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またまた稲垣先生――『問題としての神』

あまり影響されたくないので、いまから少なくとも一ヶ月、あえて「アクセス解析」は見ないことにした。別に、見えないように設定することはできないので、「そこをクリックしない」という意志の強さあるのみである(笑)

さて、またまた稲垣先生モノである。長崎純心レクチャーズの、『問題としての神』。これもかなりのカンドーものであった。

哲学の中心問題は神であり、神こそ「問題」として考えなければいけないことだということを、力強く語っている本である。

近現代哲学が、いかに、神を問うことから萎縮したか、それがもたらした知的頽廃をはっきりと指摘している。

平易な語り口なので、いま、なぜ「神」を問わねばならないのか、という問いについての入門書として、強く推奨したい。

4423301121 問題としての神―経験・存在・神 (長崎純心レクチャーズ)
稲垣 良典
創文社 2002-03

このブログで追求されている「問題」も、つきつめれば「神」にほかならない。

「スピリチュアル」のブームは、霊性に対する関心を広げるという功績はあったが、反面、ともすると「前世」「守護霊」「霊視」といったものだけが一人歩きし、「向こう側の世界への興味本位な関心」を引き起こす危険もあった。

こういうことを否定するわけではなく、たしかにあることではあるが、こうした問題はすべて、根本に「神の探求」という筋を通した上で、しかるべき場所に位置付けるという思想的な枠組みを持たないと、危ういことになる。

霊性思想とは、第一に、神の探求であり、神について考えることである。それを忘れてはならない。

稲垣先生は、「神について人間の理性が考えることなどおこがましい、そういうことは体験するのみであり、哲学でやるべきことではない」というような考え方を、きっぱりと拒絶している。

というのも、まさに、そういう動機から起こった、15世紀のオッカム哲学が、こうした近現代の「知的世界から神が排除される状況」の出発点となったことを、よく知っているからであろう。

この本で特に印象に残ったのは、こういうことだ。根本には、Imago Deiがある。つまり、人間とは「神の像」であるということだ。

人間は、神に似せて創造されている。ということは、人間は、いくぶんなりとも神の知性をも分有しているはずなのだ。

知性というものを「変わらざるもの」と決めつけてはいないか、ということだ。つまり、知性とは本来、神的知性の分有として人間に備わっているものであり、現在は、物質的条件により制限されている状態にあるにせよ、本質的には、神や天使のもつ知性と同質のものなのである。したがって人間は、神の恩寵によって、神的な照明を受け、その知性を、完全なる神的知性の表現という状態に向けて、少しずつ進化させていくことができるのである。――これが、稲垣先生が語っている思想である。そしてこれが、ヨーロッパ哲学というものの本来的な伝統なのである。

これを読んで、稲垣先生がジルソンの弟子であることも知った。

ジルソンは、プラトン主義哲学を完成させたのは中世哲学であるという見方をしていた。

つまり、プラトン哲学は「存在」を発見した。存在とは、万物の根源であり、すべてはその「存在」にあずかることにより、ここにあるということ。キリスト教哲学は、その「存在」こそが神であり、愛であることに気づいた。そして、プラトン的なイデアは、すべて神のうちにある神的知性においてあるとした。すべてのものは、「存在」を分有されているからそこにあるのだとすれば、すべてのものは、神を内在させているわけであり、神の愛が浸透していることになるのである。こういうヴィジョンが成立したのだ。

「存在」とは、まことに不可思議なものだ。

宇宙は、存在しないこともできたかもしれないのだが、なぜここに宇宙があるのか。

宇宙の存在する以前というものはどういうことなのか。

それは、神的知性の知っていることである。しかしながら、人間の知性は、少しずつ、この神的知性に向かって進む。というより、その神的知性から誘引され、どうしても、そちらへ向かっていくべく、志向づけられているように思われる。それは、魂への呼びかけである。その、「存在からの声を聞く」ということ、それが、伝統的には「信仰」と言い表されていたことである。だから、「信仰と理性」という古い問題は、「魂への呼びかけを感じ、それを信じることと、それを知性へともたらそうという努力との結合」というふうに、とらえなおされる。それが、霊性思想の基本姿勢である。その意味で、この稲垣先生の言っていることは、私は文字通り100%賛成である。

その根幹が、Imago Dei なのだ。だから、「もしImago Deiがなければ、すべては空しい」のである。

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