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聖なる学と脱亜入欧的価値観

さて~~ 連休モードでひさびさの更新だ。

そろそろまたお仕事再開・・『スピリチュアル哲学入門』に向けて基本コンセプトを明確にする作業を進めようと思う。

それにしてもナスル先生はやっぱりよいわ。本棚をけんめいに探して、『人間と自然――近代人の霊的危機』と、『聖なる学の必要性』という二冊を見つけ出した。ナスル先生の視点はヒューストン・スミスと共通するが、やはりこれが基本なので、この立場を主軸として打ち出すことに重点が置かれる。

学というのはいろいろありうるはずだということだ。何も、近代ヨーロッパ人のうち立てた学だけが正統なる学だというわけではない――という、非ヨーロッパ文明からの自己主張という面も、こうした「伝統主義」にはある。日本に当てはめていえば、明治以来の「脱亜入欧」、何でもヨーロッパの学問を至上としてきた価値観はそれでよいのかという問いかけがナスル先生などにはある。イスラム諸国でもナスル先生のような立場は少数派であり、大学は圧倒的に「脱亜入欧」的な学問で占められているのが現状であるらしい。ナスル先生の本などが欧米である程度読まれているのは、イスラム文化を持つマイノリティーの人が現にそこで生活しており、そういう人びとの文化的アイデンティティーの探求という面もある。どうしても日本社会では「オルターナティブ」の立場が弱いという、一枚岩的文化の弱点もあるのだ。

そういう、「脱亜入欧でよいのか」という問題意識は、むしろ哲学に端的に表れても良いはずだ――というのが伝統主義の主張するところである。

日本の伝統哲学としていえば、私としては、空海の密教哲学をメインとして考えてもよいと思っている。そこには、伝統哲学の持っている特質の大部分が含まれていると思われ、普遍性があるからだ。そのシステムの中には神道的な神々も全部包摂されうるし、キリストでもマスターでも受け入れられるだけの包容力があるのだ。

しかし・・ナスル先生などはたぶん、ニューエイジはお嫌いだろう。あくまで伝統イスラムに必要なものはすべてあるという立場だろう。まあ、ニューエイジといってもピンからキリまである。いろいろな宗教の要素がまじり、組織をとらない個人宗教のような形態になっているが、これは歴史的には、イアンブリコスのプラトン主義的密教とか、フィチーノのスピリチュアルロハス、パラケルススの錬金術的世界観なんかと近いものだと思う。そういう形態で霊性が勃興する時代というのは過去にもある。それが現代的なメディアにのって普及しているのが現代の「スピリチュアル」である。私はこれを必ずしも否定しない。あくまでその中で真実と偽物を見分けることが大事だというだけだ。そもそも日本は昔からそういった「何でもあり」的な宗教性は得意としているわけで、イスラムやキリスト教のようなきっちりした宗教ではない。それはそれでいいのだ、ということを、日本人から言っていくのもありだと思う。

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