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プチ・スピと宗教

磯村健太郎『<スピリチュアル>はなぜ流行るのか』(PHP新書)という本を借りてきた。

これはスピリチュアリティという概念でいろいろやっている宗教社会学者たちとだいたい同じ路線のもののようである。

まずよい点をあげておくと、新しい共同体とあり方、ネットワークという部分を言っていること。見田の「交響体」という概念はなかなかおもしろい。

ただ、全体としては「プチ・スピ」というか、わりとカジュアルなつきあい方をしている人々について語っていて、スピから入ってもはるかにハードコアというか、ほとんど「修行」の世界になっていくような「始まってしまう人々」のことについては語られていない。それはそもそも、スピリチュアルということを「見えない次元とふれ合う」というように理解しているからだろう。伝統宗教を総じて軽く見ているというか、それが秘めている深みというものを意識しているようでもない。見えない世界と戯れるという要素も、プチ・スピのレベルではあるだろうが、根本的には宗教と同じような「霊性進化の道」の現代版として登場している意味も大きいように思われる。そのような、宗教の持っていた可能性についての理解があまり感じられないのは、残念な点であるが、これは宗教社会学の人に共通した限界であると思う。

つまり、「宗教はいやだけどスピは好き」というのはあくまでプチ・スピレベルの反応である。スピも深く進んでくるとひじょうに伝統的な道と似てくると思う。信仰とか全託という要素も不可欠になってくる。そういうハードコアの人々を取材するともっと違った絵が描けるのではないだろうか。たとえば上から「修行」が降りてきて、気がつくとヒーラーになっていたなんて人も多いのである。そういう目線でスピを見るとぜんぜんちがってくる。

昭和時代に大きな新宗教が勢力を伸ばしたときも、都市化で孤独になった人々が心のよりどころを求めて云々…といった「解説」がなされたが、今回はまったく違う社会形態になっているということだ。だからこういうアプローチは、組織論、メディア論として見るべきだろう。それなら宗教社会学の得意分野である。もちろんこのアプローチが、宗教というものの「ある面」を理解しているにすぎないことは、本人たちもわかっていると思う。

まあ、借りて読むくらいの価値はあると思う。社会現象という角度からながめるという目的はある程度果たせているようだ。

私などの立場から見ると、「宗教とは人間が作ったものだ」と言ってしまった瞬間に、決定的に取り逃がされてしまう何かがあるのだ。ここには近代の時代のイデオロギーがあるということは自覚するべきだと思う。宗教社会学も存在意義はあるが、スピ論としてそれしかないとしたらかなりつらいものがある。

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