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2010.12.29

ひさびさの『スピリチュアル哲学入門』

久々に『スピリチュアル哲学入門』の話だが、最近は反響など、ほとんど関心がなかった。ふと検索してみたら、次のページが目に入った。

『スピリチュアリティ』世界の地図(1)

筆者は「葛西」となっているので、葛西賢太さんか? ま、好意的に紹介してくれるのは素直に喜ぼう。アカデミーの中である程度評価してくれるのは、ほかには中川吉晴さん、石川勇一さんくらいしかいないのだから・・

しかしまあ、やはり私は、スピリチュアルな世界を実際に知りつつ、それを言語化することに自分の存在意義を見いだしていることも、たしかだ。実際のそういう世界は言語では決して追いつかないが、少しでも言語による表現の幅を広げていくことは、人間の限界を押し広げることの一つであろう、と思っている。

そういう意味で、『スピリチュアル哲学入門』は読んでもらいたいし(たしかにタイトルはちょっと内容にそぐわないところもあるが)、いまは再刊未定の状態になっている『魂のロゴス』についても、出版社へ再刊要望を送ってもらいたいものだ。

『スピリチュアル哲学入門』が出たのが、ちょうど二年前のクリスマス。その二年の間、私はかなり実践の世界にシフトしていた。今年は本を書く予定だったが、入院を二回もしたり身体の不調があって、そういう根気のいる仕事はできなくなった。本業の方が数年前とくらべてやたらに忙しくなってしまったのもある。そこで来年は、給料が大幅に減るのを覚悟で仕事量を減らし、執筆に集中する環境を作ろうと計画している。まだどうなるかわからないが、これから本格的にやっていくという決意は固い。そして、この、実践と思想系活動との統合ということもこれからの私の追求するテーマである。

しかし、なんとかもう少し売れたり、評判になったりしないものか? パブリシティが不足している。来年の本は何とかする。

2010.12.23

タロットカードとオラクルカード

最近、タロットをやっていて感じるところがあったんですが・・・

タロットというのは、「その人のエネルギー状態を正確に映し出すレントゲン写真みたいなもの」という印象を持ちました。つまり、かなり「ずばっ」と来るわけです。そのために、大アルカナの「塔」や「死」だの、剣の9や10など、いわゆる「きついカード」があります。きついといってもそれは日常的なエゴの立場からいえばしんどいのであって、魂次元からすればべつに悪ではないのですが。むしろ次に進むための重要なステップだったりもします。

ですのでタロットは「リーディング」のワザであって、「ヒーリング」、癒しのツールではないなあ、ということです。ですから、実際につらい状況にあると厳しいカードが出やすいですが、そういう状況が目の前にびしっと出てしまうと、しんどいということもあります。そこでつらい感情が刺激されてどうにもならなくなってしまうというケースもあります。そういう場合は、まだ自分がつらい状況にいるということ自体を直視できるだけの力がないということなので、こういう状況の人はもしかするとタロットリーディングは向いていないのかもしれません。状況をびしっと見るよりもまずはヒーリングだということになります。タロットに「癒し」を求めると間違うということがあるのです。タロットはリーディングのツール、つまり、自分がどういう状況にあるかを確かめたいときに使うものなのです。

ですから、癒しを求めたい人には、タロットを使わず、天使などのオラクルカードがいいと思います。これにはきついカードは含まれていません。

場合により、タロットとオラクルカードの使い分けをするのがいいみたいですね。タロットで状況を診断した後、ではどういう癒しが可能なのかをオラクルで見る、というふうに併用する使い方も考えられると思います。

2010.12.19

レイキの遠隔アチューンメント

レイキは私のスピリチュアルワークの原点である。正確に言うと、1980年代に「気ブーム」があって、そこで気功と接したのが始まりで、太極拳などもやった。90年代はヨーガを多少やっていた。レイキと出会ったのは2000年ころだが、その時はまだあまりぴんと来ていなかった。2006年に地元のティーチャーからレイキを受けて、そこからエネルギーがわかるようになり、それ以降、いろいろなワークが発展してきた。レイキティーチャーになり、人に教えるうち、高次元のエネルギーが来ているときに高次元からメッセージを受け取ることもできるようになった。

そういうわけでレイキを教えることは好きなのだが、レイキのアチューンメントは対面に限られている。通信伝授はしないことになっている。いま、ネットでやっている人もいるが、それはあくまでその人の判断で、臼井レイキは対面が原則である。

と、そのように土居裕さんも書いている。その通りであると思っていたが、スカイプという通信手段ができて、その状況も変わってきたかもしれない、と思う。

土居さんが「通信伝授は本来ない」と言っているのは、普通の通信教育のように、テキストを送ってきて、Q&A、そして遠隔アチューンメントという手順のことを言っている。だが、スカイプでカメラをつけてやれば、かなり対面と近い状況が出現する。20世紀には夢のようであった「テレビ電話」である。これで、遠隔地にいてもかなり対面と近い状況が作り出せるようになってきた。

そこで、いま、スカイプでレイキセミナーをすることをモニターしている。うまくいえば、来年には提供できるようになるだろう。

大都市を除けば、まだまだレイキを受ける機会は限られている。また近くにいるティーチャーと必ずしも波動が合うとは限らないだろう。レイキティーチャーといっても、自分でシンボルのエネルギーの違いを感じ分けることができないような「なんちゃってティーチャー」もけっして少なくないのである。だから、物質的制約をテクノロジーで超越できればそれに超したことはない。

2010.12.06

エネルギーワーク本を構想

今度、エネルギーワークについての本を書こうと思っている。スピリチュアル思想家とエネルギーワーカーという二足のわらじ状態はいつか統合されるべきだと考えていたが・・

たとえばレイキというワークがなぜ成立するのか、それは今までのレイキ本では十分解き明かされていない。なぜアチューンメントというものによってレイキが使えるようになるのか・・ 「そういうものだ」という説明では、信じない人は信じない、ということになる。しかし、これは意識と現実創造との関係を理解すればわかることなのだ。

私たちが現実を作っている原理から説明して、エネルギーワークを位置づける。もちろん実際に役に立つようなワークを豊富にのせる。

というような、スピリチュアル・レイキ本とでもいうか、そういうものを来年は出すつもりである。

世界否定と世界肯定

先日、「世界の価値を否定する霊性」について書いた。それがグノーシスや、インド系の霊性にはよく現れる、ということだ。ブッダの原始仏教も基本的にはそう言っていいものである。

一方、仏教の伝統でも大乗仏教になると世界を肯定する思想が現れてくる。禅もそうだが、密教も大胆なる完全肯定である。

インド系の思想にも、ヴィシュヌ系ではラーマーヌジャ、シヴァ系ではカシミール・シヴァイズムなどの思想が現れており、世界肯定の思想は多い。

ただ、この世界を「そのままで」絶対肯定するというのもちょっと行きすぎであろう。絶対肯定というのは、あくまで神(宇宙根源)の立場から見たときにすべては善いということであって、一人の人間のポジションからすれば「より好ましい方向」というものはある。

ということで、プロティノスが語ったように、「この世界は美しい、ただその美しさは、より完全な世界の反映として美しいのである」というような姿勢が、バランスが取れているのではないかという気がする。

地球滞在を楽しむべきであるが、究極的には私たちは宇宙から来ているのであり、地球に属してはいないのである。地球旅行者であって地球人ではないのである。

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