ジルソンの『神と哲学』――存在の根本問題
ほとんど読書記録と化してます(笑)
ジルソンの『神と哲学』英語版を買っておいたのを読んだ。小著なので、そばを食べるようにするすると。
いや、名著ですねえ。これは形而上学的問いの中核とは「存在」への問いであるということと、その「存在そのもの」を神としてとらえ、それとのパーソナルな関係を確立したことがキリスト教哲学の意義であること、そして近代以降はその本質が見失われてきたということを述べている。
これは私が知っていたことだ――というのは実は、私はジルソンからこのことをはっきりと学んだのである。それを再読したのだから、知っていたのは当然のことであるが(汗)。
日本語版は絶版なので、借りて読んだが、どうしても手元に置きたくて英語版を買っておいたのだった。やはり、西洋哲学の話はヨーロッパ語で読む方がよくわかるようである。
この小著から展開していけることはいろいろあって、たとえば、ハイデッガーの哲学は、近代における忘却を超えて、哲学史上ひさびさに「存在」の問題にフォーカスしたものであったという意義があること、しかしながら、ハイデッガー哲学には、かつての形而上学と比べて致命的な欠落があったのではなかろうか――というようなことも見えてくるわけである。
また、「存在の根本」を神としてとらえ、そこから形而上学を展開したのは、ヨーロッパ中世哲学だけではなくて、イスラム哲学もそうであったはずだ、ということも思い浮かぶ。西洋では、トマスの後、スコトゥス、オッカムと低落してきて、デカルト、カントによりついに息の根を止められてしまった「存在の思考」は、イスラム哲学では「神智学」の方向に発展したという「歴史の分岐」を認めることもできるだろう。
あるいは、インドや中国の哲学では、こうした「存在の根本」は忘却されることはなかったのではないか、ということもある。
もちろん「存在の根本」の問題は、「永遠の哲学」が主張することのすべてではないが、その最も根本のことがらであるにはちがいない。
↓まっ白な表紙なんで、写真がよく見えませんね(笑)
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God and Philosophy (Yale Nota Bene) Etienne Gilson Yale Univ Pr 2002-03-01 |
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