« 中公版『哲学の歴史』中世編など――神学のすすめ(?) | Main | 「個別に先行する普遍」の問題 »

神学的に考えるとは

まえの「ご質問」であったような、「覚醒に達した人は必ず『見える』ものなのか」という問題は、神学的な問題なのである。

地上に住む人間は、どの程度まで「神との一致」が可能になるのか。
その、神と一致した時に、人間の知性は、どこまで拡張されるのか。

そのご質問で、「必ずしもそうとはいえない」と回答した人は、その「人間知性の拡張」を、きわめて限定されたものとして理解している、という意味になる。

それを限界まで可能であると考えるとすると、人は「神の目」で宇宙を見ることも可能である、ということになる。

神の目で見るというのは・・たとえばある人を目の前にしたら、その人の魂の本体を見ることができるし、また、どのような過去生があり、どんな転生を経てきているのか、あるいは、地球以外の領域にいたことがあるのか、とか、その魂の属するグループはどのようなものか、その魂と同じグループに属する存在は、今どの星に転生しているのか・・このようなことはすべて見える、ということである。

銀河の中心にはどのような世界があり、どの星にはどのような存在があり、地球とはどのような関係なのか・・こういうこともすべてわかるということである。

そこまで可能であるとは信じられない、とすれば、それは「人間の神化」という思想を受け入れてはいないということを意味している。

あるいは、神化ということがあるとしても、肉体を持つ限りそこまで到達できるものではない、と考えるのか。

こういうことが神学的問題なのである。

右のコラムにある、ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』を読むと、上に述べたようなことも、覚醒した人にはある程度可能になるという印象を受ける。特にその本に出てくるマハーアバター・ババジ師などは、宇宙的存在のもつ自在さを感じさせる。

人間にはどこまでの覚醒が可能かということを考えたい人は、右のコラムにあるいろいろな本を参考にしていただきたい。そこには出ていないが本山博師の本も読んでおくと良い。こういう神学的なテーマにもっと関心をもっていただくことは、このブログの存在目的の一つでもある。

« 中公版『哲学の歴史』中世編など――神学のすすめ(?) | Main | 「個別に先行する普遍」の問題 »

霊性思想」カテゴリの記事

April 2017
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ