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「神」が自明の前提ではないことについて

さて、また久々である。この前、5月2日に、「日本で普遍神学というものが成立する条件はあまりないのでは」ということを書いたが、実際、どうなのか。佐藤優の神学本はある程度売れているけれど、あれよりも、私がやっているような仏教をベースとしてキリスト教をも取り込むような脱キリスト教神学の方が意味があるはず、との思いは変わっていない。しかしなかなか普及はしていない。私もまだあきらめたわけではないので、なんとかもっと発行部数の多い新書あたりを出して再び勝負してみたい気はないでもない。

ところで、最近読み返そうとしている本は、またジェームズ・スミスで、

0802867618How (Not) to Be Secular: Reading Charles Taylor
James K. A. Smith
Eerdmans Pub Co 2014-04-23

これは、チャールズ・テイラーの Secular Age の詳細な解説本で、大学の講義を元にしているらしい。
Secular Age は名著と言われるが、600ページもあって、翻訳もない。どこかで翻訳進行中なのかもしれないが、私もまた通読していない。この手強い本の入門書という位置づけで、こういうのはラディカル・オーソドキシー入門本と同様ジェームス・スミスの得意分野だろう。

この本のターゲットとしてはラディカル・オーソドキシーと似ていて、近代ではなぜ「神がある、と考えることが自明の前提ではなくなったのか」という問題を扱っている。近代以前では、神があること(あるいは、高次元があること、と言ってもいいかもしれないが)は、いわば「デフォルト」であったのだが、近代になってなぜかそれは「オプション」になってしまった。神については考慮しないのが当たり前で、神があるという理解に達すること自体が何か普通ではないものになっている、ということだ。これは社会全体の想像力の構造である。

哲学というのは自明の前提を疑うことを方法の一つとするわけだが、実際は、哲学者たちも、無意識のうちに現代社会の共同的想像の枠内でしかものを考えられなくなっているケースも多いのだ。

ルネサンス以前の哲学者は神があることは自明であった。しかし今は自明ではなくなった。特にヨーロッパ文明全体と格闘せず、ごく狭い範囲しか勉強していない日本の哲学者は、「神の問題」そのものがよくわからなかったりする。

そのあたりがどういうわけでそうなったのか、という見通しを与えてくれるものとして、この本はかなり有益だと思う。

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