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イマジナル・ボディ

ワーク系の方では、いろいろな流れが加速しているが、こちらのブログではもっぱら、『スピリチュアル哲学入門』へ向けた流れを記述していく。

ロバーツ・エイヴンズの幻の名著?『イマジナル・ボディ』(Roberts Avens, Imaginal Body : Para-Jungian Reflections on Soul, Imagination and Death)を、古本市場でゲットし、読了した。

いや~何年も探していた本だった。相互貸借でも国内にはないので、読めないと思っていたが、古本では相当な高値だった。

エイヴンズのもう一冊の著、Imagination Is Reality は簡単に手にはいるし、翻訳も『想像力の深淵へ』が出ている。

さてイマジナル・ボディとは・・もちろん、いわゆるアストラル・ボディのことを指すのである。イマジナルとは、アンリ・コルバンがイスラム神秘主義研究から学界に持ち込んだ概念で、「中間的世界」を指すものである。イマジナルについての論については、日本語文献ではたぶん、井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』を見るのがよいと思う。

簡単にいえば、アストラル・ボディというのはありますよ、ということを言っている本だと思えばよい。そのパラダイム的には、「パラ・ユンギアン」とあるように、ユングの心的現実論と、その展開としてのジェームズ・ヒルマンの心理学、アンリ・コルバンのイマジナル論を中心としてプラトン-新プラトン主義の宇宙観を再興させる、といったものである。

これにはもろ手を挙げて賛成と言いたいところである・・が・・これはほとんど、数年前に私が考えていたパラダイムそのものだった。だが、今これを読むと、論が十分にシャープでないところが若干気になる。

それは、やはりヒルマンの欠点をそのまま引き継いでいるところがある。つまり、イマジナル世界の存在論的先行性を論じるのはよいのであるが、それより上位の世界を論じ得ないというパラダイム的欠点が目につく。ヒルマンは、魂の現実性を強く主張するが、魂を超えた「霊(スピリット)」の領域を頑強に否定する。これはいったいどういうわけだろうか? ヒルマンは霊とは父権的であり、抽象的であるなどと言うが、それは彼が、上位次元から来るエネルギーを体験したことがないから言っていることであり、単に、ヒルマンがスピリットについて抱いている「イメージ」を述べたものにすぎない。

もう一つは、アニマ・ムンディのことが出てくるが、新プラトン主義で言うような、アニマ・ムンディ(世界霊)と、個霊との区別はどういうものかという論点が入っていないようである。それと同時に、「私」の根源はどこから来るのかという論点も曖昧で、単に、「私とは複数的である」と言われているのみで、「私が私である」という西洋的霊性の根源的問題について考察が及んでいなかった。

また、主客分離的なデカルト主義の根源をアリストテレスに見出し、それとプラトン主義を対比させるという思想史的把握は単純すぎる。それは、魂のイメージ的認識を強調するのみで、一方でアリストテレスも主張した「能動知性」の問題から、中世哲学における「知性」の霊的な位置づけという思想的な流れを十分に整理していないところから来るのではないか。そこで「知性」というものが、あたかも現代的な頭脳的な意味であるかのように解し、それとイメージ認識を対比させているようなところがあるが、これは中世以前における「知性」の霊的な把握を考慮していないようである。つまり、中世哲学についての知識が不足している論のように思える。

このように、パラダイム的には、いろいろと不満は残る。

しかしながら、この、ユング-ヒルマン-エイヴンズの流れは、「人間とは魂であり、魂として、不死である」ということを学問的にはっきり言ってしまっているというのは、なんといっても貴重なことである。

魂と肉体を二項対立させるのではなく、魂にもまたそれなりの「微細な身体性」があるということがはっきり打ち出されてきたのは、エイヴンズの功績であるといってよかろう。つまり、物質-精神というのは二つに分かれているものではなくて、「グラデーションのもの」なのである。このような「精神と物質を両極とするグラデーション」として宇宙を把握するのは、新プラトン主義の世界観そのものなので、その中で微細な身体性というテーマはすでに出てきていた。プロティノスにはあまり出てこないが、それ以降のイアンブリコス、シネジウスなどの新プラトン主義者には、微細な身体性問題はあたりまえのものと受け取られていたので、これは何も、最近になって神智学やシュタイナーによって発明された概念ではない。「アストラル体」という概念自体が、新プラトン主義起源のものである(ただ、このブログで以前に述べたとおり、伝統的な「アストラル体」概念は、現在の意味とはかなり違っている)。

つまり、そうした新プラトン主義的グラデーション宇宙観の復権をめざしているという点では、正しい方向にあるものといえるだろう。(ただ私は、新プラトン主義だけで十分だとも思わない。新プラトン主義の「一者」を「神」と読み替え、それとのパーソナルな対話をめざしたキリスト教思想の意義も検討すべきだと思う)

残念ながら、『イマジナル・ボディ』を入手できる見込みはもうほとんどないと思いますが(笑) 『想像力の深淵へ』の方を推薦しておきたい。

478850717X 想像力の深淵へ―西欧思想におけるニルヴァーナ
ロバーツ エイヴンス Roberts Avens 森 茂起
新曜社 2000-06

こちらもついでに。
これは基礎科目ですから・・

4004201195 イスラーム哲学の原像 (岩波新書 黄版 119)
井筒 俊彦
岩波書店 1980-05

★追記: Avens の別の論文を見たが、能動的知性の霊的な意味について、もちろん知らないわけではないようである。『イマジナル・ボディ』では能動的知性の問題と mundus imaginalis の問題がうまく統合されていなかったということであろうか。

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