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雑感

忙しさはもう一息。

ところで、私はいろいろ本を読んでるが、「研究者」なのかと言われると、ちょっとわからない。今時、大学に勤務している人がみな研究者というわけではない。私のところは、そう呼べるような人は1割くらいか、もっと少ないかも。実務系、実技系の人が教員になるケースがひじょうに多くなっている。裏を返せば、アカデミックな大学院生の就職はひじょうに厳しくなっているということ。

私は、業績書に何か書かなければならないので、おつきあい程度には研究論文も書くが、メインは「表現者」としての活動にある、と思っている。

なぞらえるようなつもりは毛頭ないが、ニーチェは研究者ではない。ソロヴィヨフだってそうではない。

「研究」というと、どうしても、既存のものを詳しく調べるというイメージがある。自分から何かを創造するというイメージではない。

大学院にいたときの同級生や上級生など見ていると、世の中には「研究能力」においてすさまじい才能を持つ人がいると感じたので、彼らと同じ土俵で勝負しようという気にはならない。そういう細かい調べごとは私には向いていないのである。その代わり私は、いろいろたくさんのことを結びつけて大きな地図を作るのが得意だった。大学院の教員も、私はそういうことに向いていると言った人もある。反面、それはジャーナリズムであってアカデミズムではない、と否定的なことを言う人もいたが、そういう価値観があっても不思議ではないだろう。それならば、あえてそういうアカデミズムを無理にやるつもりもないよ、と思ったが、結局ふりかえってみると、やはりそういう道を進んできたようである。アカデミズムが成り立っている根拠ははたして確固たるものか、などと、フーコーの「知の考古学」で理論武装したりしたが、そういうこだわりも今では必要なくなった――という感じがする。

宗教関係でたくさんの本を書いているひろさちや氏という人がいる。彼は研究者をやめて著述家になった人らしい。たいへん失礼ながら、ひろ氏が書いた本の中で、彼の死後何十年も残るような本は、一冊もないだろう。しかしながら、残していくことがすべてではない。まさに、同時代の「いま」において、人々の霊的本質をかき立てるような言葉を発信するという仕事は、たいへん貴重なものである。彼が大学に残った場合より、はるかに世の役に立っているだろう。表現者としての活動は、今・ここが仕事の場所である。今年、意味がある言葉は、10年後も意味があるとは限らない。研究者と表現者では、求められる才能は違うのである。

いろいろな役割がある。大きな神の計画の中で、自分に与えられたことは何かを自覚するということは、重要なテーマである。

じゃあ、なんでスピリチュアル哲学「研究室」なんだといえば、そこはまあ、「ことばのあや」ですかね・・(笑)

私は、既存の枠組に、自分を無理してあわせようという意味での、「まじめさ」は、あまり、持っていない。そういうことを私に期待してもしかたがないということである。

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