ナスル先生と世界領域の四分割(もしくは五分割)
てなわけで、積ん読であった、ナスル先生の『イスラム宇宙論入門』(An Introduction to Islamic Cosmological Doctrines)を引っ張り出し、とりあえずイブン・スィーナー(アヴィセンナ)のところだけ読み始めた。
フランス語の引用文が訳さずにそのまま入ってますよ・・ 前に、ラテン語の引用が訳なしで載っている本を見てめんくらったけど。まあフランス語なら読もうとすればなんとかわかるので大丈夫であるが・・それにしてもかなりのハイブロウである。
その他、名著、『知と聖なるもの』も再読中。
坂部恵『ヨーロッパ精神史入門』を紹介したことがあるが、そこでは、本来は聖なる知性のことであった Intellect の意味が、西洋思想史においては次第に頽落していったことが論じられていた。ナスル先生の本は、そのテーマが、もっと徹底的に論じられている。
ナスル先生の語るところだと、人間の魂には神的な知性が内在しており、それは神的なロゴスでもあり、そうした神的照明を受けて、私たちは霊的な知に達することができる、ということである。
そして、宇宙は絶対的な精神から発出し、再びそこへ帰還するのであるが、生成の世界は、基本的な次元の相異がある、多次元的なものである。
ナスル先生の分類だと、それは四つに分けられる。かっこ内の別称は私が補ったものである。
絶対(神ともいう)
知性界(天使界、天上界)
中間界(微細界)
物質界
という四つが基本である。この四分類は、スミスの『忘れられた真理』でも採用しているところで、そこでは、無限・天上界・中間界・物質界などとなっていたと思う。
インド哲学でもこの四分割が基本になっているので、だいたい「そういうものだ」と受け入れておくのがよいだろう。
本山博師の本では、アストラル・カラーナ・プルシャそれから絶対という名称で語られている。カラーナというのはいわゆるコーザルのことだが、本山師は「カラーナにも微細ではあるがカルマがある」と言っているところからすると、上の分類では、「中間界」の上位がカラーナ、下位がアストラルと位置づけられ、「知性界」は本山師がプルシャと呼ぶところであろうと考えられる。またこの「アストラル・カラーナ・プルシャ」は、五井昌久師の「幽界・霊界・神界」とほぼ対応する。これに、物質界と絶対をつけ加えれば、これは五分類ということになる。「中間界」をさらに二つに分けるかどうかの相異である。中間界まではカルマの原理が作用する。
こうした世界領域の分類論は、細かい違いはあるにせよ、いろいろな立場で、基本的な一致がある。決して、千差万別というようにはなっていない。その一致は、人間に内在する知性の普遍性から来ているということは、別に霊的直感力がなくても、理性によって理解できることであろう。
また、ここで言う知性界とは、カルマを離れた「マスターたち」や神々の領域であるということである。根本的には「絶対」からのエネルギーで動いているとはいえ、私たちを導く「ガイド」や「天使グループ」のリーダーとして活躍しているのは、この次元の方々であろう。
ナスル先生も、こうした、私たちを導く天使やマスターの存在を、完全に信じている。稲垣先生をも上回る完璧な確信ぶりであり、まことにあっぱれというほかない。