« 霊性思想は人類思想の本道である | Main | 霊性の道における不易と流行 »

科学と霊性の棲み分けについて

ここでまた、霊性と科学との関係について書いておく。

以前、「ノーベル賞程度で騒ぐな」などと書いたら、一部で猛反発する人がいた。

騒ぐなというのは一種のレトリックであるが、これは今の日本における科学への過大評価を揶揄したものである。

まあ単純に、いちいち受賞で騒いでいるのは、それだけ少ないということなので、言ってみれば後進国である証拠なのである。アメリカやイギリスはほとんど毎年何人も受けているのだから、騒ぐこともない。これには、英語が事実上世界標準となっている言語的不平等の問題もあるが(英米人は英語の習得に時間を費やす必要がなく、その分を専門の勉強に充てられるのだから、有利なのは当たり前だ。この不平等に抗議する動きがなぜ出ないのだろうか)。それはこのブログの範囲外なのでこれ以上触れないでおこう。

問題は、科学史や科学哲学を学んだ人なら誰でも知っているように、科学は「世界観的にニュートラルではない」ということなのだ。

たぶん、「科学と霊性の統合」を期待している人は、現代物理学と霊性とか、マクタガートの『フィールド』とか、アーヴィン・ラズロとか、そういう本を読んでいるのだろう。だが、そういう考え方に賛同しているのは科学者のほんの一部で、大多数はもっと保守的なものである。

つまり、実在するのはこの物質世界がすべてだ。意識は物質が進化してできた副産物に過ぎない。知識とはすべて感覚の経験から発するものでそれ以外に知識というものはない。・・・こういう考え方の枠組は大部分の科学を縛っている。それ以外のことを言おうとすると科学的とは見なされず、科学者共同体から放逐されることになる。

科学と霊性が統合するには、こういう科学者の中に根強くある形而上学的思い込みが是正されないと、話にならないのである。

科学は本来、形而上学ではなく、方法論であるはずである。だから、こういう世界観とは全く別の、霊的な世界観とも共存しうる。しかしそれは原理的にそうだという話で、現実は違う。そういうものは少なくともアカデミーの世界ではできない。

つまり、現代社会固有の「物質主義的な世界観」というものが現代人の常識としてあり、科学者もまたその常識を共有し、それを前提として知識を構築している。その常識自体に反するものは受け入れない。超心理学というものが受け入れられないのはそういうことである。これはいわゆる超能力の科学的な検証を目的とするものだが、方法論では科学ではあるが、そもそも論証しようとすること自体が科学者の基本的な常識に反しているので、反発されるのである。そういう常識そのものを疑いうるというオープンな態度をとれる人は残念ながら多くない。科学者の世界はピア・レビューといって、仲間内で業績を評価するシステムである。だから、少数の人のみがわかるというものは駄目で、多くの人が認めなければいけない。つまりその知識システムの根本的前提を問うような論文などは決して学術誌には掲載されない。あくまで定められた土俵のなかでの「独創性」が評価されるのであって、その土俵そのものを無視するものはつぶされる。これは科学界だけでなく、一般にピア・レビューというアカデミーのシステムの限界である。とんでもなく独創的なものは世に出られないのである。

こういうことであるから、科学界から、科学と霊性の統合をはかるような斬新なものが出てくる、という期待はあまり持たない方がいい。そういう新しいパラダイムに立って書かれている本もあるが、それはあくまできわめて少数であり、マイノリティーであることは理解する必要がある。

霊性の問題を知的に扱うには、いくつかの前提がいる。それの全部ではないが、一部をあげると、

・世界とは、物質領域だけでなく、非物質領域(意識の性質をもつもの)があり、むしろ後者の方が根源的である。物質領域は非物質領域とたえず交流をしている。

・世界は根本的には意識より産出される。

・身体の経験に基づく知識だけではなく、人間は、より直接的に非物質領域を知覚する「霊的(微細)知覚能力」を有する。

霊的世界観はこういう前提に立つ。これを科学者の方が受け入れてくれないと、科学と霊性の統合は、本当には実現しない。この枠組みの中で、科学を一つの方法論として、適宜に使いこなすことはできるはずなのである。

最後にあげた「霊的知覚能力」というのは、ドリーン・バーチューの『エンジェル・ガイダンス』に書かれているような、クレアヴォアヤンス、クレアオーディエンス、クレアセンシェンス、クレアコグニンザンスの4つを指す。

そういうものがある、とはっきり断言することから、霊性思想は始まる。

一方、科学は方法的に、そういう霊的知覚ではなく、あくまで五感とそれに基づく推論の世界である。

感覚や思考とはそれだけである、というのは一種の哲学的(思想的)言明であって、それ自身は科学の領域に属さない。また、超感覚があるという立場に立っても、もっぱら五感のみを使う知識の領域というのは当然認められる。つまり、探究すべきことがらに応じて科学と霊的知覚は「使い分ける」ということになるのである。霊的な領域は霊的な知覚によって探究するのであって、そこに科学の方法論は入ってくるべきではない。科学と霊性の統合とは、それぞれの方法論の「適当な棲み分け」なのであって、霊的領域を科学で探究する、証明するということではない。このへんに思考の混乱があるのではっきりさせておきたい。

« 霊性思想は人類思想の本道である | Main | 霊性の道における不易と流行 »

霊性思想」カテゴリの記事

September 2017
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ