ものと一つになる認識理論
以前書いた記事の中で、いちばん長い部類に入るものにこれがあるのだが
ここでは「ものと一つになることによって根源へと迫っていく」という哲学のあり方が提示されていた。
稲垣先生の『抽象と直観』を熟読しているが、この本では、それとほぼ全く同じテーマが、トマスの認識理論に関して論じられていることがわかった。
トマスにおいては(現実に認識の働きが成立するとき)知る者と知られたものが「一」であることの洞察と肯定が認識理論の出発点であり、根本的前提である p.224
そして稲垣先生が論じるのは、ここで「一」というのは、数的に、数えられるものとして「一」だというのではなく、それは「存在」に関わり、存在においては「すべてが一」であるという場所にあるという意味なのだ、ということである。
深いですね~
トマスの認識理論を理解するのは、かなりの努力を要する。しかしこれは、しがいのある努力である。そこで開けてくる視界は、あたかも、苦労して高い山の頂上に立ったときのような、晴れ晴れしたものである。
なお、先の「イデアと新々プラトン主義」は、今見ると、けっこう厳密でないことをたくさん言っているが、基本的な方向としては、ある程度書き表されている文章だと思う。こういう方向で考えるには、中世哲学を研究することが実り多いということも、また当然だということである。
なお、『抽象と直観』で、抽象とはトマスを、直観とはオッカムの立場を表しているようだ。真の問題は「トマスかオッカムか」であって、デカルトなどは、オッカムによってなされた転回を、自明の前提としたところに成り立っているということらしい。
この記事読んで、この6700円の本を買う人がいるんでしょうかね?(^^ゞ
私は、図書館で借りてきてるんですよ・・(笑)
4/4追記
『抽象と直観』、6825円でした(^^ゞ
さっきまでアマゾンに在庫があったと思ったら、もう売れてますよ。
そのページの、「この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています」のところを見ると、「美しさの中を歩め」関連本がずらり・・である。何冊売れたのかな?
最初は、借りてみた方がいいと思うけどな~ そんなに簡単にわかる本じゃないんですよ(笑)