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スピリチュアル哲学入門は、体制破壊である

ぶっちゃけた話だが、私もこういう方面では「できること」はある。一年前では考えられなかったほど、その点は変わってきた。ほんと、変化は加速していくものなのだ。

そこで、「わかってきた」ことと、「これまでの常識」との隔たりが、ますます大きくなってきたのだ。

そういうわけで、私はこれから、「探求者&表現者」として自己を表出することにしたのだった。これは何を意味するかというと、「体制破壊者」となる、ということだ。つまり、「これまでの積み上げ」をすべて認めた上で、それを少しずつ「拡張」していく、というやり方は、もうだめではないか、ついていけないのではないか、という意味である。時代はそれほど急速に変化している。「今までのもの」は、地球人が、意識構造的に「かせ」を着せられているという状況において、生み出されたものである。昔の数十年、百年分が数年で起こってしまうというこの未曾有の時期において、「今までのもの」を正確に理解する、などということに時間を費やしているひまは、もはやないのである。

ある意味では、「今までのもの」ではもうだめなんですよ、まったく新しい考え方をしなければならなくなってきている、ということに気づくということも必要なのだ。いったん、無にしてみる。そこでもう一度宇宙を感じなおす。

そういう意味では、これは、今までの「哲学入門」とは対極にあるものだ。今までの「哲学入門」は、哲学という確立された領域を学ぶことが、意味あることだという前提で書かれている。つまり、既存の哲学教授のペースによって、その教育コースの妥当性、ひいてはそれを肯定している社会体制そのものを肯定しているところから、スタートしている。ポストモダンだの、いかにラジカルなことを言っていたとしても、それは保守的なのだ。「徹底的に考えることが大事だ」などという価値観に洗脳しようとしているが、そういう「哲学のすすめ」の保守性を見抜かないといけない。

本当は、大いなるものへの感性のチャンネルが開いていない状態で、いくら考えたとしても、ほとんど無駄なのである。そういう哲学は、本当に学ぶに値するほどのものか、現在の人類文明の水準を、宇宙的な基準から眺めてみるとどうなるであろうか。

「スピリチュアル哲学入門」は、実は、すべて既存の「ふつうの哲学入門」の徹底的なアンチテーゼであり、体制破壊なのである。

クジラペンダント

ここ数日、「クジラペンダント」を愛用中。

最初、イルカペンダントにしたのだが、どういうわけか、エネルギー的に合わず、頭痛がしたり、ふらふらしたりしてくるので・・ ところがクジラに変えてみると、不思議とフィットする。まさに多次元的に拡大しているというか、巨大な「意識の海」を悠々と泳ぎ回るような「悠揚」という雰囲気が生じてくる。ふつうは、クジラは強すぎるので、まずイルカに慣れてから・・と言われているが、こういうこともあるようだ。高次元・多次元に包まれている感覚が上昇する。

この夏は、さらなる意識解放がテーマとなる。一方、著作については、「神聖なる計画」の存在が意識されており、すべては完璧に運ぶことになっているので、まったく心配していない。そこへ向けて意識フォーカスを強化しているのがここしばらくの状況である。

B000FQM0ZW クジラ(ホエール)エッセンス入りペンダント
ネイチャーワールド 2004-05-31

『あなたのガイドに願いましょう』

ドリーンの『エンジェル・ガイダンス』につづいて、ソニア・ショケットさんの『あなたのガイドに願いましょう』も、ガイドや天使と接続する方法を書いている本。表紙がきらきら輝くようになっているので、それもちょっとインパクトがある。

あわせて読むとかなり強力だと思う。こちらも相当なるおすすめである。内容的にも、だぶらない部分が多いので。基本は同じではあるが。

4478000603 あなたのガイドに願いましょう―聖なるサポートシステムにつながる方法
ソニア・ショケット 奥野 節子訳
ダイヤモンド社 2007-03-09

レイキのサードでは、ハイアーセルフにつながるエネルギーが伝授されるが、これまでの講習では、ハイアーセルフにつながる方法についての学習が十分ではないと感じていた。そこで、こういった本を副読本にして、サードのエネルギーを活用してもらうやり方が、効果的ではないかと思う。私が今後やるときはそういうふうに進めてみたい。

アセンションプリーズ2

アセンションプリーズ アセンションプリーズ~♪

やってますか? 右手をくるくるっと斜めに上げながら、ですよ(笑)

さて、私もようやく夏休みに入った。

そこで、しばらく、もう一段階自分を「解放」することにする。
どうなりますかお楽しみ~ イルカくん大笑いですよ・・

アセンションプリーズ

最近、越智啓子センセの講演会に行ってきた人の話を聞いたのだが、お約束の「カニ踊り」のほか、うけたのが「アセンションプリーズ」だという。

これは、右手をくるくるっと右斜め上方へ向けて螺旋状に回転しつつ上昇させ、「アセンションプリーズ」と言う、というもの。

これは楽しい(^^) やってみるとわかるが、精神が解放されます。カニ踊りもそうだが、「こまかいことはどうでもいいじゃん!」てな明るい気分になってくる。これがまさに越智センセの世界であろうか。

いまのスピリチュアルには絶対にこういう「軽さ」が必要なのである。というのも「重いスピリチュアル」はやはり、物質界の重圧が強くてそれを破るのが大変だった時のスタイルで、世界の波動が変わっている現在、むしろ軽さが求められるようになっているはずなのだ。それは理論とかではなく、直観的に感じていることである。

そういう意味で、過去の哲学はやっぱり過去の哲学。そのままでは通じないところもある。それは痛感しますね。

さて、アセンションプリーズで思い出すのが、「アテンションプリーズ」という昔のドラマである。たぶん越智センセもそれを意識してアセンションプリーズを作ったのでは? ここでいう「アテンションプリーズ」は最近の、上戸彩によるリメイク版のことではなく、紀比呂子主演の昭和40年代のドラマのことである。

私はこのドラマの主題歌がものすごく好きであった。で、アセンションプリーズも、この歌のメロディーをつけて言うのがよろしいのではないかと思う。

歌詞がうろ覚えだったので、YouTubeで探したらありました。

http://jp.youtube.com/watch?v=vXKTpQfyx7M

関連動画で紀比呂子が見られるバージョンもある。

しかしこの、JALの動画もなかなか・・

というのはそもそも、飛行機というものが発明されたのは、単に、遠い場所へ早く着きたいという欲求ばかりによるものでは、ないからだ。「飛びたい」という欲求には、もっと魂の本質的なものがある。この動画は、なかなか、そういう感覚を感じさせるものがある。

「私は飛ぶ、私は飛ぶ、飛ぶの~♪」

とか私が歌っていると、「どこへ飛ぶんですか?」などと、いささか違う意味に誤解されてしまう可能性もないではないけど、ともあれ、

日に光り ひらける波を
いま わたしは 見る~
アセンションプリーズ アセンションプリーズ・・

■追記 7/29

紀比呂子、范文雀らの、オリジナル版「アテンションプリーズ」のDVDボックス。
YouTubeで、紀比呂子をひさびさに見たが、すごい、かわいいですね~
放送当時は、あまり色気づいていなかったので(笑) そういうことには、あまり気がつかなかった。

これは、激しく見たいのだが、レンタルでは、出ていないようだ。

誰か買いますかね?

B000EBDDL8 ATTENTION PLEASE アテンション プリーズ
紀比呂子
キングレコード 2006-05-10

『エンジェル・ガイダンス』

もう一冊ご紹介。ご存じドリーン・バーチューさんの『エンジェル・ガイダンス』である。

これは彼女の初期の著作のようであるが、ひじょうにすばらしい。「聖なるガイダンス」を受け取る方法がいろいろ書いてある。

4478004196 エンジェル・ガイダンス―真のスピリチュアル・メッセージを受け取る方法
ドリーン・バーチュー 奥野 節子(訳)
ダイヤモンド社 2008-02-16

全編にわたって、聖なるガイダンスを受け取るのは特別な能力ではない、だれでもできるのだ、ということを繰り返し語っている。

実際、その通りなのだが、なかなか、「まさか自分が・・」というふうに、信じられないものである。それがこの本を読むと、なるほど、自分でもできるのかも、という気になってくる。ということは、この本の意図は成功しているということだろう。

ガイダンスを受け取るのは「見える」ことだけでなく、「聞こえる」「感じる」「直感的にわかる」というチャンネルもあるということも明確に述べ、チャンネルごとのトレーニング法も書いている。

特に重要なのは、高次元から来るガイダンスと、低次のエゴから来る声を見分ける方法を詳しく書いているところである。ここがきわめて重要で、これさえクリアすれば難しいことは何もない。自分を信頼すればよいだけだ。

ドリーンの本の中でもかなりおすすめランクの高い本と言えるだろう。

多くの人が、自分で聖なるガイダンスを受け取る能力を発達させれば、「問題あるサイキック」は駆逐されるであろう。

いかにも女性好みの表紙に抵抗感がある男性諸氏は、これも女性性を統合するトレーニングだと思っていただきたい(笑) 実際は、写真ほどピンク色が濃いものではない。

『神は私にこう語った』

ブルックナーの交響曲などにひたる日々だが、水面下ではエネルギー変化が進行中なのが知覚される。

そんな中、きょうはエネルギーの高い本を紹介。

4763181238 神は私にこう語った―新しい生き方へのメッセージ (サンマーク文庫―エヴァ・シリーズ)
Eileen Caddy 川瀬 勝
サンマーク出版 2001-05

あの、フィンドホーンのアイリーン・キャディが受け取った高次元からのメッセージが記録されている本である。

これはなにか、持っているだけで「お守り」にもなりそうなほどの純粋な光のエネルギーである。この本を身辺において、いつもどこかで意識していると、意識変化が起こりそうである。

銀河意識の目覚めの時にあたり・・

銀河意識との接続を試みる今日このごろである(^^; 

本は書けるのか?・・と思わないでもないが、まず意識の設定が第一。

「今度の本にはどういう意味があるのでしょうか?」という問いに対しては、

銀河意識が大規模に目覚めつつあるというこの大変換の時において、これまでの地球人類(現代人が認知している限りでの)が創造した哲学・思想というものの遺産を総括し、どういうことが達成されていて、またどこに限界があったのかを示し、流れては消えるどうでもいいものを整理し、本質的なものだけを浮かび上がらせる・・つまり、哲学というものをきわめてシンプルな形にしていくということだ。銀河意識がよりオープンとなっていくための、一つの作業ということである。

このようなメッセージが入っております。

それではまた

リーディングの落とし穴

最近世にある、ヒーラー養成スクールというのをばかにしている人もいるようであるが、これらはかなりまじめにやっているものである。ここを卒業して、実際にお金を取ってお仕事をしているような人は、ある程度のレベルのことはできるのはたしかであると思う。ヒーリング能力というのはある種の人のみに限定されたものではなく、トレーニングすれば誰でもある程度できるようになるものだということを、こういうスクールの存在は世に示している、ということにもなる。つまり、こういう能力というのは、100メートルを10秒以内で走れるというようなレベルの特殊技術ではなく、極端にいえば、美容師や看護師になるのと同等のことだ、ということになってしまう。このような認識が広まり、こういうスクールが各地方都市にもできて、大量のヒーラーが養成されれば、世の中は大いに変わっていくことであろう。

もっとも、エネルギーヒーリングはともかく、リーディングの方になるとどうなのか。これまた世にはたくさんのリーディングをする人がいる。

私の見聞の範囲でいうと、やや問題のあるリーディングというのは、「相手の領域に侵入しすぎる」という傾向がある。さらに、「自分のもっている精神世界的な価値観を押しつける」ということも時々見受けられる。いろいろな本で言われているようなニューエイジ的価値観から、「あなたは・・・であることに問題がある」というような判断をすることがある。そういう判断もある程度必要なのであるが、ややもすると、そのように霊的なことがらについて他人を「指導」するということにおいて、エゴ的な快感が忍び込んでくる可能性があるということを、リーディングをする人は強く自省すべきだと思う。「あなたは・・だ、あなたは・・だ」と一方的に言うような人がしばしばいるのである。そこでこういうエゴ的な快感に負けた人は、そこにグルと弟子の関係をつくって、自分の勢力下においていろいろ「指導」しようとするわけだが、これはかなり「教祖」への道だということになる。このようになってしまった人が、自分の勢力圏に引きつけるためにサイキック・アタックをおこなったり、相手のエネルギー場に何かを埋め込んだりする例も残念ながら存在する。波動があまりに下がると低級霊が寄ってくるので、どんどん転落するのである。

そのような危険な教祖レベルまで行く人は少ない。しかしこの延長線上にかの有名なるカルト教団の名前があるということを忘れてはいけない。こうなってしまうとその末路はおそるべきアストラルの最低層である。霊的な「指導」をすることの恐ろしさというものを意識し、紋切り型のニューエイジ的価値観で「判断することば」を吐くことの恐さを知る必要がある。そのためには、たまには河合隼雄とか、カウンセリングの本でも読んでみることもよいと思う。

また受ける側も「自分ももっているパワーを明け渡さないこと」が大切なことであろう。波動が弱っていると変なヒーラーを選んでしまったり、よいヒーラーに行き着けなくなることがあるので、状態がいいときに信頼できる人を探しておいた方がいい。

プラーニック・ヒーリングとねもっちさん

最近、プラーニック・ヒーリングというものがある。以前になるが、どういうものかと思って検索してみると、「ねもっち」かよ~~ と驚いたものである。「ねもっち」とは根本さんのことで、実は私はかな~り昔、メーリングリストをやっていたことがあるのだが、その時に参加していた人なのであった。彼は理系の大学の先生をしていたのだが、それをやめて、江本勝に弟子入りし、それからチョー・コク・スイ大師についてプラーニック・ヒーリングを学び、今では日本でそれを教えている、ということである。

プラーニック・ヒーリングはわるいものではないだろう。趣味の問題であるが、私はどうも「大師」というのがひっかかってしまった。HPの記述から受ける波動は、やはりどうもミステリーサークル系のものである。これを受けにいったという知人も、神智学のファンでコテコテの秘密結社系の人であるので、やっぱりこういう人がひきつけられるのだな、と感じた。類は友を呼ぶというのは普遍的真理である。だめと言っているのではない。パシフィックエッセンスのサビーナさんもチョー・コク・スイ大師に教わっているようだから、決してニセモノではない。私とはエネルギー的に合わないかな、ということ。○○行者というような人が合わないのと同様に・・ 

HPの記述を見るとずいぶん高度なことが書いてあるが、これが週末セミナーだけでできるようになるのか、できるとしたらそれはどういうことなのか、そのへんは私にはよくわからない。

エネルギーヒーリングにも各種ある。できるだけ神秘系の香りがない方がいい人はセラピューティックタッチやヒーリングタッチ、気功など、秘密結社系が好きな人はプラーニック・ヒーリング、究極的にコテコテ志向の人はロッキーマウンテン、そしてレイキ系はその中間というところだろうか。まあお好みのままに、である。ロッキーマウンテンやドルフィンスターテンプルなどになると、かなりその集団のエネルギー場が強くなるから、合う人でないと入れない。一方スピリチュアル・ヒーリングでも、ブレナンやブドラのスクールなどはかなりニュートラルなポジションであるから、その立ち位置も様々というべきである。

しかしこのねもっちさんの生き方も、うらやましいと思わなくもない。少なくとも自分のやりたいことを貫いているのだから。私はというとまだ生活の一部に「生計のために」という要素が残っている。これを克服して、完全に自分の望む現実を創造する方向にいきたいとは思う。私の本来もっている力はまだ完全に出ていないという気がしている。

精細な意識

精細な意識波動をキャッチし、そこにフォーカスすることをテーマとして最近の日々を送る。ますます「受信モード」? 今回の新作には「銀河意識の目覚め」という意識波動を広めるという意味がある、とのメッセージを受けている。例の宮澤賢治のことば、「我らに必要なものは銀河の透明なる意志である」というのも、一つのキーワードではある。そのエネルギーを表現するにはまた媒体自体も変容が要求されている。

そのサポートとしてまたエッセンスの服用を考えているのであるが。さしあたり、ポマンダー、クイントエッセンスは切らさないように一日数回の使用である。

また、数年中に、物理的にも動くことになる、とのメッセージも来ているのであるが・・(来ているというのはどうやって受け取っているのか、という疑問には、この場では答えないことにしておく(^^;  )

銀河意識を養う

このところますます、「準備」という感覚になってきたかも・・ ここのところ、過去の哲学についての勉強をやめにして、ボディワークも増やし、感覚を中心にしている。聴く音楽はブルックナーとヒーリングミュージックばかりである。すると、少しずつ、「銀河意識」とでもいうべきものが、徐々に鋭敏になっていくのを感じることができる。新聞やテレビなどマスメディアもできるだけふれないようにしなくては、なかなかこれを維持できない。

そのようなエネルギーを「受信」し、人間語に翻訳するということを、本質的にはやるわけであって、その意味では限りなく「詩人」に近いのである。

これまでのものはたしかに偉大ではあるが、あくまで地球という限界で語られていたものだし、地球鎖国時代という条件のもとで存在したものだった。少なくとも表現法は銀河時代的に新しいものとならねばならない。

背骨ゆらゆら健康法

このブログでも何度か登場した、禅密気功。

禅密気功にはいろいろな功法があるが、背骨をゆらゆらさせる築基功がなんといっても基本。これだけやっても十分。

短期集中セミナーもあるが、東京へ泊まりがけというのも大変なので、行ったのは築基功だけである。その他はDVDで学習。いろいろやってみた経験を書いて禅密気功事務局に送ったら、会報に掲載された(汗)

背骨の気をゼリー状にしていくということと、頭頂と密処(第一チャクラのことをこう呼ぶ)をつなげるラインを意識することの経験を書いたのだった。

簡単なように見えてかなり奥が深い。

「気功の本」としては、前に書いたように、『気功革命』がおすすめなのであるが、「功法」としては、禅密がいちばんだと思う。霊的なワークの基礎になる、という意味で。

4861101271 背骨ゆらゆら健康法―自分でできるお手軽気功術
朱 剛
春風社 2007-10

こちらの本は、意念の使い方をよく説明してあり、参考になる。

ただ、築基功だけで全身のほぐしをやろうとすると、かなりたくさん動く必要があるので、ほぐしの部分は、ヨガなどを併用する方法もありそうである。

太極拳再開

最近、エネルギーレベルでの負荷が大きくなる時期であるため、エネルギー的なメンテナンスを、真剣に考えないといけなくなっている。調和が乱れてくると、そもそもバランスを取るための行動をしようという意欲や意志までが低下するため、そうならないうちに手を打っておかねばならない。

クイントエッセンスやポマンダーの継続的な使用も不可欠だ。

さらに適度な運動も望ましい。特に下半身にある程度の負荷をかける運動がよさそうなので、久々に太極拳を再開しようかと思っている。

このところ太極拳を休んでいたのは、近隣には良い指導者がいないというか・・形ばかりで、気のレベルで教えてくれるところがないため、教室に行くというのは関心がなくなってしまった。東京や大阪ならあるのだろうが・・

そこで、前に買った中国製のVCDというものを出してきた(DVDではない)。伝統楊式のVCDは何種類か買ったのだが、いちばん参考になるのは李正先生による6枚組みである。型は、私が習ったのと少しだけ違っているところがあるが、そこはあまり気にならない。解説が詳しく、いろんな角度から何度も反復してやってくれるので、覚えやすい。特にいいのは意念による勁力の使い方を話してくれることである。もちろん太極拳初心者がこれで覚えられるわけではないが、ある程度制定拳をやった人ならできるのではないだろうか。これを夏休みには少しずつすすめて、夏の終わりには楊式を一通りマスターしようかと計画する。十分に腰を入れて動くということと、微細な勁力の運動を意識しつつ、というテーマである。

言い忘れたが、このVCDはもちろん中国語である。私は中国語ができるわけではない。しかし、「右足」「前に向かって」「45度回る」など、わかる単語を拾っていくと言っていることの四割くらいがわかるのであまり問題ない。今の中国という国はかなり問題ある方向に進んでいるが、もともと私は気功や太極拳が好きであったので、中国語も多少は習ったことがあったのだ。それにはある程度時間も費やしたので、この程度活用しなければ元が取れない。

これも広い意味では、銀河意識に向かうための自己ヒーリングの一環ではある。

中国武術は北京五輪の特別項目なるものになった。これも中国の国際的地位を上げようという上層部の策動なのだが、体操競技のように点数を競うようになった太極拳などが、はたしてその本質を伝えるものであるのかどうか。北京式の制定拳をかなり習った私としては、その限界も感じないわけではない。中国ではどうだかわからないが、日本ではほとんどが「型」しか教えない教室ばかりで、微細身体性レベルに入りこむことはない。

本当は、内的なエネルギーの流れが知覚できるようになってからが、本当に面白くなるところである。たとえば、動きのラインが数センチずれただけで、内的な気の流れがまったく変わってくることがあるのだ。だからこそ、正確な動作をすると、それまでに経験したことのない気の流れが微細エネルギー場に発生したりもするのだ。ま、これからそういうことをジミに追求しようかというところである。

銀河文明の夜明け?

最近、いちばん考えるのは「銀河文明への目覚め」ということである。

地球的視野を超えるということである。

これまでの地球人の文化は、少なくとも現代人に知られている限り、まだ銀河に目覚めていない段階のものである。その中でもある直観が保存されてはいるが。

既存のものをつぎあわせるだけでは、銀河文明にふさわしい思想表現はできない。では、どうするかということになるが、そのためにイルカくんとの交信を活発にする日々である(笑)

イルカくん再始動?

さてひさびさでござる・・ 少し休んでいたが、実はこのあいだ、波動がチェンジしてきた。またまた、イルカくんが動き出したのである。春からしばらくのあいだ、研究モードでいろいろ調べていたが、それも一段落。実際に書いていくにあたっては、また違った意識モードが必要となってくるのだ。今回、イルカくんは、「自分のもっている力を恐れず、信頼するように」とのメッセージを発信してきている。

実際、過去の思想をつなぎあわせるだけでは、もはやこれからは不可能だということもはっきりしている。そこにはどうしても、ジャンプがある。21世紀は地球で未曾有の時代なのだから仕方がない。

視線は銀河の彼方へ・・である(坂本さんみたいだが)。もはや「銀河意識」とはどのようなものなのか、それを感じて表現することが求められる段階に来ている。そのためには、過去の思想に「根拠」を求める発想も、ひとまずは手放さなければならない。根拠も証明もない。そこに生まれるのはヴィジョンである。こういう思い切りが必要だ・・というのが、イルカくんから到来している交信である。というわけで、今月中には大規模な意識シフトを完了させたいところである。

「おはなし」と哲学・形而上学

と、いうわけで、今度は河合隼雄による「おはなし」関係の本をいろいろと借りてきたのだった。昔話とか児童文学、ファンタジーと、いろいろある。

こんな文がある。

極端な言い方をすると、自然科学もおはなしの一種なのだが、外的事物を操作するのに飛び抜けて優秀な「おはなし」だというべきだろう。それがあまりにも有効なので、自然科学の語るおはなしが、そのまま「現実」だと思い違いをはじめたために、現代人は混迷しはじめた。「現実」との真の接触を回復するには、人間は自然科学以外のおはなしも沢山知る必要がある。
『おはなしの知恵』p.20

というのはまったく同意であって、自然科学が一つの「おはなし」であることは、たとえば池田清彦の『構造主義科学論の冒険』(講談社学術文庫)などを見ても明らかであろう(ただし彼の『科学とオカルト』は前に書いたように天下の駄書なので読まないように。なおこうした科学観の高級バージョンとしては、大森荘蔵『知の構築とその呪縛』などがある)。

また河合は、オウム真理教と見られる事例に触れて、それにひかれた人は、知的エリートであったかもしれないが、あまりにも、生と死にかかわる「おはなし」について知らなさすぎ、免疫がなかったと言っている。だからあのような「変なおはなし」にだまされてしまったのである。

こういう河合の基本的な考え方は、「人は、生きるため、そして死ぬために、おはなしを必要とする」という理解である。そして、自然科学は、人が生きるためのおはなしをすべて提供できるようなものでもない。もちろん心理学だって、自分なりのおはなしを提供するというだけの話である。

このように見てくると、私がいまなぜ河合のおはなし本などを読もうとしているのか? というのは、私はたぶん、今から書こうとしている哲学、形而上学(それをスピリチュアル思想ともいうが)をも、一つの「おはなし」を作ることだと感じているからではないか、と思われる。単に、その仕事が終わったら神話学の仕事に入るから、というのではなく、その二つの領域は、私において、もっと内的に、密接に連関しているのであろう、と気がつくのである。

哲学・思想というのもけっきょくのところは、「自分が納得できるようなおはなし」を求める行為なのだろうと思う。あるいは、「美しいおはなし」をつくろうという衝動に由来するものでもあろうし、その中には、「自分の実際に見てきたすばらしい世界について人に語ろうとするおはなし」もあることであろう。このように思想の歴史をながめてはどうだろうか。

だからそれを研究するということも、つきつめれば、「自分のもっている、<世界についてのおはなし>を豊かにする」ための旅のようなものだろうと思う。

霊的哲学というと、存在世界についての「絶対的に正しいおはなし」を追求するものだと思うかもしれないが、そうではない。「一つの絶対的に正しいおはなし」を信じることは危険である、というのが現代人的な感性であるし、それを精緻に語るのがいわゆるポストモダン思想なるものだ。そもそも、人が語る限り、それは絶対に相対的なものでしかない。人は、人の世界という文脈の中でしか、宇宙の真実を表現することはできない。人が人の世界(正確には、地球人の世界)を超えれば、また別の表現も可能になるであろうが。

すべては「相対的にバランスがとれていると思われるおはなし」や「相対的により多くのものを包含した包括的なおはなし」「相対的に、深い美の世界が表現されていると感じられるおはなし」などをめざしていく、ということしか、人間には可能でないのである。それ以上のことは、地球を卒業してからやるべきことである(笑)

伝統の形而上学は、たしかに、自分こそが正しいおはなしであるというのを争おうとしてきた側面がある。特に西洋的な思想はそうである。また、それが正しいお話であることを「証明」しようという試みもあった。また、そういうおはなしは「感覚的経験の示すところにもとづいて、完全に首尾一貫して論証されていなければならない」という考え方もあった。

私はこのような「論証への呪縛」から哲学を解放して、それは「おはなし」なのである、という立場に徹しようと考えている。哲学といわれるものは、世界が存在するとか、自分が存在するということについての、「よりすぐれたおはなし」を探求するということなのだ。すぐれたおはなしを沢山知れば、オウムのような、粗雑で美的ではないおはなしを面白いと思う人はいなくなるはずである。

おはなしであるからといって、イメージだけで、論理がまったくないというわけでもない。そのへんは、たとえばプラトンの対話編などを見てもわかるだろう。ただ「論理のみ」で押していくことにも限界があることは明らかである。

と、ここでさらに問題になるのは、それでは、そのおはなしと、霊的体験のような「体験」の問題はどうなるのか? ということである。おはなしは、「人間が経験しうること」をできるだけ多く含みこむものであるべきだと思う。その意味でも形而上学的経験(日常の領域を超える経験)があるということも、おはなしは含みこんでいくべきであろう。

まあ、そんなことを考えたが、河合の本は、あっちこっち連想が飛びまくりで、まったく論理的でも体系的でもないのである(笑)

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