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転生についての新しい考え方

人と話していて、意外と多くの人がわかっていないコンセプトは、「より大きな自分」は、今の自分とは異なるということである。

何のことかといえば、それはモンローや坂本さんがI/There(あちらの私、略してIT)と言っているものだ。
それは自分の本体であり、それはあちらにある。そのあちらにある私は、いわばその「分身」を多数生じさせており、その多数の「自分」が、さまざまな世界領域(空間、時間的にさまざまなところ・・時には地球以外も含むであろう)に生を展開させているのである。それが転生というものなので、あちらからみれば「共時的」なものであり、決してあれが終わったらこれ、というふうに継続するものではない。

そのへんは、唯識でもはっきり言っていなかったところである。どうも、転生の概念は受け入れているものの、この自分の中に入っている「単一の魂」が、あちこちぐるぐるまわって、成長していくのだ、というふうに考えている人がかなり多いという印象があった。

この転生概念は「これまで」のイメージである。今はもう、新たなコンセプトが必要になっている。
それは、プロティノスが言っている、「魂のある部分は地上に降下せず、上の次元にとどまっている」ということばと、転生の本体とは何かという問題を考え合わせていくと出てくる結論だ。

つまり、あちらにある転生の本体とは、複数の「自分」の集合であって・・というより、ここに個別として存在しているように経験されている「私」は、より大いなる「私」の分岐としてあるものだということである。
いま、こことは違う時空において、共時的に、より大いなる自分からの「他の分岐」である「別の自分」が、多数存在しているのである。

それはあたかも、いろいろな動物はあちらにある「精霊」を本体としていて、個別的に肉体を持って存在している個体は、みなその精霊の「分岐」であるというのと似ている。

坂本さんは、そのITがさらに集まってITクラスターとなり、さらにその上位のITスーパークラスターとなっている、と述べている。
これを逆から辿れば、究極の源である「一」から、何次元も分岐していって、そこで私の魂の本体たるITが成立し、その分岐としていま私がある、ということになる。

魂というものを、そのような「入れ子構造」として考えることが必要だ。
この考え方が、非常に重要になっている。

これは、究極においてはすべてが「一」としてつながっていることを意味する。プロティノスの思想とまったく矛盾していない。というより私は、「これまで」の思想においては、プロティノスが最も「真理」に迫ったのではないかと推理しているのだが・・

このように「魂とは、何次元にもわたって入れ子状にグループをなしている」ことと、「したがって、転生とはつねに共時的に起こっているのであり、単一のものが遍歴しているのではない」ということ、このことが新たな世界観的常識となることを期待したいのである。

そのへんをわかりやすく述べているとなると、哲学思想の書物にはなかなか見いだされない。右のコラムにあげてある、坂本さんの本は、もちろんそれが一つの方便であり、神話のひとつであるという前提の上で、「けっこういい線いってるかも」との評価をすることができる。

なお、このように宇宙根源から多重に分岐しているのが「私」で、転生とはすべてこのグループにおいて共時的に起こっているということは、私の著書にも全部書かれているのである。

伝統思想は、「基本」をおさえたものとして、重要である。
しかしながら、現代はまったく新しい時代に突入していることも、また事実だ。
その意味で、「これまで」のものはあくまで「これまで」のものである。その常識の中だけでものごとを考えようとしてもなかなかうまくいかない。
古い言葉だがやはり「温故知新」である。

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