「神秘主義」というカテゴリーの問題性
ともあれ、哲学的・神学的思考の語りは、創造の円環のミーメーシス(模倣的再現)として、創造の究極の高みに迫ることをこころざしていました。この神のミーメーシス、イミタチオ、追従、追想は、しかし、けっして今日の意味で「非合理的」なものとも「反知性的」なものとも考えられてはいませんでした。
早い話が、いましがた見たエリウゲナの「四つの自然」が織り成す神の創造の円環、テオーシス」、「デイフィカチオ」にきわまる創造・被造の円環の遍歴にしても、古典ギリシャというよりは中近東的・ヘレニズム的色合いの強い、神の洞観(ノエイン)にきわまるひとつの整然とした物話(ロゴス)の体裁を取っており、その意味でおよそ反‐知性(ヌース)的でも反-理性(ロゴス)的でもありませんでした。
この種の思考を「神秘主義」と規定して、ときに反合理的、反知性的なものと見なすようになったのは、実は比較的新しく一八世紀終わりから一九世紀はじめにかけてくらいからのことです。ロゴスがその物語性を失い果てて近代科学や啓蒙の理性・合理性になり、知性もまたカントあたりで高度の知的直観能力としてギリシャの「ヌース」以来保ちつづけていた高い位置からすべり落ちた。いわばその空白、意味論的欠落部分を埋めるべき当惑をはらんだ概念とて作られたのが「神秘主義」の語にほかならないといってよいでしょう。
mustikos,mysticusという形容詞は古くからありましたが、このほうは、「理性」はいましばらく措くとしても、すくなくとも「知性」と両立不可能な体験にかかわるというように理解されることは、かならずしもありませんでした。
「神秘主義」という思想的・思想史的カテゴリーを使ってはいけないというつもりはありませんが、しかし、無神経かつ無自覚に、それを過去に投影して使うときは、総じて一七世紀以前のヨーロッパ哲学史は、一見整然と見えながら、その実、救いようのない歪曲(存在忘却とか神の死とか、大きなことはさしあたっていわぬとしても)におちいってしまうことを肝に銘じるべきです。
坂部恵『ヨーロッパ精神史入門』 岩波書店、p.35-6
以上は、研究家には常識として知られていることなのだが、ふつうの人はあまり知らないことだろう。
つまり、ふつうの意味での知性(悟性ともいうのだが)を超えたところで、存在の根本にかかわる領域について直観できる能力が人間にはあるということは、十八世紀以前には、一般に認められていたのである。
それは、知性に反するものとは見なされていなかった。
近代の人は、そういう、神の領域、霊的な領域に関わることを知的に理解するという「学問」が成立していたということを、理解しにくいらしい。
そういう領域について考える、語るということ自体、反知性的、オカルトであり、「あっちへ行った人」だと思う、これが近代人の偏見である。
そのような偏見は、近代ヨーロッパが生み出した「人類的な知の歴史からの逸脱」なのであり、踏み外しであったので、それを元に戻し、本来あるべき位置に戻すということ、それが霊性思想である。