あらためて、ことわっておきますが
このブログでは、すでに、「スピリチュアル」とか「スピリチュアリティー」などという言葉を用いて思考をすることは、拒否している。そのような言葉はどうしても軽いノリになりがちというか、一種の軽薄さをニュアンスとして受けてしまうということと、やはり、まだまだ江原サン的霊視の世界を連想してしまう人がいるので、避けたいのである(必ずしも、そういう世界を否定しているわけではないが)。
私がやろうとしていることは、現在、あまりにも自明となってしまった「近代知の地平」を疑い、それとはまったく違った前提から出発して、存在世界と人間の根本条件を含め、宇宙のグランドデザインを再構築するという作業である。
したがって、そこで霊的体験・形而上学的体験として言われていることは、「私というものの根底に開けている、存在根源への自己超越性」にかかわるものであり、いろいろなものが見えました的なもののことではない。そういうものは否定しないけれども、それは、ある究極的なるものへの道の途上にあるものとして位置づけられるものであって、その「道」そのものを把握しないで、そういう現象面にとらわれてしまうと、迷いに陥るのである。
つまり、これを「スピリチュアル系ブログ」などと紹介されることは、今の私にとっては、若干、迷惑に感じることだということである。
エリウゲナやフィチーノなどのような思想家のあり方が、理想とするところである。
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