« September 2008 | Main | December 2008 »

『ユーラシアの神秘思想』

ひさびさにお勉強系の本を紹介・・ 『ユーラシアの神秘思想』という本は、その題の通り、伝統的な神秘思想の概説としてなかなか有用である。私も、講義ノートを作るのに参考にさせてもらっている。身体技法、占い、マントラ、武術・・など、近代合理主義では抑圧されてしまった文化が、どのように広まっていたのか、その基礎知識を要領よくまとめているというか。私も、ことがらとしては知っていることばかりではあるが、いろいろな事実関係などがこれ一冊でかなりチェックできるので便利である。もちろん、著者自身は、知的好奇心からこういうことをやっているので、「踏みこんだ人」ではないので、そこまでは期待しないように。この手の本は、西洋編では、ここでも何度か紹介した、『エゾテリスム思想』(文庫クセジュ)が定評あるものだが、アジア編となれば、今はこちらの本ということになるか。

いまの時点で「スピリチュアル」として広まっているいろいろな文化も、結局はほとんど伝統の中にその要素がある。そういうものの復興と新しい意味づけなのである。そのように、新しい「スピリチュアル文化」に関心のある人が、伝統文化についての基礎知識を得るのに、たいへん有効な本である。

著者は、ゾロアスター教の研究者として有名だが、こういう本を書いていたとは、最近まで知らなかったねえ。

4054018351 ユーラシアの神秘思想
岡田 明憲
学習研究社 2005-07-26

ひさびさに、ヘレヴェッヘのバッハ

また音楽ネタであるが・・ひさびさに、なつかしの? ヘレヴェッヘ指揮によるバッハのカンタータを聴く。いや、考えてみたら、以前ヘレヴェッヘのバッハにはまっていたのは今の家に転居する前だから、このようなリスニングルームもなかったわけで、今の再生環境で聴くのは初めてという盤が多かったのだが・・その美しさに、あらためてびっくり。もう、いつまでも聴いていてしまってなかなか終わりませんね。調べると、ヘレヴェッヘのバッハはその後何枚か新譜も出ているようだから、また新たにはまるかもね。この、バッハの宗教曲がかもし出す「安定した波動」というのはきわめて貴重なもので、こういうのをいつも聴いていれば、アストラルの変なものにかかわりあうような危険はほとんどなくなると思うが・・と、むりやり「そっち」の話題に結びつけなくてもいいのだが(^^;  ともあれ、その美の世界は・・ 鈴木さんのもいいのだけれど、やっぱりヘレヴェッヘにとどめを刺すのである。ブラームスのドイツ・レクイエムも、合唱ものはみなそれである。今度、メンデルスゾーンの「エリヤ」も、買おうかと思っている。ちと高いが・・

ただ、CDというのは、再生装置によっていかに音が違うのかも、実感したわけで、それはやはりお金をかけるに値するものである。よく「どのCDがいいのか」などという質問があるが、ミニコンポなどのレベルでは、どれもそんなにちがいはない。いいCDとふつうのCDの差が、10対8くらいだとしたら、再生装置にお金をかけるのは、まあ2倍、3倍以上の差にはなる。そういう優先順位のものである。CDになるくらいの演奏家は、いちおう名が通っているから、それほど絶対的な差はない。それよりも再生環境の差が大きいのである。・・とは言っても、私の家に超高級オーディオがあるなどと妄想しないでいただきたい。コストパフォーマンスというものがある。特にオーディオマニアでない限り、適正価格は10~15万レベルである。・・しかしこの話、何度も書くね。われながらしつこい(^^;  というのも、そのくらいの投資で、これほどの美の世界を手に入れられるということを、みなあまりに知らなさすぎると思うからである。

ひさびさのオーケストラ

体を休めるひまもないほどの日々であるが、19日は、ひさびさに、コンサートに出かけた。オーケストラは4,5ヶ月ぶりか? まあ、毎週どこかでコンサートやっているような場所ではないから・・ この日はチャイコフスキーばかりで、ヴァイオリン協奏曲に交響曲第五番がメインであった。

ヴァイオリン協奏曲では鍵富とかいう若者が登場したが・・その演奏は?? 同じコンサートを聴いた人の感想がWEBに出ているが

東京交響楽団 第50回新潟定期演奏会
まあ、そこに書いてあるとおりでしょうね。正直に書けば凡演でしょう。よくいえば「繊細な音」であるが、線が細い。他の曲はともかくチャイコフスキーには向いていない。それでたいして音色もきれいでないので、正直、どうしてこういうのがいいんだろう? と思ったわけだが・・ そのページにあるように「第1楽章終了後に拍手が湧きましたが、思わず拍手するほどの名演とは感じられず、間違えた人が多かったのでしょう」ということだったのだが、この有名な曲でそんなまちがいをするとは、さてはあなたシロートですか? という感じで、う~ん、これは一部の「鍵富人気」に目をつけた主催者が組んだプログラムなので、あまり本格的なコンサートに来たことがないような客層をねらっていたらしい、と推測できる。サクラってこともなかろうと思うが。

正直、コンサートミストレスの大谷さんが弾いた方がよっぽどうまかったんじゃないかと思うがね・・ 将来のある若い人に無理をさせて、叩かれてしまったら結果的にはあまりよくないですね(といって、自分も叩いているが)。

指揮者のキタエンコさんは、ダイナミックな演奏を好む人のようで、このソリストには、かなり欲求不満を感じたらしく、トゥッティのところでは思い切り強奏したりして、挑発するが、鍵富くん、それに応えるだけの余力なし・・という感じでずっと続いたのであった。自分のパートに必死で、オーケストラと交感するというレベルに行っていないので、正直、ソリストとして立つにはまだ早すぎる人なのであろうと思った。

まあ、それくらいにするが、交響曲第五番はかなりの熱演で、キタエンコさん、かなりたいしたものだと思ったが、こういう指揮者と渡り合うということなら、ソリストもかなりのレベルが要求されますね。

家に帰って、ヴァイオリン協奏曲のCDを聴いて、欲求不満点を解消した。まあ、ミルシテインと比較するつもりはありませんが・・(笑)

最後に書いておくが、私は大谷さんのファンですよ~

金融危機のあおりで

金融危機などべつに関係ないと思っていたら・・なんと、

 魚沼市の小出郷文化会館で11月2日に開かれる「うおぬま響きの森コンサートシリーズ」に出演予定だった「アイスランド交響楽団」が、同国の金融危機の影響で来日できなくなったことが15日、分かった。

 同会館によると他の出演者に変更はなく、コンサートは開催。新たな団体の出演を調整している。

 アイスランドは、世界的な金融危機の影響で銀行を事実上国有化。同楽団の銀行口座も凍結され、費用が引き出せなくなり、14日に来日中止を決めたという。

新潟日報2008年10月16日

というわけで、中止になってしまった。このコンサートはなんと、チャイコフスキー・ヴァイオリン協奏曲、ラフマニノフ・ピアノ協奏曲第二番、シベリウス・交響曲第五番という豪華版プログラムだったのだ。特にシベリウス五番は初の生演奏だったのだが・・ 代替公演はその後決まったが、とてもこのプログラムに匹敵するものではない。

しかたがないのでCDでラフマニノフを聴いてしまったが、しかしまあ、何という名曲であろうか、とあらためて思う。この高揚感というか、宇宙を漂っているような快感はなんともいいようがない。この曲を、うまい演奏で生演奏で聴いた時の陶酔感は、経験した人でなければわからない。

一生に一作でも、このような作品を残せたら、地球に生まれてきた甲斐があるというものではなかろうか。

「答えの出ない問い」に対する明白な答え

一般に、「答えの出ない問い」といわれている、大きな問いがあって、「なぜここに私は生きているのか」というようなものがある。

答えが出ないといっても、それは「学校の勉強のように、正解が一つに決まり、万人がそれに異議を唱えられない確実さをもっている」という意味の答えがないということである。世の中にある「問題」の中で、そのような答えが出る問題の方がはるかに数が少ない。答えが出るように見えるのは、スポーツと同じように、ルールを決めてその中だけで勝負を決めようとしているからである。「100mを走っていちばん速かった者に栄誉を与える」、けっこうなルールだ。だが、なぜそうしなければならないのかと考えると、それには明確な「証明」はない。そういうものである。

とはいうものの、この記事で言いたいのは実はそういうことではなく、私は今、「なぜ自分はこの世界にこうして生きているのか」という問いに対して、全然迷っていない、ということである。

それに対する「証明」は提供しないが、それに対して私としては疑問の余地はない。

それは・・

「不完全な世界に入って、不完全な世界の中で、完全さを目指すという体験を選択したから」、ここにいるということである。その答えは、私にとっては疑問の余地なく正しいのである。

この、「完全でないものを体験することにより、完全さの意味を知る」という理解は、プロティノスにも出てくるし、『神との対話』にも出てくる。

これは、「不完全だからしようがない」とあきらめるわけではなく、その中で完全さを目指すという体験は、不完全な世界でしかできないわけだから、それを思い切り味わおう、という意味である。

上橋菜穂子『獣の奏者』

獣の奏者 I 闘蛇編    獣の奏者 II 王獣編

というわけで、上橋菜穂子の『獣の奏者』二巻である。

これは、神話学・文学論的にいうと、「異類婚姻」の話などに見られる、「人間と動物界との交流と、理解の不可能性を、テーマにしたもの。前作の『狐笛のかなた』との関連性が、明らかである。

動物界というのは、異界ということでもある。

生命の不思議とか、その根源としての異界などを、どこまでも追求しようという欲求と、人間の世界に必ずからんでくる政治的なものとの葛藤――という、「守り人シリーズ」から一貫したテーマがここにも見られる。

今ここで、このことを詳しく書いている余裕はないが、掘り下げるといろいろと面白いので、一つ、紀要の研究ノートみたいな形で書いてもいいかな、と思いついた。できたら、上橋さんに送っちゃいますからね(単なるミーハー?) 私にとっては、ひさびさの文学論であるが・・

しかし、上橋さんの本は、あらかた読んでしまった・・ そろそろ、荻原規子にいこうと思う。

Q&A形式

最近、ふる~くからの知り合いで今はカウンセラーをしている人のブログを時々見るが、このところ、インタビュー記事のようなものが掲載されている。

最近のものでは、かなりトンデモぽい話についての質問が、連発されているが、いちいちていねいに答えていますな(^^)

それはともかく、こういう、Q&A形式というのは、わかりやすくていいのじゃないかと思った。私も次は、だれかインタビュアーを起用して、Q&A形式でしゃべり、その録音を起こして、手を入れて、というふうに作ることもできるのじゃないかな? とも思った。いかがであろうか? インタビュアー希望者はいるんですかね?

※最初のバージョンでは、ちょっと表現がまずかった点があるので、真意に近いよう、書き直してあります。

『スピリチュアル哲学入門』について

というわけで、『スピリチュアル哲学入門』・・ これに何か、サブタイトルをつけてくれということである。さてどうすればいいのか?

スピリチュアルといっても、もちろん、今の日本で特定の霊能者をめぐって使われているような意味ではない。スピリチュアルとは「スピリット」の形容詞形であり、スピリットというのは「宇宙根源」のことである。その根源は、生命エネルギーの源であり、そこから発せられる「生命のスパーク」は、spiritus と言われていた。これは中国で言う「気」のような、宇宙生命エネルギーである。つまり、スピリットというのは「存在をもたらす宇宙根源」をさしており、そういう根源を見据えつつ宇宙を考えていくことを「スピリチュアル哲学」と呼ぶのである。私は、一時の流行でことばを使っているわけではない。ただ、江原ブームで「スピリチュアル」を知ったという人々にも、それが深く伝統哲学に伝わる「叡知探求の歴史」に連なっており、けっして一時の流行で出てきたオカルトではないことは理解してほしい、という意味をも持たせている。

また『魂のロゴス』というのがあるが、あれはタイトルが今ひとつ、わかりにくかった。たしかに、一つの作品として完成した感じになるのだが、反面、この本をどこに置いたらよいのかわからない、という書店側のとまどいもかなりあったらしい。副題に「宇宙と叡知をめぐる対話」などとついているが、これが哲学に関する本だと思いつく人はあまりなく、ある書店ではUFO関係のトンデモ本の隣に置かれていたのを目撃してしまったのである(笑)

というか、この本が出た2003年時点では――もう5年になるわけだが――いわゆる「精神世界」というジャンルが、知らない人には一種の「オカルト」と同一視され、「魂レベルの探求」にフォーカスを当てた本と、UFOやら超能力に対する好奇心を刺激させるオカルト系の本との区別があまりされていなかった(セブンアンドワイというネット書店の分類はいまだにそうなっている。これに対してアマゾンでは、思想系のカテゴリーにも入るようになってきた)。その後の江原ブームは、スピリチュアルというのは「魂を視野に入れた生き方」に関連しているものらしい、という認識はたしかに広めてくれたところがある。それは、2003年当時はなかったものである。また、坂本さんのブレイクもなかったのである。その後5年の環境変化もまた、かなり劇的ではあった。

上に述べたような意味での「スピリチュアル」「スピリット」を考えることは、本来的な哲学の目的でもあろうと思うが、現在までのところ、それを正面に据えたものはない。知的な試みとしてはトランスパーソナル系のものがあるわけだが、いささか、心理学に偏りすぎであって哲学的なアプローチに乏しかったと思う。そういう意味で、「スピリチュアル」と「哲学」を同時にタイトルに持つ本を、ここで出してみようということである。

さて、サブタイトルは・・

「魂の目覚めへむかって」 「魂と宇宙の根源をめぐる対話」・・ う~ん、むずかしい・・

なお、表紙装丁は、『魂のロゴス』と同じ路線・・というか、基本デザインが同じで、写真を変えたものになる。

このデザイン会社は、業界ではけっこう名が知られているらしいが・・結局のところ、エネルギー的には、たしかにこのデザインがいちばん合っているということは否定できないようである。似たデザインになるのは、コストダウンのためだけではない(笑)

リニューアルの波動

Liquid Mind の音楽を流しつつまったりと過ごしている。・・と思ったら、新著のゲラがどさっと・・ではなくてPDFで、送られてきてしまった。

私はエネルギー的な質を重視するが、その点では、ある程度期待してたものに近いとは思う。

しかし・・私は最近、グラガをのんでいる。グラガとは、知る人ぞ知るであるが、ヒマラヤン・フラワー・エンハンサーというところから出ている、オーストラリアの山中にあるキノコのエッセンスである。WEBを検索すればわかるが、これが、ものすごい浄化を引き起こすとして、ひそかなるブーム・・である。私の場合、それほど劇的に起こっているわけではないが、今までのものを整理するという方向は、出ているわけで、そこで感じたのは、

「このブログも、そろそろリニューアルの時期か」

ということである。数年もやっていると、だんだん「重く」なってくるのである。デザインを変えるなどして、多少エネルギーを変えることはできるが、あくまでマイナーチェンジである。つまり、

サイト移転? あるいは、一時休止?

ということに、なるかもしれない。時期的には、今月末か、本が出る時期に合わせて、であろうか・・? エネルギーの大きな変換に、現実レベルでも対応するという意味である。本が出るのも、そういう変換の流れの中でのことだ。

休暇三日目

貴重なる休暇三日目である。「湯治に行く」などと言っていたのだが、近所にも温泉施設はあり、二日続けて行っていると疲れてきて「もういいか」という気分になってきた。根っからの温泉好きというわけではないということだろう。エンジェルリンクを二つまとめて受けて、これがけっこうライトではなく、しっかりと、エネルギー順応反応が現れてしまった。こうして、一日、寝たり起きたり、自己ヒーリングをしたり、借りていたまま読むひまがなかった小説を読んだり・・ということで緩慢な時間を過ごす。まあ、これもありか。・・ってこういう話は、別のエネルギーワーカーブログの方に書くべき話題かもしれないが、こっちも「霊性思想探求」という本来のネタが全くない状態なので、たまには何か書いておかねば、ね。

自己ヒーリング

きのうはひさびさに自己ヒーリングをした。するとたちまち途中で眠ってしまう。

気がつくと、エネルギー的には以前とまったく違うものになっている感覚がある。これはたぶんライタリアンレイキの効果だろう。今では、シンボルなど特に使わなくても、十分に高次元エネルギーが流れる。

定期的に自己ヒーリングするのも重要だとあらためて思ったわけである。

少し休みを・・

いやしかし・・今の状況を一言でいえば、「ちょっとゆっくりしたい」というところか。何せ、夏休みはずっと原稿で必死で、やっと終わったというのが夏休みの終わりで、休む間もなく後期が始まり、しかも家族の入院まで重なって(もう退院したが)、かなりくたくた・・。しかも、エネルギーワークの方は、10月の予約がもう満員という状況だし・・(ライタリアンの遠隔はまだ余裕があるが)。人には「休んでください」とも言われるが、そうしたくてもできないこともある。さいわい、来週は少し休みがとれそうなので、たまには数日間、湯治でも・・と本気で思っていたりする。

ひさびさにヘレヴェッヘ指揮による、バッハの合唱曲を聴いた。音の美しさが印象的である。音楽というのはやはり、美しい音に対する感覚的な快感から始まるものだ、と思った。

« September 2008 | Main | December 2008 »

September 2017
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ