雨ですので
最近、ホワイトセージが気に入って、しょっちゅう部屋に煙を流している。
さて、今日の予定は、加藤雅人『ガンのヘンリクスの哲学』の読解である。
これはとても重要な著作のようなので、購入して保存版とすべきだろう。
もし、これから哲学を専門的に勉強したいという奇特な若い人がいたら、ギリシア・ラテン語を学び、教父や中世の哲学を専門に選ぶのをすすめたい。
いろいろ見ていて、結局それがいちばん「霊性」を哲学として追求できる領域であるように感じられるからだ。
あるいはもっと意欲があれば、イスラム哲学とか。日本ではひじょうに人材が不足しているし。
インド哲学も、知っておく価値はあるが、学界があまりに閉鎖的なので、創造的なことを行っていくのは、ちょっとむずかしい。就職もないし。
近現代哲学は、解説書も多いし、専門にせずとも自分でやるだけで十分である。
穴場としては、ロシアの近代神秘哲学で、これは相当なるぶっ飛びと言ってもさしつかえない。
「神化の思想」を近代においてマジメに追求しているというなんともアッパレな人びとの話である。
たぶん、私自身の、社会に対するスタンスとしては、こういう人びとにいちばん近いのであろうと思う。
コレですよ。
![]() | ロシアの宇宙精神 スヴェトラーナ セミョーノヴァ ガーチェヴァ 西中村 浩 せりか書房 1997-01 |
大多数の人には、ついていけないのか、ほとんど評判になってませんね・・
永井均あたりにかじりついているようではどうしようもないのに、ねえ。
ともあれ、
霊性の思想として、よいものは、すでにたくさん出ている。世が、それを受け入れることができていないのである、と私は考えている。きのう書いた稲垣先生にしてもそうである。
しかしこのブログとしては、しばらくは、ぶっ飛びモードも封印かも? とはいえ、ぶっ飛びとかそうでないかとかいうのは、世の常識が勝手に引いているラインに過ぎず、私はただリアルな世界に生きているのみだということは、再三述べているところである。ま、いちおう世ではどのあたりにラインを引いているのか知っておくことは、処世術として必要ではあろう。


