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霊性への女性性的アプローチ

きのうは、書きたくても、ココログがメンテナンスでどうしようもなかったのだ。

普遍神学について知りたい人は、とりあえず、右コラムのいちばん下にある検索ボックスで、「このブログ内を検索」をやれば良し。

私は、いわゆる「スピリチュアル・カウンセラー」ではない。そういうものを求める人は、ほかをあたっていただければと思う。あくまで、思想的表現がこのサイトの目的である。

とはいうものの・・別にカウンセラーではないが、気になることがある。

時々、こういう声を聞く。「ヨガや瞑想をやっているが、スピリチュアルに何の関心もないような人が元気で生き生きと暮らしているのを見たり、スピリチュアルに関わっている人が良くないことをしているのを見聞きすると、ジレンマを感じてしまう」

端的にいうと、こういう状態のことを「迷い」という。

こういう文の波動から感じられるのは「無理してやっている感じ」である。つまり、瞑想などはやるものの、そこから「喜び」が得られていないことがわかる。そういうものを得たいのだが、なかなか得られない。そこで、これでいいのかと迷い始めるという状態なのである。

こういう人は、そういう霊的な探求への関心について、周りに話ができる人がいないということも多い。そういう人がいればそれほど迷わないからだ。

これは、探求を始めた初期に出やすいことで、探求のプロセスにおいては苦しい時期だといえよう。
これまでの世俗的価値観は崩壊しつつあるが、まだ新しいもののたしかな手応えは得られていないという、中間に落ちこんだような状態になっているのだ。

「瞑想をやっていないのに生き生きとしている人がいる」「スピリチュアルな人でも悪いことをする」なんていうのは、はっきりいって、迷いが生み出した理屈である。真の問題は、喜びが得られていないことである。それが得られていれば、こういうことは心に浮かばない。また、本当に霊的に優れた人を実際に知ることができたら、「悪いことをする人もいるから」なんていう考えも出てこない。

また、変なたとえだが、たとえば良いラーメン屋に行ってそれを味わっている人は、「世の中には、ラーメンなんか食べないのに、幸せに生きている人がいる」なんてことは絶対に考えないし、そのようなことは無意味なヘリクツにしか思えないだろう。そういう理屈が思い浮かぶということは、楽しんでいないわけで、「やらなければならない苦行」、何か受験勉強みたいなものと意識されていることである。

だから、「霊的なことに何の関心もないのに幸福な人生を送る人がいるのはなぜか」などという質問に、答える必要はない。その答えを考えることは、その状況を乗り切るための方策にはならないのである。「そのような質問が出てきてしまう心の状態はなぜ生み出されているのか」と考える必要がある。何かの問いが出てくると、その答えを探すことが大事だと思ってしまうが、あんがいに、そうではないことも多いのである。

私が、このサイト名を「美しさの中を歩め」としているのも、そういう「苦行」イメージを変えたいという気分も、少しだけある。

日本では伝統的に、霊的なことがらを「苦行」によって探求することが、尊敬されていた。
それは、修験道や、禅、千日回峰行など・・こういう苦行を乗り越えた人がひじょうに尊敬されるという精神的風土があるのだ。テレビでもそういう特集番組が放映されたりする。

そこで、霊的な探求とは苦行であるというイメージを無意識のうちに抱いていて、それ以外の方法もあるということがわかるのに時間がかかることもある。

ただし、何もやらなければ何も変わらない。それはたしかにそうであるが、「苦行」ではなく、「ワーク」というとらえかたがある。「行」をワークとかセラピーという概念に置き換えようとしたのは、トランスパーソナル心理学であるが、それは一定の意味があったと思う。

なので、アドバイス、というものを述べるほどこのサイトはたいしたものではないのだが、私の経験から少し述べさせていただくと、「喜びが得られていない」「無理をしている」ということに気づいたら、生活の中にもう少し「美しさ」を増やすというアプローチを考えてみることを提案したい。

たとえば音楽とか、アロマとか、自然とか、何でもいいが「リラックスして、美しさを享受する」という発想で、全体を見直す。

だいたい、ヨガや瞑想はリラックスするためにやるものである。それを、つい苦行のようにやってしまうのは、無意識のうちに、禅のような修行イメージに影響されていて、そういうふうにやること(だけ)が霊的だという観念があるからだ。

男性は、こういう発想に入りやすい。その路線で貫き通せればそれも立派なことだが、絶対にそういうスパルタンで行かなければいけない、ということでもない。むしろ女性は、「美しさを感じながら喜びへと至る」というスタイルを自然に受け入れられる人が多い。こういうものの価値がよくわからず、「何を甘っちょろいことを言っておるか! 修行とはそんなものではない!」という人は、中途半端はやめてすぐに坐禅道場にでも入門したらいい。私に言わせれば、「修行モード」は、出家してやるべきもので、ふつうの社会人の生活を送りながら修行なんてありえない話である。伝統的修行法はみなフルタイムの献身を前提としているのだ。やりたいなら、すべてをそれに賭けるのでなければ中途半端である。

もし、霊性への厳格なアプローチという性向を変えたければ、フラワーエッセンスを利用するのが手っ取り早い方法である。

ただ、この「美しさの道」にも、それなりに、陥りがちな落とし穴がないわけでもない。どうしても長期的、全体的な視野を失いがちなところもある。

しかしながら、日本の精神風土を見ると、まだまだ、もう少し「霊性への女性性的なアプローチ」が広まる必要はある、と感じている。


(なお、以上の文章は、「上からやってくる修行モード」についてはあてはまらない。そういう人は上の質問をするはずがないので、ここでは扱わなかったが)

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