「答えがないから・・」ということ
一つ、書いておきたいのは、
「答えのない問いを考えることに、意味があるのか」
という言い方があることだ。魂とか、存在の根源とは何か、という問いには、答えがないだろうというのだ。
私に言わせれば、この考え方はいかがか、と思う。というのは、こういう言い方は、その「答えが出る」ということを、どう考えているのだろうか、ということだ。それを、まるで、科学のように、「だれもが文句のつけようがないほど、白黒はっきりつけるような答え」が出ることを、期待しているように見えることだ。
つまり、考えるとか、答えを出す、ということを、あらかじめ狭く限定した上で、答えが出ないと言っているのである。
そのような「誰もが有無を言わさず納得するような答え」が、答えなのではない。それは、私の答えであり、あなたの答えなのである。
だれでも、その時点、その場において、自分にとっての最善の答えを持つことはできるのである。
「答えがないから・・」という人は、探求ということが、どういうことなのか、それを経験として知らない。頭だけで、判断している。その時において最善の答えを見出すことは、自分自身の魂レベルで、ある変容を経験することなのである。それが「イデーを受け取る」ということである。そういう経験を一回でもした人は、けっして、「答えがないから・・」などということは言わない。そんなことを言う人は、自分なりのその時の答えを考えて、そしてそれを徐々に更新していくことが、喜びに満ちた道だ、ということも理解していない。つまり、残念ながら、「答えを出す」という行為の意味を、学校の勉強をモデルにしてしか考えることができなくなっているのだ。

