「引き寄せ本」を読みまくっている最近である(笑) そんな中、聞いたことはあるがまだ読んでいなかった、エイブラハムの引き寄せ本を読んだ。
いや、これはすばらしい。たいへんおもしろい。
書いていることはバシャールと似ている。自分がよいものを引き寄せているかどうかは、自分の中にポジティブな感情があるかどうかでわかると言っているが、これはバシャールの「ワクワク」と同じである。
実をいうとアメリカではバシャールよりもエイブラハム(ヒックス夫妻)の方がずっと有名である。ホームページも充実しているしワークショップもすごい数こなしている。バシャールの方がはるかに小規模である。でもまあ、私はバシャール大好きですがね。
バシャールはだれでもコンタクトしていいと言っているが、エイブラハムとコンタクトしてみるとできるのではないかと思う(「できる」と思うことが大切)。
で、エイブラハム本は、いやなものを引きつけてしまったときにどう対処すればいいかとか、そういう具体的なノウハウがかなり出ている。これがなかなか役に立つものだと思った。とても実践的なのである。
人気が出るのも当然である。実際に「使える」ものだから。ただ、読む場合には翻訳のよしあしに注意だろう。『神との対話』の訳者、吉田利子さんは、訳はとても読みやすいが時々原文をパラフレーズして変えてしまうので、原文と離れることがある。一方で、他のエイブラハム本ではアマゾンレビューで「訳が悪い」という評判が出ているものがあるので、そのへんはチェックすることが必要だ。
まあ、この手のスピリチュアル系自己啓発本の世界では、原文を時々省略するなんてことはふつうに行われているし、ダイアーの本なんかも全部訳せば400ページにもなりそうなのを250ページの本にするなんてこともある。
話を引き寄せに戻すが、私がかなり若い頃は(いまでも若いが)、こういうものは、ビジネスマン向きのナポレオン・ヒルとかそんなものしかなくって、それがスピリチュアルな世界観と結びついているということはほとんど気がつかれていなかった。
スピリチュアルな成長ということを考えると「修行モード」だったのである。つまり、今の人間は基本的に駄目なものであるから、たたき直して、カルマを浄化し、少しでも神に近づきなさいという教えである。今の若い人は知らないかもしれないが、オウムという現象はそういう流れの中で、「偽グル」が出現してしまったという問題である。そういう偽物は論外としても、その師匠が「本物」、つまり実際に高い意識に達していたとしても、やはりその指導法は「修行」だったのである。
しかし、実際に修行をしている人、たとえばそんな師匠のやっている道場に泊まり込んで(つまりふつうの仕事は辞めて)けんめいにやっている人と何人か接したが、それがあんまり進歩していないように見える人も多かった。明らかに「自分は修行をしているんだ」ということがひそかに自意識、エゴの肥大になってしまい、修行をしない人を「成長するつもりのないやつ」として見下げる、という態度を示す人がかなりいた。そして「あいつの方をなぜ師匠はかわいがるのか」とか、仲間に嫉妬をしたりする。私はそういう実情を知って、修行という道に疑問を感じるようになった。いっそ修行を始める前の方が「いい人」だったかもしれないというケースもあるのだった。(あとでわかったことだが、そこに集まっている人々は、ほとんどが、過去生でもその師匠のもとで修行をしていた人たちであるようだった。それ以外の人は続かなくてまもなくやめていくケースが多かった。それから、その師匠は過去生ではインドのグルであったので、その教え方も伝統的なインド宗教思想に近かったのだということもわかった)
今から考えてみると、修行モードというのは、今の自分には求めるものが得られていないという「欠乏」にフォーカスしてしまっている面があった。神の愛とか、宇宙の豊かさということがわからないので、何とかそれを得たい、と必死になっているが、その「自分にはない」という意識が強いので、なかなかわからないという側面があった。師匠の愛をめぐって争うなんていうのはいかに宇宙を「欠乏」として見ているかのよい証拠である。私が、神の愛がわかるなんてことは実に簡単なことだと気づいたのはかなり最近である。というか、わかることが人間としてはむしろノーマルなのだ。「自分は神の愛がわかっていない」という欠乏に焦点をあわせるのが間違っていたのである。得たい得たいではなくて、もっと力を抜かなければいけないのだ。
「努力しなくてもいい」ということに気づいてからかなり楽になった。正確に言えば、努力したい人はすればいいが、それがオプションであって、義務ではないということである。「楽であってもいい」という考え方が受け入れられないと、レイキのような世界には入れないだろう。レイキは確かに、「宇宙に任せていればすべてはうまくいく」ということを実感させてくれる。その意味でたしかにレイキは転換点だった。より広大なスピリチュアルな次元があることを、これほど簡単に実感させてくれるワークはそんなに多くないと思う。
今の人は恵まれている。どんどん楽になっている。苦労をする必要はないのである。たいへんけっこうなことである。きつい経験をするのは、マラソンやトライアスロンをやる人のように、自らそれを選んで、そのきつさを克服する高揚感を得ようという、趣味の問題にすぎなくなったのである。
そういう意味で引き寄せ思想が世に広まるのはすばらしいことである。
ただ、アマゾンのレビューなんかでも、「目新しいことは何も書いていない」などとネガティブなことを書いている人が必ず一人くらいはいるものだ。
申し訳ないがこういう人は何もわかっていない。つまり「頭でわかる」がすべてだと思っている左脳オンリーの人間なのである。
本当に自分を変えていこうと思ったら、「わかった」「理解した」というレベルはほんの第一歩にすぎない。大事なことは、わかっているはずのことを繰り返し繰り返し、インプットしていき、潜在意識を完全に変えることなのである。
外国語と同じである。もう文法の理屈はわかってしまっているかんたんな英語を、大量に聞き、読むというインプットをおこなっていかないと、話せるようにはならない。「わかっている」ことと、「使える・できる」ということとは大きな違いがあるのである。「わかること」だけで十分だと思ってしまっているのは、学ぶということを学校の勉強モデルで考えてしまっているからである。「できる」というのは数学や歴史みたいな勉強ではなくて、音楽・体育・工芸みたいな「実技科目」である。実際にできてなんぼである。バスケットがうまいということは、ルールを知って理解していることと同じではないのである。
であるから、引き寄せの思想を完全に身につけ、実践するためには、とにかく、頭でわかったあとも、繰り返し読む。そして、同じようなことを書いてある別の本を次々と読んでいくのである。同じ思想が違う側面、切り口で語られるのに接すればまずます定着が進むのである。このように潜在意識をトレーニングすることの大切さに気づき、そのためには「繰り返してのインプット」が大事だと知るべきである(お気づきと思うが、これは「アファメーション」と同じ原理である)。「目新しいことは書いてない」などということを言う人は、自分の人生に何もいいものを創造できていないことはほぼ確実である。
さて話が長くなったが、要は、エイブラハム本はいいよ~ というのがこの記事の趣旨である。ホームページのおすすめ本にも載せようと思う。