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転生問題をめぐるさらなる妄想?

前回に、「あちらにあるトータル・セルフの立場から見れば、すべての転生は共時的に起こっている」ということを述べた。

しかし「個我としての転生の継起性」はまったく存在しないのかと考えると、どうもそうは思えない。
つまり、トータル・セルフのレベルから生起している転生は、「一回限り」のものではなく、トータル・セルフ(IT)から分岐した「個我」のレベルにおいては、継起的であるのか、という問題がある。

坂本さんの『わかりやすい絵で見る死後体験』86ページ以下を見ると、ITから分岐した個我がそれぞれ継起的に転生をしていく、というモデルが出ている。
ただし、その転生の順序は、必ずしも地球の時間軸に沿ったものではない。つまり、最初の転生が近代で、次がエジプト、次は石器時代なんていうこともあるし、未来世だってありうるという。83~84ページにはそう書いてある。

この場合の継起性というのは、カルマ的な「因果」の関係により前後が生じる、と理解しうる。
また、各時代の世界空間はもともと「地球霊魂」の作用により生成する集合的な場だから、そこに入り込むということも理解できないわけではない。

これは坂本さんの理解である。
しかし、このモデルで本当にいいのかどうか、よくわからない。

唯識の阿頼耶識説はこれと微妙に違っている。
阿頼耶識は、非物質次元にずっととどまっている。阿頼耶識が、地球の物質次元に転生するわけではない。転生するというのは、いわば、夢を見ているような状態である。阿頼耶識はずっと非物質領域にいるのだ。

まず、地球の物質次元というものが実在するというより、それは集合意識なのである。物質界に行くということは、物質界で機能するような意識・感覚作用を身につけることによって、その夢の中に入りこむことができるという意味である。映画「マトリックス」で、宇宙船からマトリックス内に進入するようなものである。

したがって、個我そのものは転生しない。これが唯識による意見である。
これに対し、坂本モデルは、ITが分岐して「個我」を作り、これが転生するという見方になっている。

わからなくなってきたようだが、要するにここでのポイントは、トータル・セルフではなく、個我としての自分もまた、非物質界に転生することなく存在し続ける部分があるのか、それとも個我が転生をするものなのか(つまり、転生している間は非物質界からはいなくなる)ということなのか、ということである。

プロティノスはどっちのことを言っていたのか?

どっちが正しいのかと聞かれても「わたしゃ知らん」である(笑) べつに悟りを開いたわけではないし、そこまで見えているはずがないだろう。

あるいは、問題はもっと複雑で、実はこういう問題の立て方そのものが不十分ではないかということだ。たぶん、それがいちばんありそうに思える。

こういうことを考えるのも、べつに霊的進化とは関係ない思考の遊びかもしれない、という見方もありうるということも、頭に置いておいた方がいいだろう。

ともあれ、私が過去に本に書いたところだと、個我をいちおう唯識で言う阿頼耶識に該当するものと見なしていた。それが因果の法則によって転生を生み出すことは唯識で言うとおりだ。それは、阿頼耶識が転生するわけではない。あくまで、夢を見るのである。各転生の視点から見れば、それは永遠なる自己ともいえる。

そして、阿頼耶識が、共時的に二つ以上の転生を生み出すということが絶対にないと言えるだろうか?
あるいは、二人の肉体に分岐したりすることはありえないだろうか?

だから、阿頼耶識=ITということではないのだろう。ITとは、個我のさらに集合体なのであり、個我として分岐する以前なのだとすれば、それは阿頼耶識の集合体であり、もう一次元高次のレベルにある、と考えることもできる。

また、ある情報によると、複数の魂が一人の肉体にブレンドされて転生する、ということもないわけではないらしい。これはどう考えたらいいのか。同じITに属する二つの阿頼耶識が、ある協定のもとに、共同作業的に一つの転生経験を生み出した、ということも考えられるだろうか?

これらはみな、答えの出しようがない問題ではある。ただ、いろいろな思考実験をすることによって、この世界はそう単純なものではなく、人知の及ばないくらい複雑なものであるらしい、との実感がわいてくればそれでよいのかもしれない。

たぶん、唯識も坂本モデルも、実相に比べれば単純すぎるモデルなのだろうと思う。
私がなんとなく思うのは、この物質次元において「私」と認識されている個我性は、それほど強固なものではなく、もっと曖昧なものではないかということだ。
それはかなり表面的なもので、そのレベルの「私」が転生しているというわけではない。
そのレベルの「私」は、転生ごとに構成しなおされるものかもしれないのだ。
私が、「個我が行ったり来たりする」という単純な転生モデルに疑問を感じたのも、そういう感覚からである。

転生を貫いて存在している個我は、もう少し深いレベルにあって、非物質次元にある。
そのような個我があるらしい、という感覚はある。私は、その個我が、完全に物質世界に入りきっているようには思えないのだ。その点については、理屈ではない。私が私であることの本体は、やはり、この物質世界の転生という夢とは独立して、どこかに存在するように思われるのである。

それはITなのか、そうではないのか。この、私が感じているものは、阿頼耶識なのか、ITなのか。どうもそれは、ITというものについてもう少し実感していかないと、わかりそうもない。今の感覚は、どうもITとは違うのではないかという感覚である。

考えても無駄かもしれないが、考えてしまうのが人間というものである(笑)
というわけで結論なしで終わりとする。

いずれにしても、昨日の考察はあまりに単純すぎましたな(^^;

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