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東西の霊性と普遍神学

さてこれから、本を一冊と論文一本の仕事に入る。

研究費の執行期限が迫ってきたので、いろいろと本を注文してしまう。『ロシアのソフィア論――ソロヴィヨフ・ブルガーコフ・ロースキー・ベルジャーエフ』――興味津々である。しかし値段が、古本でなんと12000円。しかし清水の舞台から飛び降りる? という感じで、えいっと注文してしまう。その他、ブルガーコフの、英訳で手に入るものはすべてと、アマゾンのサイトで目に入ったディオニュシウスについての英語本二冊も、衝動買いしてしまう。これでも、予算消化はまだまだ。旅費などにくらべれば、本代など安いものである。ものが後に残るのであるし。

やはり、東方教父からロシアへの流れのものが多いが、現代神学ではモルトマンも少し読んでみたい。

最近、研究面で読むものは、ほとんど神学ばかりである。近代西欧の哲学は、神学とはっきり区別されたものと考えられていて、哲学者が神学の本を読むことはない。日本で、神学の本を読む人はキリスト教関係者に限られており、神学の議論が、キリスト教の世界以外に知的影響を及ぼすことはまずない。ところが、近代ロシアでは、そういう西欧の常識を無視している。哲学と神学は区別できず、行ったり来たりしている。人間知性を超える問題に対して、知性のぎりぎりまで思考しつつ、霊的観照と接続していく思考は、ひじょうに刺激を与える。

霊性哲学、霊性思想は、東西の霊性の伝統を統合してはじめて全体的なものとなる、というのが基本的な考えである。神学的思考は、たしかに、仏教的、ヒンドゥー的な哲学の与えてくれないものを持っている。こういう、東西霊性思想の試みは、まだまだ本格的に始まってはいない。

簡単に言うと、西洋の霊性のエッセンスは、「宇宙と人類を導く神聖な意志」というイデーと、「人類全体は一つの集合体であり、その全体として霊的に進化していく」というイデーであろう(もっとも私は、この「人類」ということを、必ずしも地球人類に限定する必要はないように思うが)。

このイデーは、キリスト教において保持されてきた。しかし今や、そのイデーはキリスト教という枠を離れ、全人類へと散布されるべき時が来た。チベット民族が全世界に散ってその叡智を広めたように、である。神学的思考の精華は、キリスト教神学ではなく「普遍神学」へと生まれ変わるのである。

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