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ちょい補足――東西神学の違いはどの程度のものか?

前項にちょっと補足だが・・ 私は、トマス・アクィナスなど西方(ラテン語圏)のスコラ神学・哲学を勉強する前に、ロースキィの東方神学から入ったという、人と変わった知的経歴を持っている。そのせいか、ロースキィの主張である「東方神学は神の神秘を維持したが、西方神学は『存在』を語ることにより、神を知的概念に堕してしまう危険を持っていた」という見解に影響されていることがあったと思う。だが、このところスコラ哲学をかなり勉強して、それは必ずしも妥当しないということがわかった。やはり西方神学も、人類の遺産として受け継ぐものの一つであるのだ。たしかに西欧では、15世紀以降、「神が知的概念に堕してしまう」という危険は現実のものとなった。しかし、その原因がたとえばトマスの思想にあった、と言うことは必ずしもできないように思えてきた(実際にトマスの原典を読み込んでいるわけではないので、ジルソンや稲垣先生などで勉強した結果にすぎないが)。

私は、偽ディオニュシウスなど、東方的な「否定神学」派であった。しかし、トマスのような「肯定神学」のあり方にも、学ぶべき点が多いことがわかったのである。

というより、東西の神学は、ロースキィが強調するほどは、違っていないのではないだろうか。トマスにしろ、神が理性には計りがたいものであることくらい、百も承知であったのだ。

次のような論文もある。これも、「思ったよりも近い」ことを述べている。

大森正樹「神の本質の把握不可能性について――東方教父とトマス・アクィナスの解釈――」『南山神学』28号、2005、pp.1-23.

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