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イエスは本当に復活した・・神学の勉強について

二月頃からずっと読書に集中する日々。最近は、もっぱら神学の勉強。普遍神学をやるというなら「普通の神学」をもっと知らねば・・ それはまた、西洋的霊性の根幹を見極めるということにつながる。
最近では、佐藤優氏によって神学のことが知られるようになってきた。佐藤氏は浦和高校での私の同級生で、彼が『私のマルクス』という自伝的作品にも書いている、倫理社会の堀江六郎先生のクラスで同じであった(彼は、覚えてないと思うが。当時の彼は、頭はよかったが受験勉強を徹底的に馬鹿にしていた。部活は応援団であった)。ただし佐藤氏の神学は徹底したプロテスタント神学なので、実はこれは日本人には最もわかりにくい神学といえる。その分、魅力もあるのだといえば言えないこともないが。

プロテスタンティズムは神の超越性を強調しすぎて、神の内在性を忘れがちになる。また、カトリックや正教にはその反対の傾向がある、などとも言われる。
しかし、自然(世界)の中に神の顕現を見るという姿勢がプロテスタンティズムにはいちじるしく後退している。むしろ、自然の中に聖性を見るようなカトリックや正教の神学の方が、東洋の霊性との親和性がある。

いまかなり興味をもって調べているのが、ペンテコステやカリスマ運動の流れと、そこから生み出されつつある神学である。
この流れでは、神の力によるヒーリングや、サイキックリーディング(預言と呼ぶ)、宇宙語をしゃべる(異言と呼ぶ)、などをどんどんやっていく。ニューエイジ的スピリチュアルのキリスト教版みたいなものである。
実は、聖書には、キリストの弟子たちがどんどんこういうことをやっていることがたくさん出ている。パウロでさえ大いにやっていた。それをなぜ今やってはいけないのか、という単純な理屈がある。近代的な自然観から抜け出した人たち(あるいは最初から受け入れていない人たち)は抵抗なくこういう世界に入っていく。こういう流れは今、プロテスタントの中にさえ入り込んでいる。

「スピリチュアル」が浸透しない国では、ヒーリングといえば普通こうした神の力を受けたキリスト教徒のやること、という受け止め方が多かったりする。

ポイントは、「物質的自然を描くについての自然科学の権威をどこまで認めるか」という点について、これまでの啓蒙主義的知識人の枠をはみ出していっている、ということだろうと思う。
そういう権威を認めてしまって、自然には基本的に奇跡は起こらないという自然観を持ってしまうと、自分自身が神の声を聞いたりすることが不可能だと信じざるを得ない。そのように神が自分とかけ離れた遠いところにあると感じている人のための神学、みたいなものがあって、これまでプロテスタントの神学ではそういうものが主流であった。

そういえば佐藤優氏の宗教論の本を読んでいて、こんなことが書いてあった。イエスが復活したというのは、そういう夢を見たのです。この当時、人々は夢もまた現実と見なしていたので、復活を現実と考えた・・
ということは、イエスが文字通り復活したとは信じてないわけ?
・・私にいわせれば、これはキリスト教ではない。イエスが死んで復活したことを信じるのがキリスト教であって、それを外してどうしてキリスト教であるのか私には理解できない(というのはウソで、どうしてなのかは理解できるが、説明が長くなりそうなのでやめる)。
マハーアバター・ババジのことを知っていれば、それは何も不思議ではない。また、ヨガナンダの自伝でも、その氏ユクテスワが復活した現れたことを述べている。
なぜこういう「復活」が可能なのか、それは『魂のロゴス』や『叡智のための哲学』に説明してある。

思うに、物質界、物質性とは何であり、どのようにそれが生じているのかということをはっきり理解しないと、自然科学の啓蒙的理性によって信仰がゆがめられてしまうのではなかろうか。

死んだ人間が復活するなんてことが本当にあるのか?

・・だって、臨死体験というのもそういうことでしょ? 死んでから戻ってきたわけで。
聖書では、ラザロの復活についても語られている。
まして、イエスは人間であって神であるのだから、復活くらいできて当然なのでは?

・・と、素朴な人は考える。実は、この素朴な考えがキリスト教信仰としてはまっとうではないのか。
なぜ、自然法則を神よりも優位に考えるのか、それがわからない。いつのまにか、自然法則に、神にまさる権威を与えてしまっているのだ。だが、神が法則を作った以上、神は法則を超えることができるのだ。これは単純な理屈である。
「神がキリストを送った」ということが信じられる人がなぜ復活を信じられないのか。そのぶっとび程度は同程度のように思えるのだが。

要するに、これまでの一部の神学というものには、このように神の奇跡を信じられなくなるほどに近代的啓蒙主義理性に影響されてしまった知識人たちが、なんとか信仰を維持しようと七転八倒して苦労した考え出した神学というものも少ないのである。しかし、私は奇跡も復活もまったく問題なく信じられますよ、という人はまったく別の神学を生み出すだろう。

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