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現実は選べるということ

結局、「自分ができると100%信じられたことはすべてできる」というのが宇宙の法則だと確信できるようになった。自分に許可証を与えるかどうかという問題なのである。文字通りすべてできる。水の上を歩くことだってできる。キリストはそれができた。ただ私たちはそれができることに確信が持てないのでできないだけである。

だから「できると信じられること」を拡大することは、自分を拡大する、自分の現実を創造することと等しいのである。

私は「アチューンメント」という世界に関わって、そういう法則がはっきりとわかるようになった。

こういうことを疑わしいと感じる人は、おそらく、「客観的な世界というものがある」という思考をしているのだと思う。実は、その客観的な世界というのは、集合意識によって作られた「同意された現実」にすぎない。

新しい現実を創造するとは、もちろん同意された現実を完全に否定することではない。完全に否定すれば生活はできないし、自分が創造した現実と同意された現実にほとんど接点がなければ、コミュニケーションが全く不可能になる。この場合私は同意された現実側からは「気の狂った人」と見なされ、病院行きとなるであろう。

ただ、同意された現実というのは、それほど確固としているわけではなく、ほとんどの人は、あまり多くの人に同意されていない現実の部分を作り上げて生きているものなのである。

だから、少しずつ、同意された現実をずらしていくということである。スプーンが曲がるという現実は、曲がらないという現実に比較して大して変化しているわけではないが、意識のあり方は同じではない。つまり、同意された現実がすべてではなく、私ができることにはもっと多くの可能性がある、ということに気がついたということが重要なのだ。

大天使ミカエルや阿弥陀如来というものが「いる」という現実に生きるかどうかは、選択できるのである。正しいとか間違っているということはない。正しいかどうかというのは、何を基準とするかの問題に過ぎない。

ミカエルという存在が客観的に(つまり、科学のように、誰が観察しても必ず同じものが出現する、という意味において)実在するわけではない。あくまで私は、私のバージョンのミカエルをそのつど創造しているのである。ただし、これまで多くの人が創造した、ミカエルのエネルギー場(シェルドレイクの言う形態形成場)というものはあり、それに影響を受けるということは当然ある。だけれどもそれはあくまで私のバージョンである。実はミカエルというものは、すべての人間、そして宇宙の他の領域の住人たちすべてが、そのイメージにおいて創造した無数のバージョンを統合したものとして存在している、という言い方もできる。つまり、私が私のバージョンのミカエルを創造すれば、ミカエルという存在はそれだけ、より進化発展し、より多様にして統合されたものになっていくのである。これは阿弥陀如来でも天照大神でも同様である。

従って、私の現実にはミカエルも阿弥陀如来も存在するが、別の人の現実には存在しないであろう。たとえば私の現実には、マオリ族やラコタ族の神々は登場しない。しかし意図すればそれを付け加えることはできる。つまり、現実とは意図的に創造可能なものである。選択できるのである。それを選んでしまえば、その存在は実在し、それと会話するだってできる(できないと信じていれば別だが)。

できると思っていたができなかった、というのは、それが間違っていたということではなく、集合意識の同意された現実の力が勝ってしまった、ということだろう。あるいは、単に、もう少し時間が必要で、最善のタイミングでできることになっているのかもしれない。

「できる」と思い込むということがいかに大切か。それも、引き寄せの本には繰り返し書いてあることである。

「現実を選ぶ」ということが、これからの思想の中核となるのだ。

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