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2008.10.15

「答えの出ない問い」に対する明白な答え

一般に、「答えの出ない問い」といわれている、大きな問いがあって、「なぜここに私は生きているのか」というようなものがある。

答えが出ないといっても、それは「学校の勉強のように、正解が一つに決まり、万人がそれに異議を唱えられない確実さをもっている」という意味の答えがないということである。世の中にある「問題」の中で、そのような答えが出る問題の方がはるかに数が少ない。答えが出るように見えるのは、スポーツと同じように、ルールを決めてその中だけで勝負を決めようとしているからである。「100mを走っていちばん速かった者に栄誉を与える」、けっこうなルールだ。だが、なぜそうしなければならないのかと考えると、それには明確な「証明」はない。そういうものである。

とはいうものの、この記事で言いたいのは実はそういうことではなく、私は今、「なぜ自分はこの世界にこうして生きているのか」という問いに対して、全然迷っていない、ということである。

それに対する「証明」は提供しないが、それに対して私としては疑問の余地はない。

それは・・

「不完全な世界に入って、不完全な世界の中で、完全さを目指すという体験を選択したから」、ここにいるということである。その答えは、私にとっては疑問の余地なく正しいのである。

この、「完全でないものを体験することにより、完全さの意味を知る」という理解は、プロティノスにも出てくるし、『神との対話』にも出てくる。

これは、「不完全だからしようがない」とあきらめるわけではなく、その中で完全さを目指すという体験は、不完全な世界でしかできないわけだから、それを思い切り味わおう、という意味である。

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