人類最大の「ぶっ飛び思想」
なんか前項は、書いてしまってからみると、長いですね~(^^;
やはり、「覚醒した人は必ずしも『見える』とは限らない」との回答の多さには、びっくりしたわけで、それは、私の普遍神学の本質をほとんど理解していないのか、あるいは、理解していても賛同していないのか、ということになるわけである。このブログを読む人でも、私の普遍神学思想自体を理解するということには関心がない人もいるということは、いささか考えてしまうわけで。。スピリチュアルのブームとはいっても、そもそも「覚醒とはどういうことなのか」という最も基本的な事項でさえ、共通理解が存在していないという現状が明らかになったわけである。
多くの人は、ただ「心の持ち方が変化する」というくらいにしか、覚醒ということを想像しないのですかねえ。
たぶん、「神化の思想とは、それほどまでにぶっ飛びなことを言っていたのか」とびっくりした人もいるのではないかと思う。
その通り。人が神と一致しうるというのは、人類史上最大のぶっ飛び思想である。しかしそれは、仏教やヒンドゥー教、東方キリスト教でははっきりと言い表されていたことですからね・・
一ついいうることは、「神」を考えなければ、「覚醒」もわからないということだ。
神とは全知全能である。であるから、神と一致するとは、全知全能になることだ。これほど簡単な理屈はない。
それが覚醒である。このように、私の思考はシンプルなのだ。
だから、全知全能になりうる可能性を信じないというのは、もしかすると、神についてあまり考えていないという可能性があると思う。全宇宙が神によって運行されているということ自体を信じていないなら、神との一致などという思想には何の意味もないだろう。
一般に、世の中でよく「覚醒」といわれているのは、今の自分よりも少し上位次元にある「もっと大きな私」に目覚めたり、あるいは、高次次元にあるエネルギーとのつながりができたり、という程度のことである。
そういう「不完全な覚醒」であれば、ケースバイケースで、どういう能力が出てくるかにはかなりの個人差があるだろう。
しかし「完全な覚醒」といえば、それは神との完全な一致のことである。
それは地球上で達成されうるかどうかはまた別問題である。