パラレル・ワールド
最近、考えているのは「パラレル・ワールド」の問題。
実は、このところバシャールをかなり読み込んだ。それだけではなく、映像のも見た。彼の言っている世界観はだいたいおなじみなのだが、ただ、パラレル・ワールドの問題だけがこれまでになかったものだった。
これは、時間というものが幻想であり、本来はすべて無時間の中で起こっていることを徹底して考えれば、出てこざるを得ないヴィジョンだろうと思う。
だから、過去というのもまた幻想なのだ。言い換えれば、過去は変わる。変えられるものだということになる。
過去生のカルマによって今生がある、という唯識で言われているような世界観も、あくまでこの物質界の限定された視覚からはそう見える、ということに過ぎないのだ。本当は過去生というものが客観的に実在するわけではない。
いや、過去生は無数のバージョンとしてあり(今生、未来が無数のバージョンとしてあるように)その時の波動にもっとも合致した過去生がその時の過去生になるということではなかろうか。そう考えれば、この過去生は本当なのか幻想なのかという問いは、意味を持たないことになる。いやそれどころか、そもそも、これは現実なのか幻想なのかという問いも、意味を持たない。
でもそれがより真実に近いのかもしれない、という直観もまたあるのだ。
人類はそういう世界観を抱くことができるまでに成熟してきたのではないだろうか。これまでのものはあくまで部分的な視野のものだったのだ。
過去生は変えられるのであるならば、今生においての過去もまた、変えようと思えば変えられるものかもしれない。それは、過去生のヴィジョンを変えるよりはむずかしそうだが、理論的には不可能ではない。
バシャールは重要なメッセージを含んでいる。彼が宇宙人であるかどうかはどうでもいい(わけではないが、二の次の問題だ)。大事なのはそのメッセージが役に立つかどうかである。
徹底して、無時間的な場所に立って全体を眺めてみることも必要になってきているようだ。
それは、「現実創造」の問題とかかわっている。
つねにいま・ここにおいて現実が絶え間なく創造されているということに目覚める――これはなかなかスリリングなことである。
しばらくはこの問題を折に触れ考えていくことにする。