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シュタイナーには引く部分も・・

気がつくと最近はシュタイナー系のものを読まなくなっている。

たぶんそれは、シュタイナーが言っているイデーの大半は、伝統哲学をよく学ぶと出てくることであるからだろう。つまりシュタイナーの名前を出さなくても言えてしまうわけだ。たしかに一般の人には、霊的な世界観をコンパクトに学べるという点でシュタイナーは役に立つところもあろうが、問題は、ところどころにとんでもない超ぶっ飛び話がまざっていることである。二人のイエスだとか、土星紀だとか、強烈なトンデモ話が織り混ざっているので、なかなかシュタイナーを引用したりすることができない。まあ、わからない部分は、一種の比喩なのであるか、あるいは、戦略的にわざとそういう書き方をしている可能性もあると思うが、ともあれ、少しでも学術的な形式を取ろうと思えば、避けて通らざるを得ない。正直いうと、私は、彼の「霊視」が、どこまでことの真実に到達しているのか、もう一つ確信がもてない。それが真実だと信じてディープに学ぶことを否定しないが、それはやはり信仰的な行為だということになる。思想という領域は踏み越えているということを自覚するべきだと思う。ともあれ、私としてはちょっと引いているのが現状である。

彼の出しているイデーのいろいろは、近代文化のクリティックとしては妥当なものも多い。ただどうしても、そういうオカルト的なものとセットでやってくるというところが困惑してしまうわけだ。近代文化のクリティックであり、霊的な文化のあり方を示しつつ、そこまでオカルトに踏みこまず、信仰的な飛躍を要求しないもの、それでいて、霊的世界観がコンパクトに説明されているもの――というのが、必要なのではなかろうか。そういうものは、東西の伝統哲学をバランスよく統合していけば、十分に可能なのである。

そこで、このまえも書いたように、ナスル先生のような伝統主義哲学に、多少の修正を加えたようなものが、存在するべきだと思う。それはこれから書かれるわけであるが、現状としては、やはり、右にもあげてある『忘れられた真理』と『魂のロゴス』などくらいしか、あげるべきものはないだろう。英語には、ずいぶんたくさん出ているのに、残念である。日本の読者は、シュタイナー、ウィルバーくらいしか選べるものがないということであろうか。

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