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科学と霊的認識

私のブログを長く読んでいる人は誤解しないと思うが、私の研究は「スピリチュアルを科学的に証明すること」ではない。世の中には、そのような発想でやっている人々もあるが、そういう姿勢は、疑わしいものだと思っている。トランスパーソナル心理学を、科学として定立したいと思っている人もいるようだが、基本的に誤った方向性である。

量子物理学の成果が、スピリチュアルな世界の存在を示唆しているとか、そういう話が好きな人々もいて、私がそういう科学の話をしなかったり、科学がスピリチュアルを解明できる可能性を否定したりすると、気に入らないということもあるかもしれない。最近ではアーヴィン・ラズロの本がよく出るが、そういう層に読まれているのだろう。

私は、こういう言説が存在する意味を否定するつもりはない。こういう話は、もう1980年代の「ニューサイエンス」と呼ばれていた時代からあるものだ。しかし、そこで演出されようとしていた「科学の最先端と霊性との接近」というパラダイムは、認識論的な問題を内包しているという考え方も、当初から出されている。たとえばニューサイエンスの本として出た『空像としての世界』という、ホログラフィーパラダイムを主張する本の中で、ケン・ウィルバーが寄稿しており、科学的認識と霊的認識は違うものであり、その両者を混同するのはカテゴリー・エラーという、ということを述べている。

この問題を論じるにあたって、ウィルバーのカテゴリーエラー論というのは基本になるものなので、まずそれを知ってから議論してほしい。有名なものはウィルバーの『眼には眼を』に収録されている「三つの眼論」だ。三つの眼というのは、肉(物質)の眼、魂の眼、霊の眼ということだ。つまり、これは人間存在の三層――肉、魂、霊に対応して、それぞれの認識能力があるということだ。科学はあくまで物質的(肉体的)認識能力のみに限定してものごとを探求するものである。重要なのは、人間にはそれ以外の認識能力もあるということだ。そのことを忘れてしまうと、科学至上主義を批判する根拠を持てなくなる。三つの眼という考え方は、ヨーロッパの近代以前の哲学にあるもので(ボナヴェントゥラなどが有名だ)、それをウィルバーが科学論に当てはめて定式化したものである。

本山師なども、霊的エネルギーの科学的研究をしているわけであるが、あくまで、「霊的エネルギーの効果が物質次元に出現する」という相においてのみ、科学的方法が有効となるのである。

したがって、宇宙の根源であるとか、およそ科学的方法が適用不可能であるようなことがらについて、既存の科学を権威として考えることは問題がある。そういう根源的問題については、あくまで霊的認識が基本になるのであり、また、霊的次元と人間の精神がつながっており、霊的次元からイデーを受け取ることが可能であるという、形而上学的パラダイムにおいてのみ、宇宙根源は思索可能なのである。

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