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ご質問について

先月下旬の「ご質問」とアンケートのことだが、

「正答」というのではなく、「私ならばどのように回答したか」という視点で書くと、

質問1: 必ずしもそうとはいえない
質問2: 必ず見える

である。

質問1は、全員が同じ答えなので、解説する必要もないだろう。
質問2は、回答が割れたが、ここでは、「完全な覚醒」ということばがミソである。「完全な覚醒」に達した人は、そもそも「人」と言えるのか?というツッコミも当然あり得るところである。つまりは、人というものの究極的な完成可能性を、どこに求めるかという「完全な覚醒の定義」の問題だということである。それが現実にこの地球上で達せられるかという問題とは同じではない。

「必ず見える」にならざるを得ないのは、私の思想からして必然である。つまり、私は「完全な覚醒」を「神的知性との一致」として理解するからである。これは仏教では「大円鏡智」などの仏智として知られるものだ。
ブッダは、覚醒の時、宇宙のすべてが見えたと仏典にも記されている(キリストは、宇宙から降下したものであり純粋な「人」ではないので、ここでは除く)。

神性と一致するのだから、当然、神と同じ視点で見ることになる。
言い換えれば、全宇宙領域がすべて「自分」として感じられる境位である。
もしその地点に立てば、宇宙のあらゆるものは自分の中にあるものとして直知されるはずである。
それ以外には、論理的にも考えようがないのである。

私は、「必ずしもそうとはいえない」と回答した人が、どのような思考回路でそこに到達したのか、よくわからないので、コメントできない。
まちがいと言っているわけではない。私にはわからないと言っているだけ。

こうした「完全な覚醒」は、地球領域から出ないと達成できないのでは? という気もしないでもない。
肉体を持つことは、必然的に限界を作るからだ。

「完全」まで行けば必ずすべてが見えると思う(というか、「完全」をそのように定義するわけだから同語反復である)。しかし、その中途、ある程度までの覚醒であると、それには個々人による違いが生まれてきて、そこには、見えるということに強い人もいれば、そうでない人も出てくるかもしれない。このようなばらつきは、「完全ではない」からこそ起こる。現実に私たちが地球で出会う人には、「完全」レベルはまずいないと思っていい。

私の考えを簡単に書けば、こういうことである。

・完全に覚醒している人は、必ず見える。
・見える人がすべて覚醒しているとは限らない(逆は真ならず)

つまり、完全な覚醒とは先にも言ったとおり「全宇宙領域を自己として自覚する」ことからの必然として「全知」が生じるのだが、第二の「見える」というのは、微細界(いわゆるアストラル次元)のレベルで生じうることであり、微細界は「何でもあり」であって、低次のアストラル次元というのもあるからだ。
この話はまた長くなるので、別項で書きたい。

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