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キリスト教東方教父については

まず、この本が基本の入門書である。


キリスト教神秘思想の源流
アンドリュー・ラウス 水落 健治訳

アマゾンでは売っていないが、宮本久雄『教父と愛智――ロゴス(言)をめぐって』もお勧め。他のオンライン書店をあたればあるかも。

ロシア霊性についての本

ロシア思想史のいい本がないと言ったが、日本語の本では、次のものがなかなか情報に富む。

ロシア思想におけるキリスト
パーウェル・エフドキーモフ

もう一つはこれですかね。

ロシアの神秘家たち
セルゲーイ・ボルシャコーフ

以上二冊で、ロシアの霊的思想の概観はある程度わかる。古本でしかないので、お早めに。

スピリチュアル・ワークの本

次の本は、スピリチュアル・ワークに関するものである。ワークというと、たとえば、リーディング、ヒーリング、チャネリング・・のようなものも入るわけだが、それは入口で、伝統的には「修行」と言われていたものも含まれる。つまりは、人間はいかにして神的な次元へと引き上げられるか、救済されるか・・という問題になってくると思う。人間の努力と神的な救済の力はどう関係してくるのか――古くて新しい問題である。京都学派をはじめとする禅をベースにした宗教哲学は、神的な救済について十分に語ってこなかったと思う。救済力について論じるということは、天使的存在(ガイドなどを含む)という霊的ハイアラーキーの思想を明確に示すということでもある。また、自然に浸透する霊的なエネルギーについて語るということでもあるし、そのエネルギーとどうかかわるかというワークの問題でもある。

ということなので、私が霊的指導者という立場に立って「こういうワークをしなさい」と教えるような本ではない。ワークというものはどういうもので、なぜそれが成り立つのかということを宇宙全体の構造から説明するような内容である。

しかし、東方神学だけではいかにも日本の読者には迂遠でもあろうと思うので、密教哲学のパラダイムをそこに取り入れることができれば、というのがこれからのテーマの一つである。気功などの話も入ってくるかもしれない。

東西の霊性と普遍神学

さてこれから、本を一冊と論文一本の仕事に入る。

研究費の執行期限が迫ってきたので、いろいろと本を注文してしまう。『ロシアのソフィア論――ソロヴィヨフ・ブルガーコフ・ロースキー・ベルジャーエフ』――興味津々である。しかし値段が、古本でなんと12000円。しかし清水の舞台から飛び降りる? という感じで、えいっと注文してしまう。その他、ブルガーコフの、英訳で手に入るものはすべてと、アマゾンのサイトで目に入ったディオニュシウスについての英語本二冊も、衝動買いしてしまう。これでも、予算消化はまだまだ。旅費などにくらべれば、本代など安いものである。ものが後に残るのであるし。

やはり、東方教父からロシアへの流れのものが多いが、現代神学ではモルトマンも少し読んでみたい。

最近、研究面で読むものは、ほとんど神学ばかりである。近代西欧の哲学は、神学とはっきり区別されたものと考えられていて、哲学者が神学の本を読むことはない。日本で、神学の本を読む人はキリスト教関係者に限られており、神学の議論が、キリスト教の世界以外に知的影響を及ぼすことはまずない。ところが、近代ロシアでは、そういう西欧の常識を無視している。哲学と神学は区別できず、行ったり来たりしている。人間知性を超える問題に対して、知性のぎりぎりまで思考しつつ、霊的観照と接続していく思考は、ひじょうに刺激を与える。

霊性哲学、霊性思想は、東西の霊性の伝統を統合してはじめて全体的なものとなる、というのが基本的な考えである。神学的思考は、たしかに、仏教的、ヒンドゥー的な哲学の与えてくれないものを持っている。こういう、東西霊性思想の試みは、まだまだ本格的に始まってはいない。

簡単に言うと、西洋の霊性のエッセンスは、「宇宙と人類を導く神聖な意志」というイデーと、「人類全体は一つの集合体であり、その全体として霊的に進化していく」というイデーであろう(もっとも私は、この「人類」ということを、必ずしも地球人類に限定する必要はないように思うが)。

このイデーは、キリスト教において保持されてきた。しかし今や、そのイデーはキリスト教という枠を離れ、全人類へと散布されるべき時が来た。チベット民族が全世界に散ってその叡智を広めたように、である。神学的思考の精華は、キリスト教神学ではなく「普遍神学」へと生まれ変わるのである。

科学と霊的認識

私のブログを長く読んでいる人は誤解しないと思うが、私の研究は「スピリチュアルを科学的に証明すること」ではない。世の中には、そのような発想でやっている人々もあるが、そういう姿勢は、疑わしいものだと思っている。トランスパーソナル心理学を、科学として定立したいと思っている人もいるようだが、基本的に誤った方向性である。

量子物理学の成果が、スピリチュアルな世界の存在を示唆しているとか、そういう話が好きな人々もいて、私がそういう科学の話をしなかったり、科学がスピリチュアルを解明できる可能性を否定したりすると、気に入らないということもあるかもしれない。最近ではアーヴィン・ラズロの本がよく出るが、そういう層に読まれているのだろう。

私は、こういう言説が存在する意味を否定するつもりはない。こういう話は、もう1980年代の「ニューサイエンス」と呼ばれていた時代からあるものだ。しかし、そこで演出されようとしていた「科学の最先端と霊性との接近」というパラダイムは、認識論的な問題を内包しているという考え方も、当初から出されている。たとえばニューサイエンスの本として出た『空像としての世界』という、ホログラフィーパラダイムを主張する本の中で、ケン・ウィルバーが寄稿しており、科学的認識と霊的認識は違うものであり、その両者を混同するのはカテゴリー・エラーという、ということを述べている。

この問題を論じるにあたって、ウィルバーのカテゴリーエラー論というのは基本になるものなので、まずそれを知ってから議論してほしい。有名なものはウィルバーの『眼には眼を』に収録されている「三つの眼論」だ。三つの眼というのは、肉(物質)の眼、魂の眼、霊の眼ということだ。つまり、これは人間存在の三層――肉、魂、霊に対応して、それぞれの認識能力があるということだ。科学はあくまで物質的(肉体的)認識能力のみに限定してものごとを探求するものである。重要なのは、人間にはそれ以外の認識能力もあるということだ。そのことを忘れてしまうと、科学至上主義を批判する根拠を持てなくなる。三つの眼という考え方は、ヨーロッパの近代以前の哲学にあるもので(ボナヴェントゥラなどが有名だ)、それをウィルバーが科学論に当てはめて定式化したものである。

本山師なども、霊的エネルギーの科学的研究をしているわけであるが、あくまで、「霊的エネルギーの効果が物質次元に出現する」という相においてのみ、科学的方法が有効となるのである。

したがって、宇宙の根源であるとか、およそ科学的方法が適用不可能であるようなことがらについて、既存の科学を権威として考えることは問題がある。そういう根源的問題については、あくまで霊的認識が基本になるのであり、また、霊的次元と人間の精神がつながっており、霊的次元からイデーを受け取ることが可能であるという、形而上学的パラダイムにおいてのみ、宇宙根源は思索可能なのである。

N. ロースキー『ロシア哲学史』を読んで

ニコライ・ロースキーのロシア哲学史を読み終えた。興味のある章だけのとばし読み・・ではあるが。

私は、息子のV. ロースキーの『キリスト教東方の神秘思想』から、プラトン=キリスト教的イデーの世界に入ったわけなので、まったく、ロースキー父子にはたいへんお世話になっている。彼らに会うのは霊界に行ったときであろうが、霊界ではぜひとも一度挨拶をしておきたいと思うのである。

それはさておき、私は息子ロースキーから、「神のエネルゲイア」という重要なイデーを得た。これは私の次の著作、スピリチュアルワークに関するものでも、一つのキーワードとなりそうなのだが、もともと東方キリスト教の伝統にあるイデーである。

しかし、父ロースキーの哲学史を読んでみると、このウラジーミルの東方神学は、ロシアの思想としてはかなり伝統的で、正教に忠実なものであり、その意味でかなり保守的な思想であることがわかった。そして、ロシア思想史はもっといろいろな、教会からみれば「逸脱」を含んでいるものであることがわかった。

もしかするとその「逸脱」がたいへん面白いところではないかと思われる。たぶんそれは、より汎神論に近い方向性であろう。つまり、自然の中に霊性の顕現を見るという傾向が強いという印象を得た。西欧の思想でいえば、ボナヴェントゥラなどに近いようにも思う。ともかくも、一つの鍵はソフィア論、聖霊論にあるという直観である。

ともあれロースキー父子による二冊は、しばらくの間枕頭の書となりそうである。

・・しかしブログを書くと、どうしてもその時自分の興味のあることを書くので、初心者向きではなくなってしまう。これはどうも、いたしかたない。ここだけ読んでいても、基本がわかってこないので、そういうときは本を買っていただきたい(笑)

ロシア哲学の可能性

このところ、ロシア哲学について読んでいる。ロシア哲学は東方キリスト教を受け継いで、霊的ヴィジョンとしての哲学を追求している――という点で、私はお手本の一つとしている。とはいっても、めぼしい人はみな、国外に亡命しているという厳しい現実があるが・・

ロシア哲学は、日本ではあまりはやっているとはいいがたい。『ロシアの宇宙精神』は快著であるが、文脈の知識がなくいきなりこれを読むとトンデモの世界に見えるかもしれない。実は、プラトン的思考とキリスト教的イデーというものがわからないと、ロシア哲学のやろうとしていることはなかなかわからない。デカルト以降の西欧哲学しか知らない人には理解不能なところがある。しかしある意味では、近代西欧哲学など、それほど一生懸命勉強する必要もないと思うが・・

とはいうものの、そういうロシアの精神史的背景まで入れて、ロシア哲学史の全体を概説してくれるような書物は、残念ながら日本にはない。ロシア思想史とか題名についている本はあるが、あまり優れたものではない。ベルジャーエフの『ロシア思想史』が出ていたが、これはかなりベルジャーエフ流なので一面的とも言えるだろう。日本のロシア思想研究者は、まずきちんとしたロシア思想史概説書を世に出す義務があると思うが、あまりにも専門的な論文だけ書いていてもらっても困るのだ。どこが出してくれるの? という問題もあろうが、補助金でも取ればよいのだ。

そんなことで困って、英文の文献を探したらいいものが見つかった。ニコライ・ロースキーのロシア哲学史である。なんと、『キリスト教東方の神秘思想』のウラジーミル・ロースキーの父親だというのだから、世界は狭いですね。いやこれが、ものすごい面白さ。メインとなっているのは、やはり、宗教哲学、霊的哲学の系統で、ソロヴィヨフ、フロレンスキー、ブルガーコフ、ベルジャーエフ・・などにページが割かれているが、ニコライ・ロースキー、つまりご本人も登場しているというところは面白い。そのあとはまだ読んでないが、最後には息子のウラジーミル・ロースキーで締めくくられている。

霊的思想というものには、こうしたプラトン的光、キリストの光が多少とも入ってこなくてはならない。日本によくあるような、仏教だけをベースとして、プラトンやキリストなど存在しなかったような顔をしている思想では物足りないのだ。なぜかといえば、仏教では(たぶん空海の密教哲学などを除けば)、霊的なハイアラーキーや、「宇宙と人類を導く聖なる意志」と、宇宙から注がれる愛のエネルギーを享受するというイデーが、十分に出てこないからだ。たとえばケン・ウィルバーは基本的にプラトン・キリスト教的なものをすべて切り捨てて、仏教(特に禅)と西洋の深層心理学をドッキングさせて霊的思想を造ろうとしているが、こういう発想法は「まちがい」と言うつもりはないが、人類の霊的思想全体を受け止めていないパラダイムではなかろうか、と思うのである。

ロースキーのロシア哲学史を読んで、私が特に興味を持ったのは、ロシア哲学に一貫して流れる「全一」というイデーだ。そして、世界を作り出す「永遠に女性的なるもの」ソフィアの存在。ソフィア論はロシア哲学の伝統だが、ソロヴィヨフのそれはまだちょっと曖昧なところを残しているようで、ソフィア論が詳しく展開されたのはブルガーコフであるようだ。彼のソフィア論は一冊読んだことがあるが、もう少し、ブルガーコフの著作にあたってみることにしたい。さらにそこから「聖霊論」とからみ、それが微細エネルギー的ワークや波動医学的ヒーリングの問題にも接続していくとおもしろい。

いちおう、『ロシアの宇宙精神』をあげておこう。もっと背景の解説がほしいところだが、こういう本がともかく出ているということは評価すべきことだ。

4796702032 ロシアの宇宙精神
西中村 浩
せりか書房 1997-01

本山博『スピリチュアリティの真実』

『スピリチュアル哲学入門』とはまた違った角度からの入門書となると、最近読んだもののなかでは、本山博『スピリチュアリティの真実』が特におすすめである。

私は、いわば芸術家・詩人というような「媒介者」の立場から語っているが、本山先生は、「霊覚者」としての位置から語っている。霊的覚醒のレベルにおいてはたぶん人類全体からしてもトップクラスだろう。さらに、霊的エネルギーの効果を科学的に検証する超心理学者としても有名である。アメリカの大学院大学の学長でもある。

「スピリチュアリティ」ということばがついているのは、やはり、多くの人に手にとってもらうための方便だろう。

本山先生は、世界の構成として、物質界-アストラル界-カラーナ界-プルシャ界-絶対、という階層を語っている。こちらはヒューストン・スミスの『忘れられた真理』とほぼ同じ。カラーナというのはインドのことばで、一般的には「コーザル」といわれるものだ。

本山先生が強調するのは、「まずカラーナまで目覚めなさい」ということだ。アストラルとカラーナ(コーザル)は全然次元が違うのである。アストラルだけではまだ迷うということである。カラーナまで行けば、直接神を知ることはできないけれども、ある程度、「ガラス越しに外を見るように」神があることを知ることが可能だ、という。

そこで、霊能者にも、アストラル次元の霊能者とカラーナに目覚めている霊能者があるという。カラーナの人はめったにいるものではない。・・と、ここで、以前の本山先生だったら、わりと、そういうアストラル次元の霊能者を低く見る発言もあったと思うのだが、この本では、アストラルの霊能者にも、人々に霊的世界があることを知らせるという役割はある、と肯定している。アストラルの霊能者であっても、純粋な気持ちでやっていればカラーナとつながるし、そこに相談に来ている人も高い次元に導くことができる。相談する人が成長してきたら、次の指導者につなげることもできるのだ。

このへん、本山先生も、80代にして丸くなったのかしら・・などと思ったりしたが(笑) サッカーにたとえれば、Jリーグの監督ばかりいても、サッカー界は成り立たないわけで、少年サッカーの指導者やら、中学高校のコーチなど多数の人々が必要であるようなものだろう。本山先生はカラーナの上のプルシャレベルの人だが、カラーナレベルの人もきわめて少ないし、そういう「S級ライセンス」の人だけで全体を盛り上げていくことはできない。全体が進歩していくためには、もっとローカルなレベルの指導者、はしごを二段か三段くらい上がったくらいの身近な指導者も多数必要になっているのだ。

この本は、微細エネルギー研究の話になると、突如として難しいモードに突入してしまう。これは本山先生の本にはありがちなので、そのへんは適当にとばしてもいいと思う。

この本に書かれているのはすべてきわめて信頼性の高い情報である。

456969621X スピリチュアリティの真実
本山 博
PHP研究所 2008-04-24

困ったこと

心理学者でまた「拝み屋」として知られているN氏が、「大学関係者」とトラブルを生じたという話を書いているらしいが(伝聞だが)、その関係者というのを私だと思いこんでいる人がいるらしい。それは私ではない。私は少なくともこの5年くらいは彼とまったくコンタクトを持っていないので、そういう事情はまったく知らない。大学に関係していてこういうこともやっている人というのは、ネットで知られている以外にもいるわけなので、憶測で決めつけるのはやめてほしいものである。

新ブログ誕生

旧暦正月を期に、新ブログをスタートさせた。この「美しさの中を歩め」ほどは、力を入れられないと思うが、ネットでの広報というのも、重要ですからね・・ 次は、「公式ブログ」という位置づけで、あまり身辺雑記的なことは、書かないようにしようと思う。・・というわけで、こちらを。

スピリチュアル哲学研究室

『スピリチュアル哲学入門』について

まずはこちら。

4434127187 スピリチュアル哲学入門―魂と宇宙の根源へ向かって
菅原 浩
アルテ 2008-12

このブログでは、「本の話」というカテゴリーを設けて、いろいろ本の紹介をしていくことにしたい。このカテゴリーの記事一覧を見ればすぐに本の情報にアクセスできるようにする。

この『スピリチュアル哲学入門』は、哲学といっても、プラトンなどを意識した文学的対話形式を採用している。ふつうの、抽象概念で構築された文体の哲学は、必ずしも普遍的ではないと考えるので、より自由な表現を求めた。その意味で、アカデミズム哲学とは袂を分かっているものである。

また、「スピリチュアル」とはいっても、もちろんそれは、いまある特定のタレント霊能者に結びつけて考えられている意味と同じではない。ここでは、より伝統的な理解のしかたに立っている。「あとがき」を少し引用してみる。

私が理解しているスピリチュアルとは、むしろ人類の思想哲学の本道に属しているものなのである。つまり、もっとも基本的なものであり、哲学というものの根源にかかわっている。
 「スピリチュアル」とは「スピリット」がもとになっている。その形容詞形である。それでは「スピリット」とは何か。伝統的には、その意味は大きく二つある。それは、まず、宇宙の根源そのものである。キリスト教では「神」であるし、神のペルソナである「聖霊」はホーリー・スピリットである。本文中では、この三位一体という深遠なるアイデアにはあまり言及していないが、宇宙根源をスピリットとして言い表すという伝統をよく理解してほしい。そういう「無限遠」の視点をおいてすべてのことを考え直すことを、スピリチュアルな視点だというのである。無限の彼方があることを意識し、かしこから注がれてくるものを感じ、受け止め、生のなかに「永遠」を迎え入れることである。
 そしてもう一つの意味は、スピリットとは、この宇宙根源から発せられ、万物を生成させる生命エネルギーである、ということだ。私がここに生を与えられているのも、その生命エネルギーによるものだ。つまりスピリットとは、ここでは、私という存在(私の魂)を含め、すべての存在物をそこに「ある」という状態へもたらす原理である。そのような「生命」の原理を真っ向から問うということが、文明というものの中核にあったことなのだ。
 したがって、スピリチュアル哲学というのは、宇宙根源について思索し、そこに、あらゆる存在の生成する根拠を求めようとする思考のようなものを意味している。そのような問いを考え、その問いの深奥に入りこもうとする探求が哲学である、という考えがそこにある。

今回は、このくらいにするが、私の言うスピリチュアル哲学の考え方について、また語っていきたい。

次の本の企画

次回作の企画はすでにあります。来週あたりから準備に入り、夏くらいには発刊できればと思います。次回は、少し、ヒーリングとか実践の問題も取り入れたいと思います。伝統的霊性をふまえつつ、かなり混乱状況にある現在のスピリチュアル界で、自分で判断していけるような指針を考えていければ、などとも思います。密教的なパラダイムによって、微細エネルギーや、波動医学の問題なども包含できるといいですね。

これからのスピリチュアルには「天使論」が欠かせないと思います。密教的パラダイムというのは、宇宙根源・神々・天使・人間という多次元の存在者をそこに見るという意味です。天使というのは、地球以外の宇宙領域における存在者という意味ですから、宇宙人と言いたければ、そうも言えます。

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます・・冗談ではありません。きょうは旧暦正月です。しかも日本ではあまり見られませんが、金環日食があります。

旧暦正月を機会に、ブログを少しずつ再開することにしました。旧ブログを停止してから、少し、他社のブログを試行してみたのですが、慣れていないせいかしっくりしないので、ココログに立てます。

今回はその名も「スピリチュアル哲学研究室」で、公式ブログという形を取ります。

旧ブログ「美しさの中を歩め」も、しばらく残しておきます。

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