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宮元啓一への批評――功罪相半ばす?

宮元啓一のインド哲学論を少しまとめて読んでみた。

彼は、最近ものすごい数の本を出している。これは、インド哲学についてわかりやすく書ける能力のある人材が少ないためで、今の出版事情だと、ある程度の部数が見込めるという著者に依頼が集中する傾向があるためだ。宮元は、ウィルバーが売れなくなった後では春秋社の貴重なドル箱というわけであろうか。あともう一人、立川武蔵がいて、インド哲学をもとにした三部作の哲学書を書かせた出版社もあったが、それだけ、インド哲学に期待する読者層はあるものの、書ける人は限られている、という事情があるのだ。

で、宮元なのだが、読んでみた結果、「功罪相半ばする」という印象を持った。

インド哲学についてわかりやすく書けるというところは、たしかに本物である。読みやすいし、教えられるところも多い。

が、どうも、宗教の問題について、理解が深くない。というより、はっきりいって信仰ということがらに関してはほとんどオンチに近い人だと思った。また、西洋哲学やキリスト教との対比が出てくるが、その理解はお世辞にも深いとはいいがたい。深くないくせに、嫌みな口調で皮肉をいう。こういう性格的なものがどうも嫌いだった。

たとえば、ハイデッガーは世界内存在しか問わないというのも誤りだし、キリスト教は自由意志を重視しないというのは、一部の極端なカルヴィン主義だけをとりあげて、キリスト教思想の主流は自由意志重視であったことを知っていない。

基本的に、インド哲学の伝統の中にいる人ではなくて、あくまで日本人が外側から好奇心をもって眺めたらこういうのもできるのか、ということだ。インド哲学とは、自己の探求を哲学の課題とするが、宮元自身は自己を探求しているわけでもないらしいからだ。

うがった見方をすると、彼は、ある程度以上の世界が開かれていくのを本能的に恐れて、そこにフタをする傾向があるのではなかろうか。臨死体験への対応などにも、それがうかがわれる。

宗教体験というのは、自分の殻を破るように高次元のエネルギーが流入することである。彼は、これを恐れているように感じられた。学者にはよくあることだが。

特に、「他力」や、神への全託という思想について、これは危険思想であると繰り返しむきになって主張する、その感情的エネルギーに何か彼自身の問題を感じさせる。そして大乗仏教を、危険な救済主義だといって論難する。彼にいわせればバガヴァッド・ギーターも危険思想なのである。

このような、宗教に対する偏見ともいえる叙述が散発するので、有益な情報を含む本にもかかわらず、なかなか初心者にはおすすめしにくいものがある。

信仰に対する深い理解と、自己の根源への探求から学問をおこなっている、キリスト教系の、稲垣・谷・大森などの著作に接しているものから見ると、宮元の反霊性思想ぶりは顕著に目につくところであり、率直にいえば、その著作の、インド哲学をわかりやすく紹介するというプラスのカルマも、こうした妄言によるマイナスのカルマによってかなり相殺されてしまっているのではないかと心配される。

『インド死者の書』は、輪廻の主体とは何かという、私にとってははなはだ関心の高いテーマを扱っており、有益な情報を含むのだが、彼の「個人的見解」はスルーして読む必要がある。一つだけ書いておくと、彼は、「輪廻とは霊的進化のプロセスである」という考え方を、ダーウィン進化論に影響された超危険思想であると決めつけているが、これは彼の無知による解釈である。霊的進化の思想はもともとキリスト教が持っているイデーであり、それと輪廻思想が結びついているのは、すでにオリゲネスの思想に見られる。西洋的霊性の世界をほとんど探求したことがない彼が、キリスト教の「歴史における神化」という思想を知らないのはしかたがないが、突然、感情エネルギーを丸出しにして危険思想よばわりを始める彼の悪癖はなんとかならないものであろうか。ともあれ、彼は自分の専門にしている思想以外では、相当に間違ったことを言っていることがあるので注意が必要である。

というわけで、まあ、買うほどのものとは思えないが、図書館にあれば一読する価値はあるだろう。ただし、彼の悪癖にまどわされないよう十分な注意が必要で、思想史の初心者には勧めにくいなあ、という感じであった。宮元は、これ以上「謗法のカルマ」を積まないよう注意しないと、来世に響くのでその点は本当に心配である。

霊的な事象について書くというのは本当にこわいことなのである。宇宙の真理に背くことを書き、それを信じる人が多く出てきてその人たちが道からそれてしまうと、膨大なカルマを背負うことになるのである。その人たちがみな救済されるまでは救われないのだ。そういう緊張感をもってあたらないといけない。

本当は、インド哲学について、霊性的哲学の展開を期待する読者層も多いはずなのである。その部分をカバーしてくれる人材は、玉城康四郎なきあと、残念ながら日本にはいない。宮元啓一くらいのレベルのものがたくさん本を出すのは、ほかに人材がいないという日本思想界の状況からくることなのである。宗教オンチの人がインド哲学を講ずるなんて変な世界である。

したがって、「インドの霊性思想」を求めるならば、ヴィヴェーカーナンダなど、インドの霊的伝統の内部から書いているものを参考にするのがやっぱりよいように思われる。右コラムにあるヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』もどうぞ!(と、勧めるのは、私自身がヨガナンダ師から受けた恩恵に感謝するためでもある)

なお、ふつうにインド哲学史入門としては、むしろ立川武蔵『はじめてのインド哲学』(講談社現代新書)のほうが無難だと思う。宮元の『インド人が考えたこと』は、人がいうほどいいとは思わなかった。

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