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2008.02.15

最近の趣味

もともと、日本の古い筆文字を解読するのが好きなので、これまで「古今集」の書道手本とかを読んできたが、この正月以来、「源氏物語」に取り組んでいる。

世の中には不思議な本が出ているもので、源氏物語の写本の影印と、それを活字に直したものが二段組になっているという、影印本を読むための本がある。不思議というか、これは大学の国文学科の授業のために存在しているもので、けっこうなロングセラーであるらしい。

これで読むと、活字で読むとはまったく味わいが違うのである。何というか、「ブツ」に触れている。たしかに「手触り」のあるものに触れているという確実なる感覚がある。

これは、骨董品をいじるという感覚に似ているだろう。活字は、情報である。それは空を飛ぶようなはかなさがある。だが、紙に手で筆写したものは、たとえコピーとはいえ、それが物質としてここに存在しているという手応えがある。この、ここに美が確実に、物質の中に顕現しているという感覚。小林秀雄が書きたかったのもそういうことではなかろうか(今の人は、小林秀雄など読まないであろうな)。

もちろん注はついているが、簡素なものなので、現代語訳を脇に置いて読む。ひじょうにゆっくりとしか進まず、まだ、桐壷、若紫、そして紅葉賀の半分ほどしか読んでいない。

解読することは、上の段に活字があるので対照すればよく、思ったほどむずかしくはない。要は、現代では使われていない字体の仮名がいくつかあるので、そのパターンを覚えてしまえば98%くらいは読めてしまう。英語を勉強するよりはるかに簡単である。(ただ、影印が縮小してあるから小さすぎる。倍に拡大コピーしている)

しかし、もっと根本的にいうと、これを読みながら、「なんか、昔やってたな」という感覚もしてくるのである。つまり、過去の日本に生きていたときの微かな記憶が活性化しているのだろうか?

そういえば、知人で、ヨーロッパ中世の写本の字体を書いてゆくという、カリグラフィーというものをやっている人がいるが、「昔やってたわ」という感覚がしているそうである。

そういうものですかね?

それにしても、源氏物語自体がひじょうに面白い。どこが面白いのかという話は、またこの次にするが。ただ、この対照本は、藤裏葉までしか出ていない。その後は、影印だけが出ている本はあるのだが、そこまでやるのかはまだ未定というところである。

どんな現代語訳を見ても、原文の持っているエネルギーを正確に転写はしていないことがわかる。
その中では、与謝野晶子訳が古典だが、最近のでは瀬戸内寂聴のもまあまあだと思う。

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