始まることと始まらないこと
考えてみると私は、前から、「始まりかけた人」に対し、その背中をどーんと押してのっぴきならない状況に突き落とす、というワザを得意分野としているようである(笑) そのため、そういうプロセスにある人にはどのような情報やサポートが必要であるか、というようなことは自然と知識が増えていった。
一方で、このまえ「始まらないという人はなぜ始まらないのか」という記事を書いた。「私は始まりません! 始まりません!」と何度も言うような人に出会ったことがあるが、要するに、この人は「自分は始まらない人である」ということを確認して、安心したいのだな、と感じた。つまりそのような意識設定をしていて、それを守りたいという意識がそういう確認を求めているのである。
初めから興味がない人はこんなブログなんかを読むことはないので、そういう場合は、ある部分では興味があるが、その反面恐いという感情があって、「自分は始まらない人であることを確認する、という前提の上で、始まった人のことを読みたい」という状況にあるわけである。
始まるというのは、ただ受け身で待っていていつの日かどーんと始まる、なんていう場合もまったくないわけではないが、そういうケースは少ない。多くは、何かセミナーを受けるだとか、ヒーリングを受けるだとか、瞑想やヘミシンクを始めるとか、何らかの「始めるアクション」がきっかけとなって始まるものである。そのように「やること」など、いまは、やろうとすればいくらでもある。それでも何もやらないのは、要するに「やりたくないから」である。始まるのが恐いからである。
それがいけない、というのではない。自分は始まりたくないが始まった人のことは読みたい、というのはいっこうにかまわない。ただ言わせていただくと、そういう人もいつかは必ず始まる。そういうふうに読んでるということ自体が、始まることの準備が進行していると理解すべきである。しかしまだ、自分が着手する時期には至っていないだけである。初めから、絶対に始まらないと規定されている人などいない。だから、そのように決めつけず、自分はどういう時期にいるのかをよく理解してもらいたいのである。これを読んでいる人のすべては、いずれは始まるのである。ただ、「始まる」のは、「始めることから始まる」のである。そのアクションを恐れなくなったときが、始まる時である。
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