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市場原理主義のイデオロギー

市場原理主義の背後には明確な人間観・世界観が存在する。それは基本的に人間は「個」であって、その個どうしは対立し、敵対するのが自然な状態だということだ。これは自然観ではデカルト・ニュートン主義に対応する。政治思想ではホッブズに代表される。つまりこれはきわめて「モダン(近代)」の世界観である。

グローバリズムなどと言っているが、これは一つの形而上学を基底としているのである。たぶんそこには、ネオダーウィニズム的なものもある。こうした個による競争は、結果として進化を生むという「信仰」があるのだ。

これは徹頭徹尾、無神論的、つまりニヒリズムの世界観であるとも言えよう。

これに対して、「人間とは基本的に<一つ>であり、調和の状態にあることがノーマルであり、争いが起こるのはアブノーマルな状態である」という思想もある。つまり、すべての人間はある意味でつながって統一体をなしており、その中の多様な表現として個人というものが成立している、という見方である。この統一性は、肉体レベルの知覚では見えないものだ。

日本は本来、こういう考え方をする文化だったのではないか。利害の対立があっても、深刻な争いにならないように調停するよう努力するものだった。

本来、原始社会では、そのような「調和」が第一に重視され、あまり格差が大きくなりすぎないような配慮がされた。これが人類学の教えるところでもある。これは、原始社会では、すべて物質的な次元にも霊的なエネルギーが浸透しているという世界観を持っていたことと密接な関係があるのだ。

このことを説明するとたいへん長くなるので、ブログ記事という枠では説明しきれないが、そういうことである。市場原理主義の原子論的な人間観は、世界からいっさいの「聖性」を剥奪した近代世俗主義イデオロギーという背景において成り立つものである。

したがって、世界に聖性を奪還しようとする思想運動(ラディカル・オーソドキシーもその一つだと思うが)は、必然的に、市場原理主義の政治体制とは相容れない。格差の拡大をある限界内にとどめる「セーフティネット」の充実を重視する政策と親和性が高いのである。

そういう視点から、このブログでも、政治的意見を発表するのをためらうことはしない。もっと世の中に霊性が認知されてほしいと望む人々は、小泉・竹中路線ときっぱり決別する意志を、次回の総選挙において明確に示してほしいと思う。そして、権力に操作されたマスメディアの腐敗を十分に認知し、ネット情報などに注意して欲しい。それから、産経新聞を取るのは即刻やめることをおすすめする。

市場原理主義から、セーフティネット重視の政策にいかに転換するか。もはや、政権交代以外に道はないと私は考えるが、いかがであろうか。

植草氏のブログ記事がわかりやすく整理しているので、一読をおすすめしたい。

市場原理主義VS人間尊重主義

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