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アバンダンス・エッセンス

先日、「別のところに書いている」と言ったが、いったいどこにあるのか・・などという声もあるが、ずーっと前から出ているのに、見るとも見えず・・ということはよくあるのですね。

7月くらいから、そっちの申込が多くなってきたが、考えてみると、そのころから「アバンダンス・エッセンス」を飲んでいた、ということを思い出した。今も、一日二回ほどだが、続けていて、なくなるまでは飲むつもりだが・・ たしかに、「豊かさ」を引きつけていることは、否定できない。お金だけのことではなくて、「自分の望むものを引きつける」という意味においても。

エッセンスは、複数同時進行しているので、どれの効果か見きわめにくいこともあるが、効果というのはドラマティックに出る場合もあれば、「気がついてみると・・」と、後でふり返ったときに変化を感じる、ということもあるようだ。

エッセンス単体じゃなくて、いろいろセットになった「アバンダンス・プログラム」も有名ですねえ。

女神系エネルギー・・ 「アバンダンティア」というエネルギーワークとはかなり同質のものを感じる・・って、同じ女神だからあたりまえですか(^^)

B000FQ5PS6 アバンダンス エッセンス
パシフィックエッセンス 2001-03-19

とりあえず講義ノートでも・・

で、最近力を入れている、エネルギーワークの方では、べつに書いているところがあるから、そっちを探し出してもらうとして、その他のことでは、とりあえずネタ切れである。そんなわけで、最近書いた講義ノートの断片でも、貼り付けておくことにしよう。こちらは、本の方の原稿ではない。

哲学とは

 自分がそこに生きている(存在する)ということ、そして世界があるということの、表面を突破して、その「根源」へ迫りたいという衝動に端を発しています。そのように、(1)世界の根源、(2)自己の根源、を探求し、それに基づいて、(3)宇宙のグランドデザインを構想する、という目標を持っているものです。
 人類の哲学的遺産の主要なものは、ギリシアまたはインドを起源としています。そこから展開して「伝統哲学」が発達しました。各地の伝統哲学は、ある程度の差異はありますが、かなり共通したものがあります。ヨーロッパ近代文明は、それまでとはちがった特徴を持ち、近代哲学は、それまでは大きく考え方の異なる哲学となりました。近代人は、根源への探求よりも、確実性・厳密性を重視する傾向があり、それが哲学にも反映しています。しかし、伝統哲学を生み出した「魂の衝動」は近代人にもあるため、事態は複雑になりました。

更新が滞っておりますが・・(^_^;

ブログというのは、どんなにくだらないことであってもいいから、まめに更新した方がいいものである・・ とは思っているが、いざ、身辺いそがしくなってくると、そうもいかないもので・・ なまじ、毎日更新していると、数日更新が止まっただけで何かあったのかと心配されてしまうから、それも善し悪しである。心配されるというのは、善意ではあるが、マイナスエネルギーを浴びるという意味もあるから、あまり心配されないように気をつけることも必要ではある。ブログというのはどうしても、書いている人にとっては、生活の1%くらいのものではあっても、見ている人にとってはその人の情報の100%である・・という、書くと読むでの意識ギャップというのがあることを、注意しておかねばならない。近所の知り合いしか読まないのならば、そういう問題もないけれども。

宇宙の階層についての話~~伝統とヘミシンクと

今度の本を書いていて思ったが・・このモデルは、かなりに、右の欄にも出ているような、坂本政道さんの書いていることに近いのじゃあないか、と思えたのだった・・

つまり、ヘミシンクによる、「フォーカスレベル」という世界観・・それは、主に、「トータルセルフ」の階層構造として、宇宙を把握している。

これに対し、もう少し伝統的なものとしては、アストラル・コーザル・・などという階層宇宙モデルがあって、これは主に、インドやスーフィズムなど、神秘主義的伝統を受け継いでいるものである。スミスの『忘れられた真理』もこれを詳しく述べている。

この二つのモデルはどのように相互に関連するのかなあ・・と最近は考えている。

そこで今の段階での仮説は・・ アストラルというのは、主に、「地球圏の非物質領域」を指すものではないか、ということである。それが、モンローモデルで言えば、フォーカス23~27あたりなのだ。

コーザルとは、地球圏を超えた世界領域なのではないか。つまり、地球の輪廻サイクルには入っていない存在の世界である。ただし、身体性は微細な形で(つまりエネルギー体のような形態で)存在するので、一切のカルマから逃れた解脱の世界というわけではなく、中間の世界である。フォーカスでいうと35以上にあたるのであろうか。

つまり、エーテル・アストラル・コーザル・・というのは、ある意味で、地球人がどのように上昇していくのか、という観点から見られたモデルであって、地球外より見れば、もっとちがった視点になりそうだということである。そういう、宇宙的な視座が、モンローモデルには少し含まれているようにも思われる。その意味でこれは、今の人類に必要な、ある新しさがあるのではないかろうか。少なくともこちらのモデルのほうが、「地球外知性との出会い」という可能性へと、開いていくものをもっていそうだ。

問題あるリーディングについて(総括?)

またしても「問題あるリーディング」のネタ・・ というのも、最近、知人女性がたてつづけにリーディングを受け、それがすべて、何らかの「問題あるリーディング」だった、ということがあったものだから(笑) いかに世の中、そういうのが多いのか、と気になってしまったのだ。

1人めが、もっともこわい、「問題あるアストラル的存在」による、組織をバックにした人だった。この人は最初から、徹底したサイキック攻撃をおこなった。というのは、それまでのスピリチュアルなワークなどの価値を、まったく否定し、自分の組織でやっているものに引き入れようとする。そして「あなたには悪いものがついている」などと恐怖心をあおり、また、見えない次元では、支配するような何かを、エーテル体に埋め込もうとしたりしたようである。

このような恐ろしい人であったが、ふしぎなことに、いっしょに行った友人たちは、「いいリーディングだった」と言うのである。というのは、自分たちの言ってもらいたいことを言ってくれたから、ということである。それで気をよくして、彼女たちはそのヒーラーの「勉強会」に参加することにした、という・・ そこで、「サイキックアタックを受けた」と言っても、それは、「悪いものがついているから、そう言っているのだろう」と解釈されて、「かわいそうに、早くとってあげなきゃ」というような反応をされた、ということである。

私の解釈は、アタックを受けた人は、霊的な能力の素質があるので、自分のところに引き入れようとして、一生懸命アタックをしたのであろう、ということである。しかし、だまされるということは、いとも簡単なことなのだと実感した。リーディングを受けに来る人というのは、助けてもらいたい、導いてもらいたいという「依存心」がどうしてもある。経験ある者は、そこを巧みについて、自分に引き寄せるのである。熟練したサイキックにとっては、こういう無邪気な女性など、赤子の手をひねるようなものである。

さて2人めは、そういう邪悪なものではなかったが、明確なことを何も言わない人だった。というのは、いろいろな精神世界系の本によくあるような一般論ばかり述べていて、その人に固有の問題のようなことをあまり言わない。これは、ほんとうに見えているのだかよくわからない。そういう一般的なお説教ぽい話ばかりで、20000円とって終わったのだった。ここでの教訓は「ほんとうに見えているのかどうかわからないが、精神世界的なストーリーに相手を当てはめて自分の考えを述べ、それをリーディングと言っているようなタイプ」があるということが、わかった。むしろカウンセリングとかエンパワメントとでも言うべきであろう。それ自体、悪いわけではないのだが。

3人目は、それほど悪くはなく、参考になる部分もあったが、やはり、自分のところへ呼ぼうというところがかなり現れてきてしまった。これは、「わりとまともな人であっても、自分のところに引き寄せるということをしてしまうことはよくある」ということを学習したわけである。

このほか、周囲には、「相手を傷つける可能性をまったく考えず、見えたことをそのまま言ってしまい、悪いところが見えると、すぐお説教を始める」という未熟タイプのものも見聞されたが、これは、うまいぐあいに、行かずにすんだのであった。

「よいリーディングというのはいかに少ないものか」ということがわかったということである。

その経験をもとに話し合った結果、いちばん問題が少ないのは、「相手の守護天使レベルとつながって、そのメッセージをそのまま伝える」というような形であろう、という結論になった。これは、『エンジェル・ガイダンス』などに書かれているように、自分でおこなうことができるものではある。そういう、天使レベル以上(アストラルではなくコーザル)のエネルギーがそこに来ているかというのが大事なことである。・・ということがわかるためには、実際に、コーザル以上のエネルギーとはどういうものであるか、体験していなくてはいけないかもしれない・・そうでないと、アストラル的なものに迷わされる、という危険はどうしても消えないようである。日頃から、高次元存在からの愛のエネルギーを感じるよう努めるしかないだろう。地球では、霊性が上昇しているが、それにつれて魔界の活動も活発化していることを忘れてはならない。

宇宙と哲学

以前に書いた文章を再掲したい。というのも私が思想・哲学についてどう考えているかということをよく示すからである。

**************************

『オックスフォード教育講座』というシュタイナーの教育論があるんですが、その中から一文を引用させてもらいます。これは、本来の思想のあり方というものをよく表現していると思うのです。

 本当のところ、私たちの高次の感情作用のすべては、宇宙世界がみずからの中から私たちを生み出し、また私たちをその中へ位置づけてくれたことに対しての「感謝」という根源感情からのみ、出発しうるものでなければならないはずです。抽象的な観照のなかにとじこもり、宇宙に対しての感謝というゆたかな感情生活へと入っていくことができない世界観や哲学は、完全な哲学ではありません。それは頭部の活動のための哲学であって、人間がなしうることの総体を体験するための哲学ではないのです。自分の肉体機構を暖めることのできないような頭部活動は、人間を幸せにせず不幸にします。なぜならばそれは、あたかも異物のごとく成長し、魂の腫瘍となってしまうからです。すべての哲学の最終章は、宇宙の諸力に対しての感謝の念をもって終わるべきものです。たとえ著者自身がこれを直接に表現しない場合でも、読者の心のなかに、この感情が呼び起こされるべきなのです。  新田義之訳をもとにして改変[p.112-3]

これを受けて、私はこう言いましょう。本物の思想は、究極的に、「宇宙の愛」を受け、それを表現することによって、魂を暖めるものである、と。

T-FALのアイロン

で、こちらがT-FALのアイロンである。

なぜ、アイロンでストレス解消になるのか・・ これを買えば、その謎が解ける! ・・かどうかは、知らないが・・ しかし、アマゾン、高いね。私が買ったときは2000円くらい安かったが・・ それにポイントやギフト券を使ったので、ほとんど払わなかったけどね(笑)

B000VBDI34 T-fal スチームアイロン プログラム8 パワージーンズ400 FV9340J0
T-fal 2007-08-21

問題あるリーディングについて・・その補足

もう一つ書いておきたいことがある。

自分の学んできた精神世界的なことがらを絶対視して、それ以外の考え方を否定したり、また説教したりするような人もいる。

霊的な道については、人類にはいくつか、異なった「イデー」がもたらされている。それが今度の本のテーマの一つにもなっているが・・

たとえば、「神の恩寵」をひたすら受け取ることに努める、というキリスト教的なイデーもあれば、また、できるだけ、自分の「力」を取り戻していく、という禅のような行き方もある。

インドでは四つのヨーガということが言われていて、それがラージャ・ヨーガ(瞑想の道)、バクティ・ヨーガ(恩寵の道)、ジュニャーニャ・ヨーガ(判断力の道)、カルマ・ヨーガ(行為の道)である。

自分の習った道だけが真実だ、と信じていればよかったのは、昔の時代の、「宗教」という世界の話。現代において、ヒーラーになろうという人は、いろいろな霊的な道の多様性について、基礎教養として知っておくべきだ。その相手は、どのような「魂の計画」をもって生まれてきているのか、そこまで透視できるのならともかく、そうでないなら、他人の霊的な志向について、とやかく言うべきではない。今生では物質界にフォーカスする、という設定の人もあるのであり、外面だけ見て「霊的なことに関心のない、進化していない魂だ」などと軽々に判断できるようなものではない。魂の世界とはそんなに単純なものではないのである。

だから、クライアントがそれまでやって来たことの意味を頭から否定したり、他の道の悪口とかを言ったり、はっきりと「ここにしなさい」などと指定するように言うようなことは、魂レベルでの自由を奪うことであり、やってはいけないことである。そういう言動が見られたら、セッションの途中であっても、はっきりと意思表示し、そのヒーラーを受け入れられない旨を述べて、セッションを中止してもいいくらいだと思う。

それはヒーラーではない、古いタイプの、頭の硬い宗教人のやることである。つまり、頭の硬いキリスト教徒が、仏教徒に向かって、「キリストを救い主として受け入れなければ救われるはずがないんですよ」と言うようなレベルのことが、あんがいとたくさん言われているのである。そういう人は本来、開業するような資格はないのである。

しかし、そういう「問題あるヒーラー」というのを実地に経験して、ある程度傷を負った経験がある人は、よいヒーラーになれる可能性があるともいえるだろう。やはり、見聞というのは、成長につながるのである。

そういう意味では、ある一つのスクールだけで、純粋培養で育てられたような「スクール認定ヒーラー」というものは、視野狭窄に陥る可能性があるので、十分な注意が必要かもしれない。幅広い出会いの中で成長していく方がいいのかもしれない、と思うこともある。

また、あまりに「スピリチュアル」にのめり込む人の中には、これまでの転生で霊的なことをないがしろにしすぎていた人が、バランスをとるために今生はそっちばかりをやろうとする、というケースもあるわけで、そういう魂は、着実に日常生活において善事を続けている魂より、進んでいるとは限らないわけである。

ほんとに、外面ではわからない。魂の波動というものを、聞き取ることができるのか。それができて、はじめて本物のヒーラーと言えるのではなかろうか。

『狐笛のかなた』

上橋菜穂子の小説『狐笛のかなた』を読んだ。

いやいや~やはり、おもしろいですね。これは、国と国の呪術合戦の話で、その中に巻きこまれている「霊狐」と、霊能のある少女の物語・・ というわけで、普通の人は、呪術なんてフィクションとして、読むのでしょうが、私としては・・・(てんてんてん)

今、自分の中にあるヒーラーとしての力に目覚めつつある人が、かなり多いと思うが、その中で、過去生でのヒーラーだったときの記憶が浮上してきて、そこで、その霊力を誤用したり、利用されたり、迫害されたり・・といったトラウマを乗り越えねばならない・・というケースがかなり多いんである。ほんとに多いのよ。前世療法の先生に聞いても、そういうケースがいっぱいあるとか・・

日本の、「忍者」だって、あれは、呪師だったと思うんだけど・・そのことがわかれば、時代小説ももっと面白くなるだろうに・・ って、言ってる場合じゃあないのである。呪い、憎しみの世界に身を置くことが、いかに魂を傷つけるか、この小説は、そういうことも描いているのである。という意味では、私は、そういうレベルでの「リアルさ」を感じ取ってしまった(笑)

4652077343 狐笛のかなた
上橋 菜穂子
理論社 2003-11

問題あるリーディングについて

よく最近、「リーディングをしてもらったら、かえって言われたことがトラウマになり、苦しんでいる」という例を見聞きする。高いお金を払って、傷をつけられて帰ってきたというケースもあるようだ。

ヒーラー側に問題のあるケースは二つ考えられて、

一つは、リーディングをするというが、その能力自体が「問題あるアストラル次元の存在」に由来しているケース。これはもっとも危険である。霊感商法につながるようなものは、たいていこれである。かなり大きな宗教団体でもそういうのはあるから、油断はならない。サイキック・アタック(つまり呪いですな)を行い、自分の勢力を拡大しようとする。

もう一つは、そういう悪意があるわけではないが、ヒーラーが未熟であるケースだ。こちらの方が多いだろう。

こういう未熟さの一つの例をあげると、「少し見えるようになったというので、自分が偉くなったと感じてしまう」というのがあって、クライアントに対する言い方に、傲慢さのようなものが出てくる。見下ろして話し、説教する。つまり、クライアントがセッションを頼むということを、「『霊的教師』になってくださいとお願いされた」ことだと勘違いしている人がいる。

このような、「他人に対して『霊的指導』をすること」がもたらす、自我に対する快感は、ひじょうに強い。ほんとうの力がまだついていない人が、この快感に身をゆだねてしまうと、ほんとうに堕落する危険があって、しまいには、低級霊とのコンタクトが生じるところまで落ち、第一のケースになってしまうということも、まったく考えられないことでもない。それほどこの「傲慢」への誘惑というのは、ヒーラーという職業の落とし穴だということを、よくよく肝に銘じる必要がある。

昔の霊的修行は、徹底的に自分を捨て、祈りのみで数年を過ごすような激しい「前行」の後に初めて、「力」を授けられるような行法をしたものだが、今はそういうトレーニングの部分だけを簡単に習えるような時代になっているので、その「力」に見合う意識レベルを保てない人も多くなっている。そういうのも自由市場ということで、どんどん「開業」しているのが現状である。

前にもあるヒーラーのHPを見て、ひじょうにいやな気分がしたのだが、それは、テレビに出ているような有名人をいろいろとりあげて、この人はああだ、この人はこういう問題がある、などということを(うれしげに?)書いている。自分の「見える力」に酔っている様子があまりにありありと出ているので、気分が悪くなってしまった。このように「霊的傲慢さ」というのは、この道を進む人が気をつけるべき陥穽なのである。

ただまあ、「傲慢」というのでなくても、力はあるが、「気性が荒い」という性質の人もいる。これはなぜかというと、私の推測では・・現代社会では、ヒーラーというと、女性の方がなりやすい。男性がなるのは、なかなか難しい問題が多い。そこで、過去生でヒーラー、シャーマン、行者だったような人は、今生では女性になって、ヒーラーになっているケースも多いようである。このため、肉体は女性でも、魂レベルでは修験者っぽい荒々しさがあるとか、そういう人も多い。たとえば有名な人ではスクール主催のW.Yさん、M師の弟子であるS.Mさんなんか典型的なケースだと思うが・・ ということなので、こういう人に「癒し」を求めて近づいても、返ってくるのは「修行モード」であり「喝」であったりするという、ミスマッチのケースというのも考えられるところである。

しかし、有名なヒーラー養成学校でも、そういうノリのエネルギーをもっているところはあるのだ。そこも注意すべき点である。私の知り合いのヒーラーさんは、かつて、ある有名なスクールに通ったことがあるのだが、そこは、人の悪いところを次々と指摘していくようなやり方をするので、合わないと思ってやめた、という話しをしていた。そのスクール出身の人のやり方も見たことがあるが、たしかに、そういうところはあった。なんだか上に立って説教するような感じが強くあるのだ。

つまり、未熟なのかそれとも荒行モードの人なのか、判断に迷うこともあるかもしれないが、まあ、「厳しいことをいいますけどいいですか?」なんていっている人は、やめておいた方が無難であろう。よほどの縁がない限り、ふつうのひとは「荒行モード」などをする必要はないからだ。荒行モードでも、ほんとに行が進んだ人ならいいが、中途半端では、やたらに人に厳しいだけの「傲慢モード」に陥る危険が高いということもある。つまりこういうモードは「厳しくするのはしかたがない」という意識設定がされているわけだから、必然的にそういうセッションになるのである。私個人としては、こういうやり方は、「傷を与えるセッション」をしてしまう可能性が高いので、よっぽど力のある人以外は、避けた方がいいと思う。したがって、そういうやり方でスクールをやるのもあまり賛成はできない。

癒し志向、スピリチュアルロハスなどは、「女性的文化の復興」という意味で、始まっているところがあるが、これまでの「霊的文化」の遺産の中では、スピリチュアル・マッチョとでもいうべき伝統もあり、そういう霊的系統にある人も、かなり混じっているということである。世にあるヒーラーすべてが「癒し」を提供するわけではなく、来た人を「弟子」だと思ってしまう人々がかなり多くいることを知っておく必要がある。

ヒーラーを依頼する場合は、とにかく、そのエネルギーをよく見きわめること。女性だからといって、優しいとは限らない。残念ながら現状では、完全に自己責任の世界で、大金を払って傷つけられて帰ってきても、誰にも文句を言うわけにはいかない。前に紹介した『神は私にこう語った』とか、波動の高い本などを近くに置いて、高い波動とはどういうものか、日頃から経験しておけば、失敗は少なくなる。

未熟さというのは、傲慢さばかりではなくて、知恵の浅さというのもある。「見えたもの」を、ただそのまま言えばいい、というのは浅はかなことで、それをクライアントが知ることで、カルマが動いてしまうこともある。言っていいものかどうか、判断するということも必要なのだ(頭で判断できるわけでもないが)。だから、ただ技術として「見ること」だけを学んだしまうのは、危険が伴う。むしろ、相手のハイアーセルフと接続してそのメッセージを伝えるといったやり方の方がはるかに安全であろう。

「ここが悪い、ていうことばかりたくさん言われて、どうすれば解決するのかは教えてくれなかった」という不満も聞いたことがある。リーディングというのはヒーリングとセットでなければいけないのである。

ついでに書くと、こういうのもある・・ そこは、あるメソードで、クライアントの霊的感覚を、急速に開かせてしまう。そうすると、いろいろなものが見えるようになるので、面白いのだが、バランスが崩れるので、ものすごい「受けまくり体質」になってしまう。それをとってもらうには・・またそこへ行くしかないので、そこへ行ってお金を払い・・で、いつかは体質が強化されて受けなくなるが、それまでにはン十万円はかかってしまうという、そういうことをやっているところもある。

原稿終了

原稿――『スピリチュアル哲学入門(仮題)』は、おおむね終了した。細かい校正を残すのみである。

出版は、10月か11月の予定。

こちらは、いちおう「入門」となっているので、なるべく予備知識を前提とせず、固有名詞などもあまり出てこないようにして、書いたつもりである。またしても、三人のキャラクターによる座談形式である・・とはいっても、ちょっと「ふつう」とはちがっている。さて、どう違うのか・・?

原稿大詰め、その余波など

原稿がかなり大詰め段階である。

今回は、内容はもとより、「エネルギーをつなぐ」という観点を重視して書いている。エネルギーにチューニングしながら書いているので、上位チャクラを酷使してしまい、バランスをとるのに大変だった。そのために、これまで学んだあらゆる技術を投入しましたがね(笑)

また、単純に、家に閉じこもって書いてばかりいることのストレスを解消するため、ネット通販でたくさん買い物をしてしまった。健康関連では「体組成計」も買ったし、また、なぜか、T-FALのアイロンと、新しいアイロン台も買いこんでしまった。アイロンかけで気分転換??

毎日、「日本の神様カード」を引くのだが、きょうはおとといと同じカードが出た。「思金神」(おもいかねのかみ)で、「内なる叡知とつながる」という意味である。あとそれから、マラカイト原石を買ったのもエネルギー的には大きかったかも。

・・まだまだ、これから仕上げまで一週間である。

万全なる計画?

というわけで、さらに、「体組成計」というものを購入。体脂肪率や、内蔵脂肪が計れるわけだが、「やはり」という数値(笑) これで、これから毎日の数値をここにアップ・・なんてことはもちろんしないので、期待しないように。あと、しばらくお菓子を封印する。そして、「ヘルシア緑茶まろやか」と「清祥茶房」を一本ずつ飲み、運動としてはピラティスに禅密功、天候がよければ川の土手まで30分くらいのウォーキング・・というわけで、計画としてはかなり完璧だと思うが?(笑)

健康にばかりお金を使っているみたいなので、バランスをとる意味で?? 秋物衣料も買ったのだった・・ あと、石ですね。

コッペリア

バレエDVDシリーズは、コッペリアである。

B0006A9HV2 Coppelia
Delibes
Kultur Video 2004-12-21

これはお安いし、レビューもよかったのだが、たしかに買って得するものだ。

何でこんなものを見るかというと、なんと・・11月に、吉田都さんのスワニルダで、コッペリアを見るのだ。その予習というわけである。こちらのDVDは、オーストラリアバレエなんだけれども、スワニルダの子はすごくよかったです~ このバレエ団、美人ぞろいなので、女性美の鑑賞を主目的とする私には、最適です(笑) この作品は、主役が大活躍するので、吉田都さん、ひじょうに楽しみですね・・ 音楽も楽しい。みんながよく知っているメロディで、もとがこのコッペリアであることを知らないものがあるので、必ずびっくりするというのがありますね・・

「ライモンダ」も予習中です(笑)

トクホの研究

さて、トクホだが、サントリーの黒烏龍茶、売れてますね。ドラッグストアなどで見ると、ずらっと並んでいて、数えると11列。その隣に、ヘルシア緑茶が5列、ヘルシア緑茶まろやかが4列だった。これがだいたい、売り上げに比例した数値か?

黒烏龍茶は、味も悪くないし、トクホにしてはそれほど高くない。ただ、中性脂肪の吸収を抑える機能としては「グロビン蛋白分解物」の方が、60%という数値が出ており、効果が高いらしい。グロビンの方のトクホとしてあるのは、エムジーファーマの「ナップルドリンク」と、森永製菓「清祥茶房」などである(ヤクルトの宅配ものにもあるらしい)。

私は、この両者を飲み比べてみたが、ナップルは、だいたい、栄養ドリンク剤の味(そういうのはあんまり飲んだことがないので、それ以上にはいえない)。清祥茶房は、ちょうど、「午後の紅茶」の無糖ストレートのものに似ている味だった。清涼感のあるような味付けである。効果としてはどちらも似たようなものだろうが、続けるとなると味というのがポイントとなる。好みの問題であろうが、私は清祥茶房の方が飲みやすいかなあと思った。

ただ、ナップルには、ナップルGDという錠剤もある。こちらはトクホではないが、中性脂肪に効くトクホとしては飲料タイプしか認められないという事情があるらしい。グロビン蛋白分解物はドリンクと同じ量が含まれているので、こっちでもたぶん効くことは間違いないと思う。値段も少しお安くなる。

ヘルシアは、体脂肪の消費に効果があるということで、黒烏龍茶やグロビンものとは性質が異なる。そこで、グロビンものと併用してもいいだろうと思って、試してみたが、私には「ヘルシア緑茶まろやか」がもっとも飲みやすいという結論を得た。

というわけで、メタボ対策トクホの研究でした(笑)

光につながるワーク

「エネルギーワークインストラクター」としての活動の方は、少しずつなのだが・・ 最近のおすすめといえば、「ライタリアンレイ」だ。これは、かなりシンプルなのだが、思いのほか、光のエネルギーが強いワークである。高次元と接続するというワークといえば、そもそも「念仏」や「お題目」だって、そういうものには違いないのである。「世界平和の祈り」なども同様。すべて宗教というものは、光とつながるワークでないものはない。そういう種類のものが、現代に新しく出てきても何の不思議もない。鎌倉時代、念仏というものを知って「これだな!」と思った人がたくさんいたのと同様、現代において、そういう新しい光のワークに接して「これかも?」と感じる人がいるということだ。それだけのことなので、私にとってはひじょうにシンプルな話である。

「光につながるワークというものがある」ということ自体、別に「科学的証明」があるわけではない。そういうものがあることは、むしろ、宗教哲学的に肯定されることだと思う。実際にあるワークのどれが「ほんもの」なのかということについては、これは「魂の感覚」以外に頼るものはない。もちろん、合う合わないという問題も大きい。私としては、思想的な立場から、光につながるワークがあるということ自体は肯定している(この立場は、詳細に言うと、「恩寵」や「契約」という神学的コンセプトを取り入れた思想ということである。日本の知識人の多くは、こういうイデーがわからない)。特定の何かをすすめるのは、あくまで、私個人の感覚から言っているもので、普遍性が証明されているという意味ではないことに注意されたい。

ま、いいものだと思っているからこそ自分でもやっているわけである。というわけで、遠隔やスカイプでのアチューンメントもできますので・・ というと何か宣伝ぽくなってしまうな(笑)

このワークが広まらないのは、日本ではものすごい高値になっているという事情がある。このワークの本拠はアメリカにあるのだが、その「本場」がやっている値段に比べて、日本では2倍くらいもするのである! こんなばかな話はない。私は、この本場の値段の80%くらいの値段でやるのが「適正価格」だと考え、自分ではそのようにおこなっている。たぶん、日本でいちばん安い方だと思う。

健康法ふたたび

なかなか、運動不足の日々なので・・ メタボ対策として、少し前から、気を引き締めて、いろいろやり始めた。

運動の一つは、先にも紹介した、『ゆがみを直すピラティスレッスン』による、ピラティスのトレーニングである。これに、開脚前屈とか、ヨーガの基本的ポーズをいくつか追加する、というメニュー。そんなに時間はかからない。

もう一つは、禅密気功の築基功である。背骨をゆらゆらと揺らす。これはひじょうに優れた健康法だと思っている。だからこそ6万円も投資して東京まで習いに行ったわけで・・(注: 講習は3万円である。地方在住なので交通費等がかかるのだ)。投資しているとそれを回収しようという意欲が湧く。最近、気づいたのは、背骨を整えることによる、気エネルギーの全体調整という作用の他、単純に、ずっと体を動かしつづけることによって、ウォーキングと同等以上の運動になっているということだ。夏や冬など、散歩に適さない気候の時も多いので、そういうときはこの築基功を30分くらいつづけてやれば、ウォーキング以上の運動になっている・・と、気がつけばあたりまえのことだが、運動不足解消という意味でもこれは使えるということなのだ。リキッドマインドなどかけながら、「宇宙ダンス」のつもりでやるとよろしいようである。禅密気功には他にも功法があって、そのDVDもいくつかもっているが、まずは、この築基功を徹底して、20~30分くらい毎日やる、というのをつづければ、これは健康にならない方がおかしいだろう。

4861101271 背骨ゆらゆら健康法―自分でできるお手軽気功術
朱 剛
春風社 2007-10

こうした運動に加えて、冷えを防止する「直貼」や、通販生活の「夏腹巻」などを使う。

それから最近は、トクホ(特定保健用食品)のサプリを使って、脂肪を減らすことも考えている。これで、年末までにとりあえず3~4キロ減をめざすというところか。

前にも書いたが、私はピラティス3ヶ月で3キロ減らしたことがあるので、これだけ万全の計画でのぞめば不可能なわけはないのである(笑)

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