よく最近、「リーディングをしてもらったら、かえって言われたことがトラウマになり、苦しんでいる」という例を見聞きする。高いお金を払って、傷をつけられて帰ってきたというケースもあるようだ。
ヒーラー側に問題のあるケースは二つ考えられて、
一つは、リーディングをするというが、その能力自体が「問題あるアストラル次元の存在」に由来しているケース。これはもっとも危険である。霊感商法につながるようなものは、たいていこれである。かなり大きな宗教団体でもそういうのはあるから、油断はならない。サイキック・アタック(つまり呪いですな)を行い、自分の勢力を拡大しようとする。
もう一つは、そういう悪意があるわけではないが、ヒーラーが未熟であるケースだ。こちらの方が多いだろう。
こういう未熟さの一つの例をあげると、「少し見えるようになったというので、自分が偉くなったと感じてしまう」というのがあって、クライアントに対する言い方に、傲慢さのようなものが出てくる。見下ろして話し、説教する。つまり、クライアントがセッションを頼むということを、「『霊的教師』になってくださいとお願いされた」ことだと勘違いしている人がいる。
このような、「他人に対して『霊的指導』をすること」がもたらす、自我に対する快感は、ひじょうに強い。ほんとうの力がまだついていない人が、この快感に身をゆだねてしまうと、ほんとうに堕落する危険があって、しまいには、低級霊とのコンタクトが生じるところまで落ち、第一のケースになってしまうということも、まったく考えられないことでもない。それほどこの「傲慢」への誘惑というのは、ヒーラーという職業の落とし穴だということを、よくよく肝に銘じる必要がある。
昔の霊的修行は、徹底的に自分を捨て、祈りのみで数年を過ごすような激しい「前行」の後に初めて、「力」を授けられるような行法をしたものだが、今はそういうトレーニングの部分だけを簡単に習えるような時代になっているので、その「力」に見合う意識レベルを保てない人も多くなっている。そういうのも自由市場ということで、どんどん「開業」しているのが現状である。
前にもあるヒーラーのHPを見て、ひじょうにいやな気分がしたのだが、それは、テレビに出ているような有名人をいろいろとりあげて、この人はああだ、この人はこういう問題がある、などということを(うれしげに?)書いている。自分の「見える力」に酔っている様子があまりにありありと出ているので、気分が悪くなってしまった。このように「霊的傲慢さ」というのは、この道を進む人が気をつけるべき陥穽なのである。
ただまあ、「傲慢」というのでなくても、力はあるが、「気性が荒い」という性質の人もいる。これはなぜかというと、私の推測では・・現代社会では、ヒーラーというと、女性の方がなりやすい。男性がなるのは、なかなか難しい問題が多い。そこで、過去生でヒーラー、シャーマン、行者だったような人は、今生では女性になって、ヒーラーになっているケースも多いようである。このため、肉体は女性でも、魂レベルでは修験者っぽい荒々しさがあるとか、そういう人も多い。たとえば有名な人ではスクール主催のW.Yさん、M師の弟子であるS.Mさんなんか典型的なケースだと思うが・・ ということなので、こういう人に「癒し」を求めて近づいても、返ってくるのは「修行モード」であり「喝」であったりするという、ミスマッチのケースというのも考えられるところである。
しかし、有名なヒーラー養成学校でも、そういうノリのエネルギーをもっているところはあるのだ。そこも注意すべき点である。私の知り合いのヒーラーさんは、かつて、ある有名なスクールに通ったことがあるのだが、そこは、人の悪いところを次々と指摘していくようなやり方をするので、合わないと思ってやめた、という話しをしていた。そのスクール出身の人のやり方も見たことがあるが、たしかに、そういうところはあった。なんだか上に立って説教するような感じが強くあるのだ。
つまり、未熟なのかそれとも荒行モードの人なのか、判断に迷うこともあるかもしれないが、まあ、「厳しいことをいいますけどいいですか?」なんていっている人は、やめておいた方が無難であろう。よほどの縁がない限り、ふつうのひとは「荒行モード」などをする必要はないからだ。荒行モードでも、ほんとに行が進んだ人ならいいが、中途半端では、やたらに人に厳しいだけの「傲慢モード」に陥る危険が高いということもある。つまりこういうモードは「厳しくするのはしかたがない」という意識設定がされているわけだから、必然的にそういうセッションになるのである。私個人としては、こういうやり方は、「傷を与えるセッション」をしてしまう可能性が高いので、よっぽど力のある人以外は、避けた方がいいと思う。したがって、そういうやり方でスクールをやるのもあまり賛成はできない。
癒し志向、スピリチュアルロハスなどは、「女性的文化の復興」という意味で、始まっているところがあるが、これまでの「霊的文化」の遺産の中では、スピリチュアル・マッチョとでもいうべき伝統もあり、そういう霊的系統にある人も、かなり混じっているということである。世にあるヒーラーすべてが「癒し」を提供するわけではなく、来た人を「弟子」だと思ってしまう人々がかなり多くいることを知っておく必要がある。
ヒーラーを依頼する場合は、とにかく、そのエネルギーをよく見きわめること。女性だからといって、優しいとは限らない。残念ながら現状では、完全に自己責任の世界で、大金を払って傷つけられて帰ってきても、誰にも文句を言うわけにはいかない。前に紹介した『神は私にこう語った』とか、波動の高い本などを近くに置いて、高い波動とはどういうものか、日頃から経験しておけば、失敗は少なくなる。
未熟さというのは、傲慢さばかりではなくて、知恵の浅さというのもある。「見えたもの」を、ただそのまま言えばいい、というのは浅はかなことで、それをクライアントが知ることで、カルマが動いてしまうこともある。言っていいものかどうか、判断するということも必要なのだ(頭で判断できるわけでもないが)。だから、ただ技術として「見ること」だけを学んだしまうのは、危険が伴う。むしろ、相手のハイアーセルフと接続してそのメッセージを伝えるといったやり方の方がはるかに安全であろう。
「ここが悪い、ていうことばかりたくさん言われて、どうすれば解決するのかは教えてくれなかった」という不満も聞いたことがある。リーディングというのはヒーリングとセットでなければいけないのである。
ついでに書くと、こういうのもある・・ そこは、あるメソードで、クライアントの霊的感覚を、急速に開かせてしまう。そうすると、いろいろなものが見えるようになるので、面白いのだが、バランスが崩れるので、ものすごい「受けまくり体質」になってしまう。それをとってもらうには・・またそこへ行くしかないので、そこへ行ってお金を払い・・で、いつかは体質が強化されて受けなくなるが、それまでにはン十万円はかかってしまうという、そういうことをやっているところもある。