、西洋思想の根幹をなしているものとして、平井センセが示唆しているように、「この宇宙を作り為している根源的な生成力」を見るということがあるように思う。

それは、スピリトゥス、聖霊、その他、「プネウマ」や、「種子」というイデーとして受け継がれてきた(この辺は平井センセの独擅場)。西洋思想とは、ぶっちゃけいえば、基本的に、新プラトン主義とキリスト教思想とのからみあいで展開されていたのだが(それにアリストテレスの学問体系の影響が加わる)、そういう、宇宙根源から発する生成力というヴィジョンは、その両者をつらぬいて、17世紀頃までかなり持続していたもののようだ。パラケルススなどは、その二つの伝統を融合させようと試みた。こっちの系統は、中国やインドの伝統も共通するし、「微細エネルギー次元のテクノロジー」というテーマとつながり、代替医療などでアクチュアルな問題ともなってくるのだ。

上記二点を総合して、霊的な世界ヴィジョンが成立するのだが、この二点とも、近代という時代が破壊しようとしたのだった。

オカルティズムというのは、言ってみれば、破壊されそうになったものが、ゲリラ戦に打って出たということである。

しかしながら、そのような、近代的世界観の支配力は、現在、急激に弱まってきた。
そのため、あくまで「アンチ」として存在していた、オカルト的、秘密結社的な神秘主義のありようは、もはや古い存在形態になりつつあるということだ。
そのような「アンチ」には、ルサンチマンが内在している。それはもはや、自分を解放するために邪魔になってきているのだ。

・・話がどこへ行くかわからなくなってきたので、この辺でやめておこう(笑)

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