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2008.04.03

現代の霊的世界観とキリスト教哲学

最近、「霊的世界観」として普及してきている宇宙ヴィジョンを見ると・・その基本的な骨格は、中世のキリスト教哲学でできているということに気づく。

それは、神中心の宇宙観である。

存在は神である。万物は神から発し、神に帰還する。
神は究極の善であり、光である。万物は、神すなわち光をめざしている。宇宙は、光に到達し、神に帰一するように方向づけられている。人間を含めた存在者はすべて、光へと進むよう促されている。すなわち、万物は霊的に進化しているのである。存在者が存在する目的は、最終的には神に帰一するべく進化することにある。

このような世界観は、東洋にはほとんどなかったものである。このような霊的進化のヴィジョンは、キリスト教によって人類へもたらされたイデーなのである。

私はここで、だからこれは普遍的ではない、と言おうとしているのではない。このヴィジョンを受け止め、人類へ広めたのはキリスト教の役割であった、という意味である。

ただ、現代版と中世を比較して、中世になくて現代にあるのは、その霊的進化が、輪廻転生という過程で行われる、というヴィジョンである。

輪廻転生説はインドで伝統的にあったが、インドでは輪廻からの解放が求められるのみで、輪廻が進化のためポジティブな意味を持ちうるという発想は、なかったのである。つまり輪廻転生説と霊的進化論はインドではむすびついていなかった。

過去に、この二つが結びついていた思想は、オリゲネスの神学思想のみであった。オリゲネスはローマ時代の人であるが、宇宙は「学校」であり、輪廻を通して魂は進歩していく、と考えていた。

輪廻思想は、魂の先在という考え方とセットになる。魂が本体であり、肉体とは衣であると考えなければ、輪廻というものは成立しないからだ。こちらは、プラトン主義の考えになり、キリスト教とは異なる。

したがって、キリスト教哲学は基本的骨格を作っているが、もう少しそれを「プラトン化」して修正する必要がある。オリゲネスもプラトン主義の影響を受けてそういう神学を考えたのである。

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