人体科学会の雑誌に坂本さん登場
所属している、人体科学会というところが出している小冊子みたいなものが届いた。これは、学会誌とは別に出しているもので、広報誌みたいな感じだろうか。
それを見て驚いた。なんと、坂本政道さん、越智啓子さんが書いている。
内容は、他の本で書いているのと、同じようなものである。
その他に、青山圭秀、永沢哲なんてのも・・
こういうのが出ているということは、人体科学会としては、坂本さん越智さんなどを決して「いかがわしい」とは思わず、少なくとも、重要なる問題提起を含むものとして受け止めていることを意味しているだろう。
たしかにアカデミズムとしては少数派であることは間違いないのだが、学界というものもここまで来ているということは、ここを読む人たちも知っておいてもらいたいものである。
まあ、それくらいでなきゃ、この私が入会したりしているわけはないですな(笑)
ただ、永沢哲というのは、どうも私はエネルギー的に異質な感じがするかな。チベットで密教を修行した人だが、今は、京都の大学に勤めているらしい。
彼の『野生の哲学』は、野口整体を論じたものとして評価が高いようだが、アマゾンレビューで「中沢新一の影響が強すぎるのでは?」というのを書いたのは私である。
永沢のタントラ論は、どうも、中沢新一が『チベットのモーツァルト』時代に書いていたようなタントラ論とかなり似ているところがあり、そのノリを、野口論にも応用したような感じなのだ。
これを極端にいえば、「悟りとはつまり宇宙とのセックスでしょ」という悟り観に立つものだろう。「気持ちよさ」の極致としてそれを語っているわけだ。
ここがどうも、吉福伸逸流トランスパーソナルがはやった時代の感覚というか・・この現在ではすでに異質な感じがする。
その気持ちよさというのを、宇宙から注がれる愛や、人間がそこに位置づけられている「宇宙的な善への志向性」と一緒に語らない傾向がある。つまり、倫理性が後退して、快楽が前面に出てくるような印象を与えてしまうのだ。
チベット密教では、タントラ修行に入る前に、厳しい「前行」があって、徹底した戒律と懺悔の期間が必要とされる。それを前提とせずに、その気持ちよさだけにフォーカスしていくことの危うさを、今回も感じてしまった。
それはともあれ、時代は急速に変わっているということで、余計な自己規制はもはや無用になっているのである。
人体科学会の学会誌の次号に、普遍神学の論文が載ることになっている。
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