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単なる雑感

中村さんの本を読んでて気がついたが、そういえば、昨年の秋、体調やエネルギーがかなり低下してしまったが、それについて思い当たることがあった。だが、ここではこれ以上書くわけにはいかない。これが解決したらだいぶ楽になった。

ネットカルトの話だが、私の知人のブログでも、「○○○についてどう思いますか?」というコメントが来ることがあるそうだが、これは実はそこの信者が書いているもので、もし「だめでしょう」と言えば、そこで呪詛攻撃をしようということであるらしい。世にも恐ろしい話である。

昔の、オウムにしたって、本に書いてあることの8割くらいは、インドの聖典と同じことであり、その言葉を読む限りでは「いいこと」が書いてあるのである。すべてカルトというものは、まったくでたらめではなく、その中には多少の霊的真理の言葉も入っており、それがどうしようもない魔的なものと混在していることが多い。初心者は、その霊的な真理のことばに感激して、その教えが100%正しいと思ってしまう、というところに落とし穴がある。

したがってあくまで、霊的なことがらは、エネルギー的にも判断するべきで、それが「さにわ」なのである。それについては、骨董品の鑑定と同じで、「いいものばかりを見る」という経験を積み重ねるしかない。とはいっても、たくさん霊的な古典を読んでいても、ネットカルトのものをいいと思ってしまうような人もいるのだから、ただ読めばいいというものでもない。むずかしいものである。知識と直観力の両方が必要だ。

サイトについても、それを書いている人物がどれだけのものであるのか、エネルギー的に「さにわ」するということが必要で、たいしたことないとか、ちょっと変だと判断したらいっさい無視することだ。

しかし・・いや~、人ごとではない。カルトないし悪しき宗教信仰の心理というのは、「こんなすごい教えを信じている自分は偉い」というエゴがあるのだ。これは、もう少し微細な形態でもあって、たとえば「私は○○というすばらしい師について修行している」「私はこんな、伝統ある○○という霊的な道を歩んでいる」ということを誇りに思うまではよいが、それが「それにくらべて・・・はなんじゃい」と他の道をばかにする心理というのがあるが、これも結局はネットカルトと五十歩百歩なのだ。そういう心性は悪の芽なので、厳しくつみ取らねばならない。秘教的伝統とか、そういうものはかえってこういう「霊的エリート意識」を持ちやすいところもあるので、そういうのを克服するのに何年もかかった実例も見ている。自力系の修行は特にこういう落とし穴が多い。その心の動きは、自分のエゴを肥え太らせるものではないのか・・と観察することは欠かせない。

だから、ネットなどで、(いくら自分が正しいと思っても)人をばかにするような調子で書き込みをしているのは、自分はそういう反省のない人間だ、その程度なんですと世間にさらしているようなものだ。見る人はそこを見ている。そのへんは十分に気をつけたいところである。

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