現代美術は異次元波動の表現である
きのうは東京へ出て、あいた時間にブリヂストン美術館にて、現代美術を中心とするコレクション展を見る。
いや、ここですごかったのはザオ・ウーキーという人の作品。中国生まれで「趙無極」というらしいが、フランス育ちだということ。
この作品は現代美術風ではあるが、なぜか「タオ」を連想させる作品。エネルギーのうねりのようなものを感じる。
あと、白髪一雄という変な名前の人の「観音補陀落浄土」という不思議な作品も圧倒的な迫力がある。
これは、画像ではどうってことなさそうだが、現物で見るとその色彩の美しさがかなり衝撃的である。
それから、オーストラリア現代美術の作品があるが、これは実はアボリジニ出身の美術家で、そのシャーマニックな感性の表れた作品は、世界的に注目されているものである。
この美術館はさすがに、収蔵品のセンスが非常によい。
カンディンスキーやミロから始まる現代美術を一通り眺めてみて感じることは・・
こういう抽象絵画に関し、「何を描いているのかわからない」というシロートの言がよくある。
それに対する答えとしては「地球のものは描いていません」ということである。つまり、それは「宇宙」を描いているのであろう、ということになる。
つまり、20世紀に入って、次第に、人間が感じることのできる世界の領域が、人類の認識している地球世界にとどまらなくなり、その限界を突き破って、「何か」を感じられるようになってきた、ということである。
すなわち、これは「波動の世界」を描いていることになる。高次元にある世界で何を見るのか、といえば、それはもちろん肉眼で見るわけではなく、第六感で感じるということだが、それを、ふつうの人間が見える形態に「翻訳」して表現したものが、こうした抽象絵画なのである。
ザオ・ウーキーの作品は、私たちが地球世界を超えて、違う次元の世界に行ったときに「見える」世界の感覚を、かなりそのまま表現しているように思われたのだ。
つまり、それは何となく「なじみ」なのである。そうそう、こういう世界なんだ、という、宇宙にいたときの遠い記憶を呼び覚ますものがあるのだ。
そのように、抽象絵画とは、インスピレーションがすべてである。わかるもわからないもない。その前に立った時に何かを感じるかどうかしかない。別にむずかしいことは何もないのである。
たとえばヘミシンクみたいな技法で意識を飛ばして、地球でない世界にコンタクトし、それを「波動」としてキャッチするような場面を想定して、その波動感覚を仮に色と形態で表現するとどういうふうになるのか、ということである。そのように、表現された作品から逆にその「波動」を再体験してみる。そうすると、優れた抽象作品とは完全に一つのトリップになることがわかる。
人間は、実にいろいろな世界を「見る」こともできるのである。
この作者はどのような世界へ意識を飛ばしてどういう波動をキャッチしたのか、そのように見るとおもしろい。
ただ、変なアストラル・トリップに終わってしまうことがあるのは、精神世界の場合と変わらない。よい波動とはどういうものか、わかっていないと危ないことにもなる。
人間の意識はどんどん宇宙へ向けて開かれてきているんだということが、現代美術の流れを追うと実によくわかる。こういう人たちはある意味で人類の先端部なので、そういう感覚を人に先駆けて発達させているのである。こういう流れを見ていくと、人類はいずれ地球を飛び出していくということもまた明白なることに思えてくる。