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伝統文明の霊的ヴィジョン

ナスル先生の『イスラム哲学 起源から現在まで』のところどころを再読しているが、すばらしいものである。一つの文明が抱いていたヴィジョンを明解に描き出している。それにしてもイスラム哲学は明快である。シンプルですっきりしている。そこへ行くとキリスト教哲学は・・なんといっても中心に「神の子の受肉」というものがある。このようなものが哲学に持ち込まれるのであるから、ややこしくなり、なんだかよくわからなくなるのだが、そこがまた、キリスト教哲学のおもしろさともいえるのである。イスラムのナスルに対して、キリスト教哲学にはジルソンがいる。・・しかし、ジルソンは神=存在という形而上学的原理を中心としているので、あまり、キリスト論は前面に出てこないような印象を受ける。キリスト論に深入りしなければ、キリスト教哲学もややこしくなくなるのだが。

私自身は、キリストを神の子とは見ない。かといって単なる人間でもない。位階的には「天使」にあたる高次元存在が人間の肉体に受肉したものと見る。こう考えるのはキリスト教徒の考え方ではない。しかし、他の文明の宗教思想とも整合的に理解しようと思えば、そうなるほかない。ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』に出てくるマハーアバター・ババジ師、あれをもっとスーパーにしたようなものがキリストなのではないだろうか。私の直観では、キリストほど高次元の存在が地球に降下したことは、歴史上にそれ以外にはなかったのであろうし、キリストが地球に来たことによって、地球という領域と高次元領域との何らかの調整がおこなわれ、地球の進化方向が修正されたことは間違いないと思う。

・・と、いきなりぶっ飛び話に転じたように思う人もいるかもしれないが、私にとっては何の矛盾もないのであって、この程度の話は簡単に許容できるのが、普遍神学というものである。高次元世界や天使・菩薩的存在もみな肯定しているのであるから、そこから地球人へ助力が差し伸べられているというのもまったく当然の話なのである。

そういえばこの前読んだチーサムの本に、コルバンは伝統的なキリスト解釈に異議を唱えて、「ドケティズム」(仮現説)を支持したという話がのっていた。私のキリスト解釈もそれに近いのだろうか。いや、私の場合、たしかに肉体に入ってきたと思うので、最近の精神世界用語でいえば「ウォークイン」ということになるかな(笑)

話は戻すが、こういう伝統文明の霊的ヴィジョンを描き出すような本をもっと読みたいものである。特に、インド、中国の思想についてそういうものを期待したい。狭い意味の哲学ではなくて「精神史」のようなものである。

というのも私はやはり、「人類の叡知の伝統」を全体として俯瞰してみたいという欲求がどうしてもあるようだ。なかなか、狭いところにしぼりこんでいくのは苦手である(笑)

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