自分の現実
なんていうか、スピリチュアルな、霊的な生き方のいちばんスタートというのは「自分に起きることにすべて責任を持つこと」だというふうに、最近感じられている。
つまり「自分の現実は自分で創造している」ということを徹底して受け入れるということだ。
そうなるといっさい、人のせいにはできない。人の悪口とか言っているようではスピでもなんでもない。それは、自分のエネルギー(現実創造の力というか)のあり方が違っていれば、そのような愉快でないことが起こることはなかったはずだからである。人に何か変なことをされたという現実を創造してしまったのは自分である。(なおこれは、犯罪者を罰しなくてもいい、というようなこととは関係ない。話をそういう方向に持って行かないようにしたい)
そこで、そういう考え方の前提として、現実にはたくさんのバージョンがあり、どのバージョンを選ぶかは自分で決定している、という見方をとる必要があるということになる。
自分の好きではない現実が現れてきたときには、自分のなかの何がそういうものを引き寄せたのか、考えてみる必要がある。むしろ、そのためのチャンスとして受け取るという姿勢が望ましい。
そう考えてみると、「人人唯識」といわれるのはある意味で本当なんだな、とも感じる。つまり自分の世界はすべて自分で作っているわけだ。(ただこれは、他者というものは一切ない、という意味ではない)